見出し画像

『経験なき経済危機』:第5章の6

経験なき経済危機』が、ダイヤモンド社から刊行されました。

10月28日から全国の書店で発売されています。

これは、第5章の6全文公開です。

6 コロナ後の問題にどう対処するか?

コロナ後に過剰流動性?
 以上で述べたコロナ期の財政金融政策は、異常時の財政金融運営としてやむをえないものだ。
 マネーが急増したことがインフレを起こすのではないかと危惧する意見があるが、これは、貨幣数量説的な考えにとらわれている考えだ。実際には、本章の4で述べたように、消費者物価は上昇していない。
 ただし、こうしたオペレーションは異常なものであり、また、その規模も異常な額になる可能性があるので、コロナ終息後の日銀の財務状況がどうなるかを、いまから考えておく必要がある。
 第1の問題は、コロナ後の過剰流動性の危険だ。
 本章の2で述べたように、現在は売り上げが急減して流動性が減ったために、企業は手元に支払い手段を確保しておきたいと考えている。つまり、マネーに対する需要が増えている。マネーに対する需要の増加に合わせてマネーの供給を増やしたために、マネーの過剰供給にはなっていない。
 ところが、コロナが終息して企業の売り上げが元に戻れば、手元流動性に対する需要も減少するはずだ。売り上げが元の水準に戻れば、それによって債務を支払うことができるからだ。つまり、マネーに対する需要が減り、流通速度が上昇するだろう。それにもかかわらず、マネーの残高が残ってしまうと、マネーの過剰供給になると危惧されるかもしれない。
 では、市中に流通するマネーの量はどうなるだろうか?
 まず、緊急融資はいずれ返済されて、預金は縮小し、マネーは減ることに注意する必要がある。したがって、これに関するかぎり、過剰流動性にはならない(ただし、マネーに対する需要減少と融資回収のタイミングが少しずれるということはありうるだろう)。
 しかし、給付金などの財政支出に起因する分は、(増税しないかぎり)元に戻ることはない。
 財政支出に起因するマネー増が大きければ、市中に存在するマネーの量は過剰になるかもしれない。それを何らかの方法で回収しなければ、インフレがもたらされるのではないかとの危惧を持つ人がいるかもしれない。また、資産価格バブルが起きるかもしれない。しかし、そうはならないと考えられる。その理由は、つぎのとおりだ。
「特別定額給付金」として一律10万円を支給するための事業費は、事務費を合わせて12兆8803億円だ。6月までの段階でこの半分程度が支給されたとすれば、6.4兆円になる。これ以外の給付金を含めても、10兆円程度だろう。
 他方で、預金通貨の増は前述のように90兆円を超える。だから、預金増の大部分は、政府の支出というよりは、金融機関の融資の増加によるものだ。そうであれば、増加したマネーストックの大部分は、コロナ終息後に回収されて減ることになる。
 特別定額給付金も、民間主体が支出すれば、預金は減る。しかし、他の主体の収入となるから、ネットで減るわけではない。ネットで減らすには増税するしかない。

累積国債の処理
 第2の問題は、累積した国債の処理だ。コロナ対処のために財政支出が増大するので国債が増発され、コロナ後においては、膨大な額の国債残高が残ることになる。
 その結果、まず、国債費の支払いが増加する。しかし、表面利回りは低く抑えられているので、あまり大きな問題にはならないだろう。
 しかも、日銀が保有している国債に関しては、国が日銀に支払った国債費(償還や利払い)は、日銀納付金となって国庫に還流するので、財政金融当局の中だけの動きになる。つまり、ネットで見れば、政府にとって大きな負担にはならない。そうでなくとも、国債を持たない主体から持つ主体への移転なので、国全体としての資源配分に直接は影響しない。
 ただし、日銀のバランスシートでは、負債で当座預金が著しく増え、資産で大量の国債を保有することになる。この状況は、異常な状態だ。とくに、金利の上昇に対して著しく不安定であるため、望ましくない状態である。
 もっとも、この状態は、コロナで初めて生じるものではない。すでにそうなっている。これが、「異次元金融緩和の出口問題」といわれてきたものだ。
 これをどう処理するかが、コロナ後の重要な問題である。本来であれば、膨大な国債残高を償却するために、増税が必要だ。原理的にいえば、必要なのは、富裕税(多額の資産を保有する人への課税)の創設だ。
 しかし、国債残高1033兆円というのは、今年度の税収見込みの約16倍という膨大な額だ。これを増税だけで処理するのは現実的でない。いまの日本の政治家にできるかといえば、絶望的にならざるをえない。
 さらに、コロナ後の社会では、経済が弱っている。倒産と失業が溢れている可能性が高く、そうした中での大規模な増税は、政治的にほとんど不可能だ。
 したがって、日銀が国債購入を続けざるをえないだろう。これがどういう結果をもたらすだろうか?
 とくに考えるべきことは、これがインフレをもたらすかどうかだ。これは、コロナ後の経済の需要と供給のバランスによって決まる。
 戦後の日本経済では、供給力が破壊されていたのでインフレになった。しかし、コロナ後では、失業によって消費需要の基盤が破壊されているので、そうならないだろう。
 では、何もしなくても問題がないかといえば、そうではない。それについて、以下に述べよう。

日銀債務超過の可能性
 コロナ後には、金利が上昇する可能性がある。現在は日銀が国債を無制限に買うことで金利を抑圧しているが、無制限購入を終了すれば、そうした抑圧は効かなくなるからだ。さらに、コロナ後の経済再開で投資等の需要が増加すれば、金利が上がる。
 長期金利が上昇すれば、日銀が保有している国債の時価評価額が下落する。国債を保有し続ければ、損失は含み損にとどまる。しかし、保有国債を売却すれば、含み損は現実化し、巨額の損失が発生する。償還時まで保有しても、損失が発生する。
 また、ETF等のリスク資産の市場価値が下がる可能性がある。さらに、企業の社債やCPを直接に購入した場合、それらの企業が倒産して回収不能となる可能性もある。
 このように、コロナ後の日本銀行の資産は、大きく毀損する可能性がある。債務超過になる可能性も否定できない。
 いままで中央銀行が債務超過になった例はないが、こうした事態はありえないものではない。
 民間の企業であれば、負債の支払いを求められた際に、資産を処分して支払わなければならない。債務超過になれば、資産のすべてを処分しても負債を支払いきれないので、倒産することになる。あるいは、そうなる前に取引ができなくなる。では、日銀の場合はどうか?

(注3)日銀は将来の国債償還時の損失に備えて「利息調整額」を計上している。しかし、それだけで十分かどうかは分からない。

当座預金の払い戻し要求はあるか?
 日銀は民間企業のように負債の支払いを求められるだろうか?
 日銀の負債の大部分は、日銀券と、民間金融機関が日銀に持つ当座預金からなる。
 このうち日銀券は、日銀のバランスシートでは負債項目とされているものの、返済義務はない。銀行券を負債として処理するのは、銀行券が償還すべき債務と考えられていた時代のなごりであろう(日銀のホームページにも、そうした趣旨の説明がある)。
 現代の管理通貨制度の下では、これは時代遅れの扱いと考えられる。日銀券は、負債というよりは、むしろ民間企業の場合の資本と似た性質のものだ。
 いまひとつの重要な負債項目である当座預金も、法定準備に対応する部分については、負債に計上してはあるものの、これを返却する義務はない。したがって、これについて償還の要求が来ることはない。その額は、当座預金の総額に比べればわずかだ。ただし、原理的にいえば、準備率を引き上げることによって、増大させることができる。
 では、法定準備を超える当座預金はどうか? これについては、民間の金融機関が払い戻しを求めることがありうる。とくに問題は、現在、当座預金の一部にマイナスの金利が付されていることだ。これは銀行にとって負担になる。したがって、これについて払い戻しの要求は大いにありうる。

日銀券を刷れば返却できる
 この場合においても、形式的にいえば返却に応ずることは容易である。日銀券を増刷して、それを引き渡せばよいだけだ。
 日銀券は法貨であるから、これによる支払いを拒むことができない。このことから、「輪転機をぐるぐる回してお札をいくらでも印刷できるので、日銀はつぶれない」といわれる。確かに、その通りだ。
 日銀は、民間企業と形式的に同じような会計処理をしているために錯覚に陥るのだが、その内容は民間の場合と大きく異なる。だから、債務超過問題を、民間企業の場合と同列に論じることはできない。

紙幣を増刷すればインフレになる危険
 ただし、だからといって、まったく問題がないというわけではない。当座預金はマネタリーベースであって、民間主体が決済に使えるマネーではないが、日銀券はマネーだ。だから、当座預金が日銀券になれば、マネーの供給が増えることになる。
 コロナ期においては、マネーに対する需要が大きいから、マネーの供給を増やすことは問題ない。しかしコロナ後においては、マネーに対する需要はそれほど大きくならないので、マネーの大量発行がなされれば、インフレになる可能性がある。
 この場合のインフレとは、財サービスの需要が供給をオーバーすることによって生じるものではなく、日銀券の価値の低下だ。
 日銀券という負債に対応する日銀の資産に、価値が低下した国債と毀損したリスク資産しかないという状態になる。そのような日銀券の価値が、他の通貨(例えばドル)との比較において低くなってしまうことは十分ありうる。

付利が必要となり、日銀の負担が増加
 ところで、物価が上昇している局面で金利が上昇しないと、実質金利はマイナスになる。すると、投機を引き起こしてしまう。だから、例えば物価上昇率が2%になれば、短期金利も最低2%程度に引き上げる必要がある。
 短期金利を2%にするためには、現在のマイナス金利を解除するだけでなく、超過準備に対して最低2%の付利をする必要がある。なぜなら、付利が低いままだと、当座預金が取り崩されて貸し出しに回されてしまい、投機資金を供給することになるからだ。
 プラスの付利の支払いは、日銀にとっての負担になる。それがどの程度の規模の負担になるかは、コロナ後の短期金利の水準がどの程度になるかによる。だから、現時点では何ともいえない。
 ただし、増大した付利の支払いが膨大なものになり、日銀の収支が悪化する危険は十分にある。これにどう対処するかが、コロナ後における重要な課題となるだろう。

マネーへの信頼を維持することが最も重要
 政府と日銀の間の操作によってマネーを無限に作り出せるのは、まさに「マネーの魔術」ともいえる方法だ。
 マネーは誰もが信用するものだ。なぜこのようなことが可能なのか? それは国家と中央銀行が存立し続けるだろうと、すべての人が信じるからだ。
 しかし、中央銀行の資産が毀損すれば、この信頼は揺らぐ。日本銀行は巨額の資金を投入してETFを購入し、株価を支えている。しかし、株価が下がれば、購入したETFの資産価値は下落し、日銀への信頼性が揺らぐ。
 そうなったら、以上で述べたすべてのことは成り立たなくなってしまう。これまで「マネー」であったものが、「マネー」ではなくなってしまうのだ。日銀にとって最も重要なのは、日銀券や銀行預金が「マネー」として機能し続けるような条件を確保することだ。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?