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『野口悠紀雄の経済データ分析講座』 はじめに


『野口悠紀雄の経済データ分析講座:企業の利益が増えても、なぜ賃金は上がらないのか?』が、ダイヤモンド社から11月28日に刊行されます。
「はじめに」の全文を公開します。

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 安倍晋三内閣が2012年12月に発足して以降、日本企業の利益は著しく増加し、株価も上昇した。このことをもって、安倍内閣の経済政策は成功だったとする評価が多い。

 しかし、家計や労働者の立場からすると、状況はよくない。実質賃金は低下しているし、家計消費もほとんど伸びていない。労働分配率は低下している。
 また、目を世界経済に向けると、この期間だけをとっても、世界の多くの国が、目覚ましく成長した。
 ドル表示での名目GDPを見ると、12年から18年の間に、アメリカのそれは、16.2兆ドルから20.5兆ドルへと26.5%増加した。中国の名目GDPは、8.6兆ドルから13.4兆ドルへと56.4%も増加した。しかし、日本の名目GDPは、円安が進行したため、6.2兆ドルから5.0兆ドルへと19.8%も減少したのだ。
 この結果、日本とアメリカのGDPの比率は、2.6倍から4.1倍に拡大した。中国との比率は、1.4倍から2.7倍に開いた。

 なぜこうしたことになったのか?
 本書の目的は、この背後にあるメカニズムを分析することだ。

 分析の主たる対象は、企業利益が増加した原因だ。
 一般には、円安によって輸出が増大したために輸出関連企業の利益が増え、これが他の産業にも波及したと考えられている。そして、本来であれば、この成果の一部は賃上げになって労働者にも分配されるべきだが、まだそれが行なわれていないと言われる。これは、経済は拡大しつつある途中であり、時間がたてば、企業利益だけでなく、あらゆる経済指標が好転するだろうという考えだ。政府がこのような説明を行なっている。
 本書は、まずこのような考えがデータで裏付けられるかどうかを検討する。「裏付けられない」というのが、本書の基本的な結論だ。とくに重要なポイントは、この6年間に企業の売上高が目立って増加したわけではないことである。つまり、日本経済は量的に拡大していないのだ。

 経済が拡大しないにもかかわらず利益が増えたのは、企業が人件費を圧縮したからだ
 では、日本経済が労働力不足に直面しており、多くの企業が人手不足に苦しんでいるにもかかわらず、人件費が圧縮されたのは、どうしてか? 人手不足にもかかわらず賃金が上がらないというのは重要な問題であり、ぜひ解明されなければならないことだ。
 これに対する答えは、企業規模別や業種別などの細かい経済構造に立ち入ってみないと分からない。この分析を行なっていることが本書の特徴だ。
 本書は、つぎのようなことを見いだしている。
 零細小売業や零細飲食サービス業など経済の低生産性部門で売り上げが減少し、それが低賃金労働のプールになっている。ここから供給される労働者が非正規雇用になるために、家計所得が増えない。そのため、消費が増えず、零細小売業や零細飲食サービス業の売り上げが減少し、減量経営が行なわれている。つまり、政府が言うような経済規模の拡大が起きているのではなく、減量経営の悪循環が生じているのだ。これは極めて深刻な事態だ。

 本書は、日本経済に関心を持つすべての方々に読んでいただくことを想定している。このため、経済学の知識がなくても読み進めることができるように、基本的な概念について説明を加えている。

 本書の概要は、以下のとおりだ。
 第1章から第4章までで明らかにしたいのは、「企業の利益が著しく増加したのはなぜか?」「それにもかかわらず賃金が上昇しなかったのはなぜか?」ということだ。

 第1章では、企業利益増加の要因を分析する。円安によって輸出産業の売上高が増加し、利益が増加したという普通言われている考えは、データによって裏付けられない。
 データが示すのは、企業利益の増加は人件費の圧縮によって実現したことだ。売上高がわずかでも増加するときに人件費の増加が抑えられると、利益は大きく増加するのである。
 なお、製造業では、原油価格の下落によって原価が減少したことの効果も大きい。

 第2章と第3章では、なぜ人件費圧縮が可能になったかを探る。第2章では、売上高や人件費について、業種別や企業規模別に著しい差があることを指摘する。
 大企業で売り上げが増加したのに対して、零細企業では増加しないか、あるいは減少したので、減量経営を余儀なくされた。とりわけ、小売業や飲食サービス業でこれが顕著だった。これによって、この部門での就業者が減少した。
 これは、日本経済の新しい二重構造と言えるものだ。

 第3章では、零細企業から放出された労働力が規模のより大きな企業に雇用されたが、その際、非正規労働者あるいは賃金が低い労働者として雇われた可能性が高いことを示す。これが、第1章で見た企業利益増を可能にしたのだ。このような可能性にさらされている潜在的労働者は、大きく見積もれば、総労働人口の5分の1程度にも及ぶと推定される。
 第2章や第3章で述べたことは、これまで指摘されることがなかった。これは、企業のデータを業種別・規模別に詳しく見ることによって、初めて明らかにされる事実だ。そして、これこそが、日本経済の現状を理解する上で最も重要な事実であると考えられる。

 第4章では、非正規労働や低賃金労働者の増加が、家計にどのような影響を及ぼしたかを分析する。
 世帯主が非正規である可能性を考えると、非正規労働者の増加が家計所得を増やしているとは言えない。これが消費を抑圧する。そして、これが小売業や飲食サービス業の売り上げ減少を招く。それが第3章で述べる労働者の移動を引き起こす。かくして、悪循環が生じていることになる。
 この構造は、図表4-7にまとめられている。

 第5章では、日本の将来をいかなる産業に託せばよいかを探る。製造業は衰退している。とりわけ、かつて日本が世界を制覇した半導体産業の衰退ぶりが著しい。先進国経済では、高度サービス産業が将来を担う必要がある。しかし、日本の高度サービス産業は、規模が小さい。アメリカで、高度サービス産業が急成長して製造業より規模が大きくなり、経済を牽引しているのと対照的だ。

 第6章では、金融政策の検証を行なう。日本銀行が13年に開始した異次元金融緩和政策では、消費者物価上昇率を2%にすることが目標とされた。しかし、この目標は、いまに至るまで達成されていない。
 アメリカで消費者物価の上昇率が高いのに対して、日本では低い。こうなる基本的な理由は、高度サービスに対する需要と供給が、アメリカにおいては顕著に増加しているが、日本ではそうでないことだ。
 この章では、「リバーサルレート」や「MMT」など、最近話題を集めている問題についても説明する。

 第7章のテーマは、「カネ余り」だ。これは、企業が、増加した利益を現金・預金で保有することを指す。企業のカネ余りは、アベノミクス下で顕著に進行した現象だ。
「カネ余りが生じたのは金融緩和のためだ」と考えている人が多い。しかし、実際には、因果関係は逆である。企業がカネ余り状態であったために銀行からの借り入れが増えず、したがってマネーストックが増加しなかったのである。

 第8章では、19年の初めに問題になった「毎月勤労統計調査」の不正問題を振り返る。不正な方法でデータを収集したことは確かに大問題だ。ただし、データ利用者の立場からすると、過去のデータが消失してしまったことのほうがもっと大きな問題だ。これでは、客観的な経済分析を行なうことができない。

 第9章では、統計データサイトの具体的な利用法を、政府のデータサイトを中心として説明する。検索エンジンでデータを探そうとしても、表示されたサイトに極めて多数の統計表があり、どれを見たらよいかが分からない場合が多い。
 また、最近増えているデータベース方式のサイトは、便利なのだが、使い方が分かりにくいことが多い。




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