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『リープフロッグ』逆転勝ちの経済学 全文公開:第1章の4

リープフロッグ逆転勝ちの経済学が、文藝春秋社から刊行されました。
12月20日から全国の書店で発売されています。
これは、第1章の4全文公開です。

4 AIとビッグデータでもリープフロッグする中国

電子マネーの利用から得られるデータを、ビッグデータとして活用
 電子マネーには匿名性がありません。このため、アリペイなど電子マネーサービスの提供企業には、膨大なデータが集まります。このようなデータは、「ビッグデータ」と呼ばれます。
 これまでビッグデータとして利用されていたのは、主としてSNSから得られるデータでした。それに比べて、マネーの利用履歴はより詳細で正確なデータです。これを利用して、様々な新しいサービスが作り出されています。
 その一つに、アリペイが2015年1月に始めた「芝麻(ジーマ)信用」という信用スコアリングがあります。これは、個人がどの程度の返済能力を持っているかを評価するものです。収入や年齢、勤務先などの個人属性と、サービスの利用状況によって、特定の人に点数をつけます。AIがビッグデータを用いて特定の人の属性を推定することを「プロファイリング」といいますが、信用スコアリングはその一種です。
 芝麻信用のアクティブユーザーは、5億人を超えるといわれます。騰訊(テンセント)も、「微信支付分」という信用スコアリングを2019年1月に発表しました。
 担保がないためにこれまで融資を受けることのできなかった自営業者や零細企業が、信用スコアを用いることによって、融資を受けられるようになりました。
 中小零細企業、農民、低所得層、貧困層、身体障害者、高齢者など、従来は金融サービスを受けられなかった人々が、金融サービスにアクセスできるようになることを、「金融包摂」(Financial Inclusion)と言います。信用スコアリングがもたらした変化は、「金融包摂」の典型例です。
 信用スコアを用いる融資は、担保が必要ないだけでなく、審査のための大量の書類処理事務や人員も必要とせず、極めて短期間のうちに審査が可能になるという意味で、従来の銀行が行っていた貸付審査より進んだ仕組みです。その意味では、信用スコアリングもリープフロッグの一つだと考えることができます。

中国で進むビッグデータの利用
 ITを活用した新しいタイプの保険も登場しています。
 中国平安保険は、1988年に設立された新しい保険会社で、さまざまな新しい保険を導入しています。例えば、「グッドドクター」というサービスでは、病院の予約をしたり、スマートフォンを通じて医師に健康相談をすることができます。登録ユーザーは2億6000万人で、世界最大の遠隔医療プラットフォームとされます。テンセントも新しいタイプの保険を導入しています。
 アリババ、テンセントなどを中心に2013年に設立されたインターネット専業の損害保険会社である衆安保険は、糖尿病患者を対象とした医療保険を提供しています。テンセントが開発したタッチパネル式の測定端末で血糖値のデータを取り、血糖値が規定値を下回れば、保険金が増額されるようになっています。
 これらも先進国にはなかった保険であり、中国でそれらが発展したのは、公的な医療保険が未発達であったからだと考えれば、ここでもリープフロッグが起こっていると考えることができます。
 ところで、こうしたサービスを提供する企業には、膨大な量のビッグデータが集まります。アメリカでは、GAFA(Google、Apple、Facebook、Amazon)など、「プラットフォーム企業」と呼ばれる企業群が、ビッグデータを収集し、利用しています。中国のBAT(百度、阿里巴巴、騰訊)も、同様の活動をしているプラットフォーム企業です。
 中国では、ビッグデータの取引所も既に開設されています。貴陽市がビッグデータセンターの中心都市として指定され、ここに広大なデータセンターを作り、関連企業を誘致する試みがなされています。2016年4月には、上海市に、上海数据交易中心(上海データ取引センター)が設立されました。
 中国政府も様々なビッグデータを集めています。中国ではインターネットの検閲が行われており、これを通じてもビッグデータの収集が行われているのではないかと考えられますが、その実態は明らかではありません。

中国でビッグデータ収集が容易なのは、中国の後進性のため
 ところで、欧米では、プラットフォーム企業が今後もビッグデータをこれまでのように収集できるかどうかについて、疑問が出てきました。プライバシー保護の観点から、規制が強まる可能性があります。また、ビッグデータ取得の見返りとして、これらの企業に課税すべきだとの議論もあります。
 こうした中で、中国とそれ以外の国における条件が大きく違うことが問題になります。中国では、ビッグデータの収集に関して社会的な制約がありません。国民も、プライバシーの保護にそれほど神経質ではありません。そうすると、中国のプラットフォーム企業だけが容易にビッグデータを手に入れるということになりかねないのです。
 中国のこのような特殊性を、リープフロッグという観点から理解することができます。これまで述べてきたように、中国では商取引や金融取引などの市場経済活動のための基本的なインフラストラクチャーが整備されておらず、また、信用に基づいて取引をすることができない状態でした。
 ビッグデータを用いてAIがプロファイリングや信用スコアリングを行なうことは、そうした問題を克服する強力な手段となったのです。このために、プロファイリングや信用スコアリングについて、そのメリットが評価されているのだと考えられます。つまり、中国の後進性が、ビッグデータの収集を可能にしているのです。
 それに対して、先進国では信頼に基づいた市場取引がすでに可能になっていたので、プロファイリングや信用スコアリングに対して、そのメリットよりは、プライバシー侵害というネガティブな面が強く意識されているのだと考えられます。

中国人民銀行がデジタル人民元?
 中国人民銀行(中央銀行)がデジタル通貨の発行を計画しています。これは、「デジタル人民元」と呼ばれます。2020年秋には、いくつかの都市で実証実験が行なわれました。
 これはアリペイやウィーチャットペイなどの電子マネーより、さらに進んだ段階のマネーです。世界の中央銀行が研究していますが、主要国ではいまだに実現していません。デジタル人民元が、主要国としては世界で最初の中央銀行発行のデジタル通貨になる可能性があります。
 これが経済活動にどのような変化をもたらすのか、予測することが難しいのですが、経済のコントロールのための強力な手段になることも考えられます。
 実は、ここにもリープフロッグの側面があるのです。欧米諸国や日本では、中央銀行のデジタル通貨に関して、2つの大きな問題があります。第1は、中央銀行がデジタル通貨を発行すると、ほとんどの送金や決済がそれによって行なわれるため、これまで存在している民間銀行の送金手段が不要になってしまうことです。
 第2は、詳細な送金・決済情報が中央銀行に集まってしまうことです。これは、国民のプライバシーの喪失を意味します。
 この2つの理由のために、技術的には可能でありながら、実際には導入が難しいのです。ところが、中国においては、この2つともあまり大きな問題にはなりません。
 とくに、第2の問題に関しては、すでに電子マネーを通じて送金・決済情報の収集が行われており、中央銀行に情報が集中することに対して、あまり大きな抵抗はないと考えられます。

軍事面でも、AI活用で中国がリープフロッグする
 AI活用のもう一つの重要な分野は、軍事利用です。中国人民解放軍は、AIの利用に極めて積極的であり、その水準はすでに世界のトップクラスに達しています。
 例えば、AIを用いたドローンの編隊飛行に成功しています。これによって、空母を攻撃することが可能だと言われます。空母は極めて高価な兵器であり、また中国は国産空母の建設に遅れをとっていました(2018年5月に、初の国産空母が試験航海に出航)。しかし、ドローンによってこの問題を解決することができるわけです。そうなると、中国は、空母の時代をリープフロッグしてしまうことになります。
 仮にそうしたことになれば、世界のパワーバランスは大きく変わるわけで、アメリカはこれに対して大きな危機意識を持っていると言われます。数年のうちに中国のAIの実力がアメリカを凌駕するに至るとの予測があります。アメリカでは、「AIの先端分野でいずれ中国に抜かれる」という中国脅威論が、急速に高まっています。


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