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『「超」創造法 』生成AIで知的活動はどう変わる?

『「超」創造法』 生成AIで知的活動はどう変わる?(幻冬舎新書)が9月27日に刊行されました。
これは、第12章の6全文公開です。

6 生成系AIは、従来型メディアを復権させるか

悪貨が良貨を駆逐する危険

 生成系AIは、指示に従って文章を自動的に作成します。このため、内容を問わなければ、文章の作成が、ほとんどゼロのコストでできるようになりました。そうなると、大量の文章がネット空間に現れるでしょう。とりわけ、SNSや投稿サイトには、これまでよりさらに大量の情報が溢れるでしょう。
 しかし、それらの情報は、信頼性の点で大きな問題を孕んでいます。質の低い文章や意図しない誤り、あるいは、内容がまったく信頼できないものや噓の情報、さらに、世論操作を目的としたでっち上げの情報などが大量に供給されるでしょう。現在でもすでにそうした状況になっていますが、それが加速することが懸念されます。
 私が危惧するのは、そうなった場合に優勝劣敗の法則が働かず、逆に、悪貨が良貨を駆逐してしまうことです。

アカロフの「レモンの理論」

 これに関して、「レモンの市場」という考えがあります。レモンは、中身が腐っていても、外から見るとそれが分からない。そのような性質を持った商品の市場に何が起こるかです。
 ノーベル経済学賞の受賞者であるジョージ・アカロフは、1970年に「レモン市場―品質、不確実性とマーケットメカニズム」という論文を書きました。中古車の場合、売り手はその商品に関する悪い情報を知っているが、買い手はそれを知らない。そのため、よいものが市場に出ず、悪いものだけが市場取引される。その結果、粗悪な商品がはびこる、という内容です。
 「レモン」とは、単に質が悪いというだけでなく、「中身が腐っていても外からは見えない」という点が重要です。
 情報の場合も、読んでからでないと、その質を評価できないので、レモンの市場になってしまう危険性は大きいのです。

情報の信頼性を人々が重視してほしい

 ただし、ここで注意しなければならないのは、このようなことが、何の歯止めもなしに進行するわけではないことです。
 中古車市場の場合、品質を消費者に正直に伝える売り手が現れ、そうした人に消費者の信頼が寄せられれば、市場のレモン化を阻止することができるでしょう。
 同じことが、情報のマーケットについても言えます。「SNSの情報は信頼ができないが、新聞社やテレビ局、出版社が発信している情報は信頼が置ける」、あるいは「あの人が発信している情報は質が高く、信頼できる」などと人々が考えるようになる可能性があります。
 情報の信頼性や質が大きな問題だと意識され、右のプロセスが働けば、情報市場のレモン化にチェックがかかることが期待されるのです。
 ここで重要なのは、人々が信頼性や質を重視することです。そして、その面から情報発信者の役割を見直すことです。
 これに関して、新聞通信調査会が実施したメディアに関する全国世論調査があります。それによると、「信頼できる情報源は、どこか」との質問で、100点満点での採点は、つぎのとおりでした。
 NHKテレビが67・4、新聞が67・1、インターネットが48・9。信頼できる情報が得られるという意味で、テレビや新聞が評価されていることが分かります。マスメディアでは、ニュースに裏づけをとっています。ですから信憑性が高いと考えられているのです。
 AIを使った記事が増えてきた場合、読者としても、これまでとは違った読み方が必要になります。
 経済問題についての記事や論評の場合、データを引用しつつ議論していることが、信頼性の一つの目安になります。
 現実の経済について論じる場合、データを参照することは不可欠です。しかし、これまで述べてきたように、AIを用いて記事を書こうとすると、数字が信用できるかどうか分かりません。これをチェックするのが面倒だと考える著者は、数字を使わないで議論しようとするでしょう。そうした記事の信頼性は低いと考えることができます。
 つまり、データを用いて議論していることが、信頼性の目安になるのです。
 先述したように、情報は読んでからでないと、その質を評価できないので、レモンの市場になってしまう危険性は大きいのですが、いま述べたことを考えると、外見だけでも、質をある程度評価できることになります。

文章のマーケットを「レモンの市場」にしないために

 こうしたことの結果、棲み分けがなされることが期待されます。
 センセーショナルな記事を求めたいときは、信憑性に疑問があっても、SNSの記事を読む。一方、信頼性のある情報を求めたい場合には、信頼できる主体が発行しているニュース、あるいはそこがウェブに配信している記事を読む。さらに質の高い情報を求める場合には、印刷物、つまり新聞、雑誌、書籍を読む、という棲み分けです。
 印刷物は、きわめて厳密な校正や校閲を行なっています。それだけコストをかけているため、情報の質が高いと考えることができます。
 このような選別が進めば、印刷物の復権という事態もあり得なくはないでしょう。実際、生成系AIによって質の低い文章が大量に溢れるほど、質の高い情報が強く求められるようになるのは、十分にあり得ることです。
 このような棲み分けはすでに進んでいると思われますが、生成系AIが、その棲み分けを決定的なものにする可能性があります。
 もちろん、このようなプロセスが進んだところで、従来型メディアの比率が自動的に上昇するとは限りません。実際、新聞の購読率はかなり低下しているのです。前述の調査で2008年の新聞購読率は88・6%でしたが、2022年では58・3%に低下しています。印刷物一般に関して、同様の傾向が見られます。
 信頼性や質が人々にどの程度評価されるかは、疑問なしとできないのです。問題は、それほど簡単なものではありません。
 この問題を克服するために重要なのは、発行者の自覚でしょう。信頼性と質をこそ売り物にすべき印刷物が、SNSと同じレベルで競争しようとしている事態も見受けられます。これは、自殺行為としか考えられません。そうした状態から脱却し、自分自身の価値がどこにあるのかを自覚すべきです。
 文章のマーケットをレモンの市場としないこと。それが生成系AIの時代において、文章にかかわる仕事に携わっているすべての人が目指すべき最大の課題であると思います。


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