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『リープフロッグ』逆転勝ちの経済学 全文公開:第1章の8

リープフロッグ逆転勝ちの経済学が、文藝春秋社から刊行されました。
12月20日から全国の書店で発売されています。
これは、第1章の8全文公開です。

8 中国でリープフロッグが起きたのはなぜか?

ビルは更地に建てるほうが簡単
 本章の6で述べたように、「破壊的技術」とは、それまでの技術体系が形成していた産業構造や社会構造を広範に破壊するほど大きな影響力を持つ新技術です。その過程で社会的な摩擦が生じることは避けられません。
 生産性向上のために、新しい技術の導入が必要であると言われます。しかし、古い技術で経済・社会の体系が作られてしまうと、それを新しい技術に対応させるのは難しいのです。既得権益者がいるために、経済効率の悪い古い技術が使われ続けることになります。
 これは、高層ビルを建築する場合に、既成市街地よりは新開発地のほうが簡単であるのと同じことです。既成市街地の住宅密集地にビルを建てるには、まずそこを更地にする必要があり、このためには、多大な費用が必要になるからです。
 日本で既成市街地がなかなか高層化できないのは(地震が多いというような自然条件だけによるのでなく)、このような理由によります。そうした条件に縛られない中国の大都市では、高層ビルが林立しています。

たまたまタイミングがあった
 ただし、実際に起きたことは、もっと複雑です。中国で大規模なリープフロッグが起きたのは、単に中国が遅れていたからだけではありません。タイミングがうまくあったのです。つまり、「改革開放による近代化と、新しい情報技術の登場が、たまたま同時に起きた」という幸運があったのです。
 仮に改革開放に転換したのが1960年代だったとすれば、固定電話のために膨大な投資が行われたでしょう。また、遅れている流通システムの近代化のために、商店網の建設がなされ、膨大な投資が行なわれたでしょう。それらの投資は、後から見れば、無駄な投資だったことになります。
 中国の場合、資本蓄積のための国内貯蓄はきわめて少なかったので、こうした投資のために膨大な海外からの借り入れが必要になったはずで、それは中国の発展の足かせになったでしょう。
 また、インターネットが利用可能になっても、社会主義経済のままでは採用できなかったでしょう。事実、ソ連では、ファックスが技術的に利用可能になったときも、この利用を禁止したのです。
 結局の所、中国では、インターネットの登場と工業化が同時化したために、さまざまな面でリープフロッグが起きたのです。

国有企業の改革によって、既得権が整理された
 ところで、中国に既得権がなかったわけではありません。社会主義経済体制は確立されていたわけで、そこには強固な既得権が存在しました。とくに国有企業がありました。
 1978年の第11期中央委員会第3回全体会議(三中全会)において、鄧小平が「改革開放、現代化路線」を掲げて政策を大転換させ、これによって「改革開放」が中国の基本路線となりました。しかし、当初は、改革開放は政治の世界で言われていただけであり、経済の実態が大きく変わるには至りませんでした。それは、膨大な数の公的企業があり、これらが非効率的な経済活動を行なっていたためです。
 1990年代半ば頃から、「抓そう大だい放ほう小しよう」(大をつかまえ小を放す)という方針に従って、国有企業の改革が行われました。これは、基幹産業の大企業は国家が所有するが、中小企業は民営化するという方針です。
 中小国有企業の民営化は、経営者が自社を買収して独立することを通じて行なわれました。大型国有企業についても、政府は1990年代後半以降、上場を推進しました。
 そして、1998年に、経営不振の国有企業の破綻処理と、レイオフを通じた大規模な人員削減を実施したのです。90年代の後半から2000年代の初期にかけて、数万に及ぶ国有企業が閉鎖され、約3000万人が職を失い、民間企業に就職しました。
 この改革は、極めて大変なことであったと考えられます。しかし、それによって、社会主義時代の既得権益が整理されたのです。

自由な活動が認められたから、リープフロッグできた
 従来、中国ではすべての産業が国家によって運営されていましたが、そのうち基幹産業の大企業については、国家が保有した上で株式会社として上場を推進するという改革が行なわれました。
 そして、それ以外の企業については、民営化が進められました。これによって、消費財部門は民営化されました。このため、IT関連のスタートアップ企業が誕生したのです。
 通信機器の分野では、1987年に華為技術(ファーウェイ・テクノロジーズ)が設立されました。インターネットでは多数のベンチャー企業が誕生しました。阿里巴巴集団(アリババ・グループ)や百度(バイドウ)はよく知られています。その他のネットサービスでも、アメリカのサービスと同じものを中国のベンチャー企業が提供するようになりました。これらの新しい企業は、強い規制に制約されることはなく、新しいビジネスを自由に展開していくことが可能だったのです。
 このように、中国は、決して最初から更地であったわけではありません。「努力して更地にした」という面があったのです。
 ここで注意すべきは、これらのベンチャー企業を政府が積極的に支援したわけでないことです。自由な環境を整えたという点が重要なのです。


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