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『アメリカはなぜ日本より豊かなのか』     全文公開:第7章の1

 『アメリカはなぜ日本より豊かなのか』(幻冬舎新書)が8月28日に刊行されました。
 これは、第7章の1全文公開です。

第7章 トランプはアメリカの強さを捨て去ろうとする

1 移民が大統領選の最大争点に

不法移民増加がアメリカで大問題に

 不法移民の急増による大都市の治安悪化が、アメリカ大統領選挙に大きな影を投げかけている。
 第6章で、メキシコとの国境から入国しようとする中国人の不法移民が急増していることを述べた。増えているのは中国人だけではない。中南米やアフリカ諸国からの不法移民が、大挙してメキシコとの国境に押し寄せている。
 ドナルド・トランプ前大統領は、第一期政権中に、移民の流入を食い止めるためにメキシコとの国境に壁を作った。それに対して、ジョー・バイデン政権は、2021年1月の就任初日に、建設中止を高々と宣言し、壁を取り払った。
 ところが、この結果、移民が急増する事態になった。中米から熱帯のジャングルを歩いてメキシコまでたどり着き、そこからアメリカとの国境に向かうという、移民の奔流(ほんりゅう)が発生したのだ。
 中南米やアフリカ諸国では、この数年間のインフレによって、生活困窮者が激増した。中国でも、経済の落ち込みで生活が困難になった人が続出している。こうした人々は、アメリカに行けば何とかなると期待して、アメリカに向かっているのだ。

不法移民でニューヨーク市は大混乱
 急増した不法移民は、ニューヨーク市などで大混乱を引き起こしている。
 かつて日本人がよく泊まっていたニューヨーク市中心部のグランドセントラル駅に近い45丁目のルーズベルトホテル(客室数1000室)は、移民収容に転用され、いまや不法移民で一杯だという。
 亡命希望者は、6カ月間は合法的に働くことができない。だから、仮設施設から出て住居を借りることができない。移民の収容に転用された老舗ホテルの周辺では、騒音や売春婦の増加などの問題が起きた。施設がパンクして、路上生活を余儀なくされる人々も増えている。そして、住民の反発が強まり、デモが起きているという。
 ニューヨーク市における窃盗犯罪は、2022年から急速に増加した。地下鉄には危なくて乗れなくなった。ニューヨーク市は1980年代に深刻な治安危機に陥ったことがあるが、その当時のような事態になってしまったと言われる。

不法移民で溢れる「聖サンクチュアリ・シティ域都市」
 壁を撤去したので、移民が増える。それは分かるが、国境から遠く離れたニューヨーク市に不法移民が溢れているのはなぜか?
 それは、ニューヨーク市が「聖域都市」を宣言しているからだ。
 聖域都市は、不法移民に寛容的な政策をとっている。強制送還措置を前提とした中央政府からの調査協力を拒否するし、警察は在留資格の有無を調査しない。さらに、宿泊場所や食事を提供し、仕事の斡あっせん旋を行なう。ニューヨーク市以外に、ワシントンD. C.、シカゴ、フィラデルフィアなどが聖域都市を宣言している。
 聖域都市の多くは北部に位置しているから、これまでは、さほど大勢の不法移民が来るわけではなかった。ところが、南部の州知事が、バイデン政権を批判するため、不法移民をバスに乗せてニューヨーク市などに送り込み始めたのだ。
 2023年8月末時点でニューヨーク市の人口は約833万人だが、エリック・アダムズニューヨーク市長は、2022年以降、約11万人の不法移民を受け入れたとしている。

トランプの答えは明快
 この問題に対して、トランプ氏は、第二次政権が成立すれば、その初日に国境を再び閉鎖するという明確な答えを出している。治安悪化に悩む市民からは、トランプ大統領復活を願う声が出てくる。
 追い詰められたバイデン政権は、2023年10月、トランプ前政権が進めた「壁」の建設継続を認める決定を下した。苦渋の決断であったのだろうが、バイデン政権のイメージは低下せざるをえない。
 不法移民問題は、いまや大統領選での最大争点となっている。ギャラップ社の調査によれば、この問題が重要との回答は、経済問題などを抜いて、最多となった。
 ニューヨーク市では、住民の82%が不法移民流入を「深刻」とし、58%が「流入を減らすべきだ」とした(三牧聖子「『トランプ化』しないと勝てない?」Voice、2024年5月号)。

バイデンは右顧左眄(う こ さべん)?
 アメリカの強さの源泉は異質なものを受け入れることであり、それは他国からの移民を受け入れてきたことに表れていると、これまで繰り返し述べてきた。
 ところが、これに対して、深刻な疑問が突きつけられているのだ。この問題について、どう考えるべきか?
 私は、寛容政策をとるからといって、移民を無制限に認めることにはならないと思う。寛容政策と移民の制限は、決して矛盾しない。
 それは、自由が認められるからといって、何をしてもよいというわけではないのと同じことだ。例えば殺人は認められない。また、言論の自由といっても、何を言ってもよいわけではない。
 自由の範囲は、法律によって決められる。寛容か非寛容かの違いは、法律で決める枠をどこまで広げるかの違いだ。何をやっても自由というのは、無政府主義、アナーキズムでしかない。移民にしても、無制限に認めれば、社会的混乱が起きることは明らかだ。
 古代ローマが寛容だったからといって、属州の人々を無条件・無制限でローマ市民にしたわけではない。
 しかし、こうした基本問題についてのジョー・バイデン大統領の態度は、はっきりしない。それは、2024年3月7日の一般教書演説へのヤジをめぐって表面化した(前掲「『トランプ化』しないと勝てない?」)。
 トランプ前大統領の熱狂的支持者である共和党議員が、不法に入国した男性に女子学生が殺された事件を引き合いに飛ばしたヤジに対して、バイデン大統領は「無実の若い女性が不法移民に殺された。そのとおりです」と答えたところ、民主党の左派議員や人権団体から、「不法な人間などいない」と抗議の声が上がったのだ。それに対してバイデン大統領は、テレビのインタビューで「不法移民と呼んだことを後悔している」と述べた。
 しかし、移民として認められる条件が法定されている以上、それに合致しない移民を「不法移民」と呼ぶことに何の問題もないはずだ。バイデン大統領の釈明は、「右顧左眄」と呼ばれても仕方がないだろう。

バイデン政権はあまりに性急に国境を開いてしまった?
 バイデン政権は、トランプ政権との差を強調するために、あまりに性急に国境を開いてしまったとしか考えようがない。そして、「国境までたどり着けば、何とかなる」という過剰な期待を、世界の人々に与えてしまったのではないだろうか?
 アメリカ人の選挙民には、「トランプの排他政策には反対だ。しかし、不法移民が引き起こした治安悪化も受け入れることはできない」と考えている人が多いはずだ。そうした人々は、大統領選でどのように投票すればよいのだろうか? これに対する明確な答えを、民主党側は用意しなければならない。しかし、これはきわめて難しい問題だ。
 「全面的に禁止」というトランプ前大統領の政策は、シンプルであるために、きわめて分かりやすい。それをどう評価するかは別として、それがどのような政策であるかは、誰にもすぐに分かる。
 それに対して、「トランプが作った壁が高すぎる」とし、「それをどこまで下げればよいのか?」という問題は、簡単に答えが見出せるものではない。答えが出せたとしても、それを理解してもらうことは、容易でない。
 全面的に禁止するわけではないが、かといって、無制限に自由にするわけでもない。その中間のどこかを選び、なぜそれが最適なのかを人々に納得させなければならない。民主党は、こうした困難な課題に直面している。


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