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『リープフロッグ』逆転勝ちの経済学 全文公開:第2章の2

リープフロッグ逆転勝ちの経済学が、文藝春秋社から刊行されました。
12月20日から全国の書店で発売されています。
これは、第2章の2の全文公開です。

2 IT革命が実現したアイルランドの奇蹟

「病人」が「虎」になった

 アイルランドは、1980年代の半ばから、それまで誰もが予想しなかった急激な経済成長を始めました。そして、アイルランドは、ヨーロッパで最も豊かな国の一つになったのです。この驚嘆すべき変化を形容するのに、「アイルランドがCeltic Tiger(ケルトの虎)に変身した」という表現が使われます。「病人」が「虎」になったわけです。
 アイルランドが急成長した要因としてよく指摘されるのは、法人税率の引き下げです。これによって海外から外国企業を呼び寄せ、成長を実現したというのです。
 こうしたことがあったのは事実です。ただし、法人税率を下げたからといって、必ず外国企業が集まるわけではありません。アイルランドで効率的な事業活動ができなければ、意味がないからです。アイルランド政府は第2次大戦以降継続して工業振興策をとっていたのですが、成功しませんでした。

インターネットの普及で、アイルランドがヨーロッパのITビジネスの中心に

 外国企業がアイルランドに来るようになったのは、アイルランドに欧州本部を置き、そこからヨーロッパ大陸の顧客サービスを行なうようになったからです。1985年のマイクロソフトを初めとして、アメリカの多くのIT関連企業が、アイルランドに欧州本部を設置しました。
 こうなったのは、90年代になってインターネットの利用が進展し、通信コストが大幅に低下したからです。80年代までの通信技術では、通信コストが高すぎて、欧州の端に位置しているアイルランドから大陸の顧客に連絡をとってサービスを提供するのは、不可能でした。しかし、通信コストの低下によって、これが可能になったのです。
 最初の形態は、コールセンターです。アメリカのIT関連企業は、コールセンターをアイルランドに置き、ここから欧州大陸の顧客へのサービス(技術サポートや営業)を行ないました。
 これが、アイルランドの成長の始まりでした。アイルランドの経済発展に伴って賃金が上昇するにつれて、コールセンター業務は、安い労働力を求めてインドに移動していきました。アイルランドでの活動は、付加価値の高いものに移行しました。
 具体的には、データ処理、データ入力等のバックオフィス的作業です。欧米の多くの企業が、バックアップ業務をアイルランドに移しました。
 さらに、会計処理や法律実務などの高度な業務が行なわれるようになりました。そして、「e-HUB」と呼ばれる高度な業務も始まりました。これは、世界中に広がる工場や支店の注文・在庫確認・発送指示などの対顧客業務のセンターを、アイルランドに集中しようというものです。こうして、アイルランドは、地球規模でITビジネスのハブ(中枢)になったのです。
 この結果、海外からの直接投資が大量に流入しました。金融業や保険業も進出してきました。アイルランドは、あらゆる業種や事業活動において、多くの企業の欧州事業中核地となりました。

リープフロッグのための理想的条件

 アイルランドの教育は、昔から高い水準でした。政府も、教育無償化政策などを行ないました。しかし、1980年代までは、高い能力をもった大学卒業者は、海外に移住してしまったのです。
 ところが、アイルランド国内で産業が発展したため、教育水準の高い優秀な労働力が意味を持つことになりました。彼らが、アイルランド国内で活躍できる可能性が生まれたのです。
 アイルランドでは、それまで国内産業が育っていませんでした。製造業では、製薬業以外には、めぼしいものはありませんでした。このため、外資と国内企業との利害調整の必要もなかったのです。産業がなく、しかも勤勉で教育水準の高い労働力が存在するという、リープフロッグには最適の環境にあったといえます。
 こうして、アイルランドはそれまでの農業型経済から、高度な技術を駆使する国際的サービス型経済へと転換しました。
 世界経済の大変化にうまく対応することができたために、工業社会の段階を経ずに、一挙に21世紀型の産業構造に生まれ変わったのです。つまり、リープフロッグしたことになります。

製造業に対する情報関連産業の比率が高いほど豊かになる

 産業構造の違いを、産業別就業者の状況によって見ましょう(図表2)。

図表2

 まず製造業の比率(A)を見ると、日本とドイツが高い値を示しているのに対して、アイルランドは10%程度と、低くなっています。アイルランドの値は、ドイツの場合に比べると半分程度でしかありません。なお、イギリス、アメリカも、アイルランドと同じように、10%程度の低い値です。
 それに対して、情報通信業の比率を見ると、日本とドイツは3%程度でしかないのに対して、アイルランドとイギリスでは4%を超えています。金融・保険業、専門・科学・技術サービス業についても、同じような傾向が見られます。つまり、日本とドイツは「ものづくり大国」であり、情報や金融には弱いということになります。
 ここで、情報通信業、金融・保険業、専門・科学・技術サービス業を、「情報関連業」と呼ぶことにしましょう。これらの産業の就業者の総就業者に対する比率(B)は、日本とドイツでは10%程度ですが、アイルランドとアメリカとイギリスは15%程度になっています。
 この数字と製造業の就業者比率の比を取ったものを「情報化比率」(B/A)と呼ぶことにしましょう。情報化比率は、日本とドイツでは0・6程度でしかありません。ところが、アイルランド、イギリス、アメリカでは、1・5程度の値になっています。
 情報化比率と一人当たりGDPの間には密接な関係があります。イギリスを除けば、情報化比率が高いほど一人当たりGDPの値が高くなっているのです。
 一人当たりGDPが6万ドルを超えるには、情報化比率が1を超えていることが必要です(ただし、イギリスの場合は情報化比率が1・664とかなり高い数値であるにもかかわらず、一人当たりGDPは6万ドルには達していません)。
 多くの人は、ヨーロッパでは「ドイツの一人勝ち」が起こっていると考えています。しかし、ドイツは、日本と同じく、世界経済の大転換に適切に対応したとは言えない国なのです。このことは、日本ではあまり知られていません。
 なお、OECD(経済協力開発機構)による「労働生産性の国際比較2019」によると、アイルランドの就業者一人当たりの労働生産性は、OECD加盟国中トップであり、21位である日本の2・2倍になっています。

IT革命はアイルランドに有利に働いた

 暫く前に、アイルランドの経済学者と話す機会がありました。彼は、「1970年代までのアイルランドの経済的地位の低さは、当時の産業技術の特性を考えると、当然のことだった」と言いました。
 人口が500万人に満たない島国では、自動車産業などの製造業が発展することは望みえません。それは、ドイツやフランスなどの産業大国の役割です。20 世紀型の産業構造において、アイルランドが貧しい島国にとどまらざるをえなかったのは、必然的な現象だったのです。
 そして、彼は、つぎのように言いました。「90年代に世界が変わった。そして、その変化は、アイルランドのような国に有利な変化だった」。
 確かに、世界が変わったのです。しかも、アイルランドのような国にとって有利に変わったのです。ITが登場しなければ、アイルランドの経済成長はありえなかったでしょう。
 80年代以降の技術革新は、主として情報技術の分野で起こりました。製造業はすでに成熟した産業であり、中国を始めとする新興国に移っていったのです。
 先進国の命運を決めたのは、このような流れに対応して、産業構造を情報分野中心に切り替えられたか、それとも製造業に執着したかです。前者に成功したのがアメリカ、イギリス、アイルランドなどであり、後者の方向を取ったのが、日本と、ドイツをはじめとするヨーロッパ大陸の大国です。

問題も生じたが、回復した

 ただし、アイルランドがいくつかの問題に直面したことも事実です。もともと若年層人口が多いうえに、東欧などから移民が流入したため、住宅需要が急増し、不動産バブルが発生しました。1992年から2006年までに、住宅価格は3・5倍近く上昇しました。住宅価格バブルが起こったのです。
 そして、2007年からの世界金融危機の影響をまともに受けました。住宅価格バブルが崩壊して不動産価格が暴落し、住宅着工件数は2006年のピークの1/8にまで減少しました。
 このため、銀行の不良債権が急増し、破綻の危機に瀕しました。大手銀行の一つであるアングロ・アイリッシュ銀行は、無謀な開発案件を多数手がけたため、深い傷を負いました。そして、公的資金注入という事態になったのです。株価も急落しました。また、外国からの投資も減りました。
 アイルランドの一人当たりGDPがリーマンショック後に減少しているのは、このためです。しかし、現在はすでにそれから回復しています。それは、最近の一人当たりGDPの急激な伸びを見れば明らかです。


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