【怪談】嫌いな理由
大学生の頃、チャット主体のコミュニティサイトで知り合った、関東在住の麻衣さんという同世代の女性と毎日のように話していた。
付き合っていた、というわけではないが、彼女の愚痴を聞いたり趣味の話を延々として、暇を潰していた。
会うつもりは毛頭なかったが、ある日「彼氏と別れた。明日そっちに遊びに行くから案内してよ」と言われ、暇だったこともあって、OKした。
翌日、二人で京都を散策していると流れるままにそういう雰囲気になって、京都市の外れにあるラブホテルで宿泊することになった。
洋館風の外観はそれなりに年季は入っていたが、部屋は綺麗だった。
ただし、部屋の中央に不釣り合いなものがあった。
巨大な食器棚が、鎮座していたのだ。
おそらくバーカウンターのようなものを作ろうとして頓挫したような、そんな趣。
引き出しを開けても何もない。
埃臭いままで何も入っていないと落胆して、下部の観音開きの取っ手に手をかけた。
食器棚の観音扉を開けると、横で麻衣さんが「うわ」と声を漏らした。
手のひらサイズほどの、薄汚れた小さいピエロの人形が置かれていて、何とも気味の悪い。
棚もそうだが、部屋の雰囲気とまるで合っていない。
それを手に取ろうとすると、麻衣さんが慌てて止める。
「やめなよ、気味悪いから」そう言われると自分も怖くなって見なかったことにした。
そこで二人とも気が殺がれてしまって、何をするでもなく、そのまま寝に入った。
寝つけず何時間かした頃、横で寝ているはずの麻衣さんから「そういえば昔ラブホで」と、こんな話をしてくれた。
当時付き合っていた彼氏と都内のラブホテルに泊まった時の話。
その部屋の天井は鏡張りで、少しうんざりした。
麻衣さんがシャワーを浴びている時、ふと視線を感じた。
彼氏かと思い、扉の方を見ると閉めたはずなのに戸が少し開いている。
その隙間から、じっとこちらを凝視する脂ぎった小太りの男がいる。麻衣さんはもともとそういう勘の強い人だったようで、驚きや恐怖よりも怒りが勝ったらしい。
「見てんじゃねえよ!」と叫んでタオルを投げつけた。すると、麻衣さんのヤンキー口調に驚いた風な顔をして、男は消えた。
そんなものを見た後でも、そういったものは見慣れていたし、金もない。彼氏は男を見ているわけでもないから伝わらない。部屋を引き払うことはせず、そのまま営みをはじめたそうだ。
当時の麻衣さんはあまり行為自体に乗り切れず、さっきの男に厭な気持ちもあったため、早々に演技で切り上げようと思った。
だが、思いのほか彼が頑張ったのか、彼女の言に借りれば「やっと気持ちよくなりそうな時なんだけど」、
ふと上を見た。
鏡張りの天井、鏡に映っているはずの自分や彼の背中が見えなかった。
代わりに、鏡の中に張り付いているように男がいた。
脂ぎった小太りの、さっき風呂を覗いてきた男が、能面のような表情でじーっとこちらを見下ろしているではないか。
それはもう、堂々と食い入るように自分たちの営みを見つめている。あまりにも気持ちが悪い。
男と目が合う。男の口角が少し上がったような気がした。
悲鳴を上げて彼を蹴り上げそうになるのを堪え、ぎゅっと目を瞑る。
でもへばりつくような視線は消えない。
さっと熱が引いていくのがわかる。
以降は、「早く終われ早く終われ」と念じたまま、彼が果てるのを待っていたそうだ。
「だから、私正常位嫌いなんだよ」って麻衣さんは笑った。
「上に時々いるから」と天井を指差した。
「もう一つ、これも怖かったな」とこういう話もしてくれた。
また、別の日。
今度は、彼の家で寝ていた時のことだ。
背中を向いたままの彼がつまらなくて、不貞腐れて麻衣さんも彼に背を向けた。
すると、後ろから腕が伸びて抱き寄せられた。
嬉しくなって振り向こうと思った瞬間、「違う」と感じた。彼の腕ではない。
その腕はぞっとするように冷たく白く滑らかで、明らかに彼の腕ではなかった。
彼女によれば、男の腕ではなかった。細くて華奢な指はどう見ても女性のもの。
それが、自分をぎゅっと脇の下から伸びて抱き寄せている。
麻衣さんは硬直してしまって、気絶するように寝入ってしまったという。
寝入る瞬間、自分や彼のものではない細い糸の束のようなものが顔を撫でていったのだけわかった。
余談だが。別れたと聞いていた彼氏とは実は別れておらず、そればかりか彼にお金を借りていたという。
ホテルを出る時、「あんなのがあったからする気が失せるけどマジで何もしないとは思わなかった」と膨れていた。
「手を出してたら、彼に借りてた金肩代わりさせようと思っていたのに」
それ以降、麻衣さんとメッセンジャーアプリで時々話すことはあっても、会うことはなかった。
彼女が件の彼氏と結婚すると聞いた後は、やり取り自体もなくなった。
ピエロの人形様様である。
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