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The Man

「撃てよ」
 身体を撫でる風が鬱陶しい。
 激しい嘔吐感にむせたくなる衝動に駆られ、素直に従う。
 胃液と鉄が混じり合ったような、とんでもなく胸糞の悪い味が口一杯に広がる。
 俺は思った。
 全く、ついてない。
 目の前のガキを睨みつけた。薄ら汚れた子供が、黒い鉄の塊を握り締めていた。銃口はこちらに向いている。
 少女、と言ってもいいガキは、全くもってガキらしくない表情を浮かべ、未だ硝煙の立ち昇る銃を構えたままだ。
「満足か?」
 精一杯の気力で、途切れ途切れになりそうになる言葉に力を込める。それだけで、どてっ腹に空いた空洞から命の素が流れ出ていく気がする。それも、急速にだ。
 全く、ついてないね。
「お前が――お、おおおお前が……!」
 ガキは息を詰まらせながら、呪詛を吐き出す。
 本気で子供には程遠い顔をしてやがる。腹を押さえた手のひらを、絶えずぬるりとした感触が浸している。
 それも段々薄れてくるのは、その時が刻一刻と近付いている証拠だ。
 力が入らないから、スーツに入っている葉巻を咥えて最期を迎えるような、格好もつかない。
「なぁ、ガキ」
「……」
 返事はなかった。憎しみからくる憤怒が、彼女の顔を支配している。
 俺は、ほんの一月ほど前、こいつの親父をこいつの目の前で殺した。
 後悔はしていない。それが、俺の仕事って奴だからだ。そんなことを生業にしているクソッタレに狙われる奴は、総じてクソッタレだ。
 ビルが建ち並ぶ十字路で、俺はこいつの親父を殺した。
 サイレンサーを装着した銃で、通りすがり様に胸を撃ち抜いた。
 俺は狙撃を技能にしているわけじゃない。はっきり言って、精緻な遠隔射撃は苦手だ。だからいつも、目的と通り過ぎる時に、殺す。
 非効率だとわかっちゃいるが、逃げ足の速さだけは自信があるし、顔もだいぶ変えた。
 それが、この様だ。
「悪いとは思っちゃいないぜ」
「この……!」
 銃声。
 今度は意識ごと持ってかれそうなほど強烈な衝撃で、足が片方吹っ飛んだのがわかる。
 ああ畜生、ついてないね。
 このガキはきっともう、落ちるだけだ。
 俺が落としただけだが、そのことに関しては、少しくらいは良心の呵責を覚える。
 これから彼女はそっちの腕を身に着けて落ちぶれるか、薄汚れた男に抱かれて絶望し堕とされるか、だ。
 もう俺には関係のないことだが、全く俺らしくない。
 一つだけラッキーなことは、だな。
 むさいおっさんに殺されるなんて真っ平御免だった、ということだけだ。
 愛くるしい金髪の、可憐な少女に撃ち殺されるだなんて、神様ってロクデナシも粋な計らいをしてくれやがるぜ。
 何だっけ、あの映画。
 レオンか。
 面白いよな、あの映画。
 だがあんなもん、クソッタレだ。あんなうまく行きっこない。
 まぁでも、くだらないハリウッド映画みたくヒーローにならないだけマシか。
 いや、それも負け惜しみか。ハッ、俺も落ちぶれたもんだよ。
「なぁ、嬢ちゃん」
 吹っ飛んだ足から血が噴き出るシュールな光景に笑いを噛み殺して、俺はガキを見据えた。
 相変わらず答えはなかった。それでも構わずに、続ける。
「お前の親父、さ。ろくでもない奴だったんだが、いい父さんだったか?」
 ガキは目を見開いた。憤怒に燃える双眸が、瞬く間に悲哀に塗り変わっていく。大粒の涙が零れ落ちて、少女の透明な雫が汚れた俺の赤に混じっていく。
 何故だか俺はそれを見て、ああ綺麗だ、と思った。
 もうすでに手足の感覚はない。吹っ飛んだ足もあるんだかないんだか、よくわからない。
 痛みもない。大声で笑い出せそうだ。
 ガキは歯を食いしばったまま、小さく頷いた。俺は口元が綻ぶのを止められず、その拍子に血の塊を、数十万もしたサヴィル・ロウのスーツにぶちまける。すでに大量の血を吸っていたダークグレーの生地は、新しい汚れをつけたところで、さして変わらない。
「そうか」
 俺は、小さく笑えたかどうかも定かじゃない。
 ずるり、と腹に押さえていた手が大地を叩く鈍い感触がする。目もかすれてきて、よく見えない。強制的に目を塞がれたように、視界が暗転した。
 みっともなく痛がり転げまわらなかっただけ、上出来だ。
 最期に一つ、ガキに言ってやらないと格好良くない。
 俺はこう見えて、伊達男さ。
「そいつは悪いことをしたな」

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