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小さなたくらみ

「ほら、もう寝なさい」

階段下からのお母さんの声に促されて部屋の電気を消した。

勉強机に読みかけの本を置き、窓の外へ視線を向ける。

白い窓枠に切り取られた外は濃紺。
キラリと小さく星が見える。

わたしはベッドに潜り込んだ。
まだ眠くないし寝てはいけない。

小学生のわたしはいつもよる8時過ぎには寝るよう促されて、大体はおとなしくベッドに入る。

時々は読んでいる本から目を離すことができずに、部屋の明かりを消してベッドの中にライトを持ち込み、本を読み続けることもあった。
もちろん見つかって取り上げられてしまうこともある。

今日は本もライトも手には持っていない。
でもどうしても起きていたい理由があった。

今日、どうしてもだ。

窓の外を見たとき星が見えていた。
濃紺の空は晴れているようだった。
夜中でも晴れていると言っていいのかわからないけれど。

この日をずっとずっと待っていた。
本を読んではカレンダーを確認しながら。

その頃のわたしは月に3冊ずつ増えていく本を楽しみにしていた。特にかがくの本だ。
わたしを虜にしたその「かがくのとも」は星座について書かれたものだった。

田舎の真っ暗な夜はよく星が見える。
空を見上げてきれいだなあと思っていたものに名前がある、しかも物語がある、と知ったときの感動は初めて宝石箱を手に入れた気分だった。
とびっきりに輝く宝石が入った宝箱。

「かがくのとも」で解説されている星や星座の話をじっくり読み、夜空を見上げて確認していくことも楽しかったし、星座にまつわる神々の話を図書館で探しながら、興味が惹かれるままに読んでいく。もっと小さな頃に読んだ月と太陽の絵本もまた読み返してみたり、とにかく星座とその神話に浸たり楽しんでいた。

「かがくのとも」の星座の話で一際わたしの興味をひいたのが流星群だった。

それは真夜中、あるいは未明にかけて見られるもので、小学生のわたしには見られない時間帯におきる。

解説されている流星群が来る時期をみて、その見られる時間帯を確認しては、恋も知らぬが恋する乙女のようにため息をつく。

そんな中、わたしにも見られるかもしれない時間帯の流星群を見つけたのだった。しかも家の中から!

なんてすごいチャンス!

問題は、やはり時間帯だ。
流星群なのだからどうしてもよるだ。ひるに見られるわけではない。どう考えても小学生のわたしが普通に見られる時間帯ではないのだ。
だってよる8時は「もう寝なさい」と言われる時間だから。

よる遅くまで起きているのが許されるのはとっても特別な日だけ。

夏休みや冬休みの、よるの時間に大好きなアニメがテレビ放送されるときくらいだ。普段見るような30分で見られるアニメではなく、2時間とか、そういう長いアニメ。
それだけは、どうにかお願いして見させてもらえるようになった。物凄く特別なよる。

わたしがもっと小さな頃、そう言ってもちょっと前の話だけれど、1階の部屋で寝ていた頃、テレビのある居間との間にはドアがあった。

なかなか眠れなかったり、途中でトイレに行きたくなって目を覚ましたときに、お父さんがテレビで映画を見ていることがあった。
金曜日のよるや日曜日のよる。決まってよるだけだ。

物語が大好きなわたしは、たまたま起きたときにテレビの音が聞こえてきたら、こっそりドアのすき間から、お父さんやお母さんに見つからないように気をつけながら画面をのぞき見ることがあった。

とてもグロテスクな物が映っているのを見てしまったらその後怖くて眠れなくなってしまうこともあったから、とても慎重に慎重に、画面をのぞき込んだ。

よる遅くに起きているのが見つかったらきっと怒られる。
でも画面に映し出される映像がとっても気になる。

見つからないように、怖いものを見ないように、とてもドキドキしながらのぞくドアのすき間。
普段いい子と言われることが多かったから、ちょっと悪い子になりたいような気持ちもあって、ドアのすき間をのぞくことが楽しかった。
怒られないようにこっそりと。

そのことを思い出して、もしかしたら流星群が見られるんじゃないか、見てみたい、見てやろう!という気持ちになったのだった。

その日は幸運にもすっきりと晴れていた。
学校へ行く前、あさご飯を食べているときに流れていたニュースでも今日は流れ星が見られると言っていた。

そわそわしていたが、お父さんにもお母さんにも、兄弟にも気づかれないようにその話には触れない。

いつも通りをよそおって「いってきまーす」と学校へ向かった。
その日学校でどんなふうに過ごしたかなんて全然覚えていないけれど、学校から帰るとすぐに「かがくのとも」でおさらいをはじめた。

12月の今日よる11時ころから東の空にふたご座流星群が見られる。

家の東側には高いところと低いところの2箇所に細長くて大きな窓がある。
低いところの窓は1階にあり、居間を通らないと行くことができない。
高いところの窓は2階に上がってすぐのことろにある。
そこは階段の下からのぞき込まなければ見えない場所。
2階は子ども部屋。

よるの11時なら兄弟はみんな寝ているはず。
お父さんとお母さんはまだきっと起きている時間。
きっとよるのニュースを見たり何かしら起きているはず。

見つかったらきっと怒られる。

怒られ慣れていない私は、親から怒られるということにとても恐怖心を持っていた。小さな頃からお行儀よく、ちゃんとして、と言われ続けていたし、お母さんの言うことを聞かない兄弟はよく怒られていた。
怒られるのだけは怖い。絶対に見つからないようにしなくちゃ。

お母さんから寝るように声をかけられてからベッドに入ってはいたがどうにも落ち着かない。
憧れの流星群が見られる、見つかって怒られたらどうしよう、ちゃんと流れ星が見られるのか。

時計に目を凝らしながら時間が過ぎていくのを静かに待っていた。

よる9時を過ぎた頃、たまらなくなって、そっとそっと部屋から這い出し、階段のそばまで行ってみた。
両親は起きている。気づかれないようにそっと窓のそばに近づき窓にぺったりと顔をくっつけてふたご座を探した。

2つ並ぶ明るい星はすぐに見つけられた。
ポルックスとカストロ。

ふたご座の輝く兄弟星を見つけられて安心し、もう一度両親の気配を確認してベッドに潜り込んだ。

外はとても寒いようで、窓を触ると指先も鼻の頭もつんとした。息で窓が白くなった。
窓一枚隔てただけで全くの別世界なのだ。家の中はとても暖かく穏やかで、外のつんとする寒さに震えることもない。
寒い日の星はとても美しく輝くのだとも書いてあった。

期待が高まりむねがどきどきする。
あともう少し、じーっと静かに待っていよう。

そしてようやくよる11時。
さっきのぞきに行ったときと同じように、そろそろとベッドから起き出し、音を立てないように静かに窓の近くに行った。
まだ1階の電気はついている。どうか見つかりませんように。そう願いながらゆっくりと窓にくっついた。
おでこがつんとする。

少しだけ右に動いていたけれど、ふたご座はすぐ見つけることができた。
さあ、きらきらひかる流れ星は見られるんだろうか。

1階の気配を気にしながらずっと窓から目を離さずにじっとふたご座を見つめる。
おでこと鼻の頭がじわじわと冷たくなる。
それでも目を離したすきに流れ星がこぼれてしまいそうで身動きが取れない。
次第に冷たさには慣れていった。窓にかかる息で窓が少し温まったのかもしれない。

背中やからだの後側は1階に引っ張られるように見つからないように気をつけながら、窓越しに空を見続けどれくらいたっただろう。

ふたご座の兄弟星の左上をすぅっと光が流れた。
わぁ!流れ星だ!ふたご座流星群の流れ星だ!
数センチの光が流れた。
やった!やった!!やった!!!

一気に気持ちが惹き付けられた。

目を大きく見開き、さらにぐっとおでこを窓に強く押し当てた。
最初に見つけた1つめから程なくいくつもの光が流れてすっと落ちていった。ふたご座の周りでいくつも光が流れて消えた。
見たかった流星群が私のものになったような高揚感。
もう1階の気配を気にしていられなくなっていた。

30分位窓にぴったりくっついて流れ星を見ていたのだけれど、幸いなことに親に気づかれて怒られることはなかった。

安心と満足感と高揚感を抱えて三度ベッドに潜り込みしあわせな気持ちで眠った。

ふたご座流星群を見たしあわせな気持ちを忘れていない。
大人になった私は、その後天体観測をするでもなく仕事で忙しくしていたが、ニュースで流星群が見られると聞くたびに胸踊った。

その日も深夜にペルセウス座流星群が見られると聞いて、とても嬉しくなっていた。土曜の夜なら仕事に支障もない。

私の部屋の窓の位置はおあつらえ向きとは言えない北向きだったが、窓のそばに長椅子を置いて腰掛けた。

「私、子供の頃にも流星群を見たくて窓からじっと見ていたことがあるの」
隣に座る彼は優しい微笑みを浮かべながら私の話に相槌を打つ。
「今日は流れ星いくつ見れるだろうね」
彼が楽しげに窓越しに星を探している。
その横顔をみて私も微笑む。

窓の縁にふたりで肘をかけ顎を乗せた。

流星群はまた私にしあわせな気持ちを運んでくれた。
きらきらひかる宝石箱は今も胸の奥にしまってある。

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