宮下奈都『太陽のパスタ、豆のスープ』

 今まで生きてきた軌跡に、自信が持てない方にお勧め。
 「何かやらなきゃ……」と火をつけてくれるのだが、それがよくある自己啓発本みたく、火炎放射器で無理やり着火するようなものじゃないのが、この本の良いところだと思う。
 今の自分には見えないのだけれど、身体の芯に埋まっているろうそくに、燈を灯してくれる、そんな優しさに溢れる小説である。

p19.
 鍋を買いに行く約束だった。ずっと実家にいてろくに料理もできない私に、とっとと家を出て料理学校にも長く通っている京が料理を指南してくれることになっていた。
 まずは鍋、料理なんていい鍋さえあればなんとかなるのよ、と彼が熱っぽく語るので、それならまずはそのいい鍋から教えてもらおうかと思ったのだ。よりによって今日がその約束の日だったなんて。
p22.
 譲さんとの結婚はなくなった。二年もつきあっていたのに、僕たちなんだか合わないみたいだね、だって。何を今さら! 合わないなんてことなんかはじめからわかっていたはずだ。合わないふたりがなんとかうまくやっていくのが創意工夫の見せどころなんじゃないのか。
p32.
 話はするよりされるほうがむずかしい、とはよく聞く説だ。なるほどこういうことだったのかと思う。話すほうには、これから話す内容について当然ながら心構えがある。聞く側にはない。寝耳に水の話をされて、さてどんな反応をするか。それでその人の度量、人間性みたいなものがわかってしまう。
p47.
「さー、動こうかなー」
 その声がむなしく響いて余計に寒々しい。ひとり暮らしを始めると独り言が多くなるという。今のはもしかしてその第一歩だろうか。こうして私は独り言をぶつぶつもらす女になっていくのだろうか。
p56.
 前を向いていよう。そう思えたのは、つい昨日のことだ。京の待つ美容院に向かう電車の中で、私は顔を上げていた。ふと、暗い窓に映る自分の顔を見て、今私はちゃんと顔を上げている、と気がついたのだ。そんなふうに意識したのは初めてだった。これまでの人生、いいときも、悪いときも、顔を上げていたかどうか気にしたこともない。これまではそれでなんとかなってきた。だけど、顔を上げている、という自覚が必要なときもある。顔を上げて、前を向いていよう。それだけで気持ちを鼓舞することができる。これから髪を切りに行く高揚感も力を貸してくれたのかもしれない。やりたいことをやる、とリストに書き込んだ瞬間から続いていたらしい、あの高揚感。もしもこの高揚がいっときのものだとしても、うつむくのはよそう、前を向いていよう、と心に決めたのだ。
p60.
「おいしいものをつくろうと思ったら、まずはいい素材。次に鍋。それから作り手の技術と愛情」
p74.
 二十何年間もやりたいことをやらずにどうしてきたというのだろう。やりたいようにやってきたはずだった。それなのに、やりたいことをやったという自覚がない。そもそもやりたいことが何なのか、具体的に思いつくこともできない。何ともったいない人生だったろう。
p91.
「大事なことを話そうとすると、身体に力が湧くのね。マッサージをしているとそれが手にとるようにわかるのよ。あなたの身体が反応したのは、食べもののことを聞かれて答えていたとき。つまり、あなたは食べ物を大事に思って生きているということ、あるいは大事にしていくといいということ」
p94.
 失恋して、いろんな感情を知った。悲しいとか、寂しいとか、悔しいとか、憎らしいとか、恥ずかしいとか、たまにちらちら降ってくるものだと思っていたそれらの感情は気づかなかっただけで私の中に眠っていた。いったん目覚めた感情の源泉は、ごちゃ混ぜになって噴き上げる。譲さんのことを思うと激情に飲み込まれ、悲しいんだか悔しいんだかさえよくわからなくなった。こんな感情を持て余す自分に胸を張るのではない。ただ、失恋をせず、自分の中の感情にも気づかず、のほほんと暮らしていれば胸を張れるわけでもない。悲しみのあまり取り乱してしまう人も、憎しみをじっと堪えている人も、もはや他人事じゃない。ときには激怒したり、恥ずかしいことだってしてしまったり、いろんな感情が私の中にも、そして隣にいる誰かの中にも潜んでいるのだ。それを知っただけでも失恋の価値はあるってもんじゃないか。
「失恋してきれいになるのよ、女は」
 そう囁いた桜井恵の目。黒く光って吸い込まれそうだった。同性ながらほれぼれした。
p118.
「お豆、売ってるんだね。ええと、ひよこ豆にレンズ豆。虎豆。大福豆。かわいい名前をつけてるんだねえ」
「私がつけたんじゃなくて、ほんとにそういう名前なの」
 郁ちゃんが楽しそうに笑う。私はお豆の袋をひとつ取り、軽い気持ちでラベルを読んだ。陽射しがまぶしくて、目がちかちかした。
 手描きのラベルには「豆はおいしい」と大きく書いてあった。思わず笑みがこぼれる。そうだ、郁ちゃんはお弁当によく煮豆を入れてくる。売るほど豆好きだとは知らなかったな。
 それから一段小さく書かれた文字を読んだ。
 豆はおいしい。
 豆は安い。
 豆は保存がきき、楽しく料理ができて、からだによい。
 もっと小さく書かれた字も読んだ。
 世界中の人がこぞって肉を食べれば食糧危機は深刻になるばかりだけど、
 豆なら大丈夫です。
 世界中の人が満ち足りた食事ができるように。
 楽天堂・豆料理クラブの願いです。
p119.
だけど、私は話さなかったんじゃなくて話せなかっただけだ。話すことがなかった。郁ちゃんと私は、一粒の豆を見て考えることの深さがこんなに違っていた。普段の職場でも、たとえば商品のロンパース一枚を取ってさえ、郁ちゃんと私とでは視点が違っていたのかもしれなかった。
p135.
 やりたいことをやる、とか、新しく始める、とか。そのときはいい思いつきだと思って書くのに、後で見直すと首を傾げたくなる。豆だってきっと同じ道を辿る。やりたいことも新しいこともぼんやりしている。豆なんてなおさらだ。
 やりたいことならどんどんやればいい。誰にも何にも止められていないんだから。それなのに、やらない。せいぜいル・クルーゼを買って悦に入るくらいだ。洋服を買いまくったり、旅行に出たり、リストアップされたそういうことを、片っ端から片づけていこうか。私の人生はもう少し充実するだろう。少なくともワードローブやデジタルカメラのメモリーは今より充実するはずだ。
p141.
 だけど、ほんとうにそうなのか。このままで正解なの? 目標もやり甲斐もなくたらたら働いていいのか? 誰も答えてはくらない。わかっている。誰にも答えようがないのだ。わたしがじぶんで考えて自分で答えるしかない。
「なんだ、どうしたんだあすわ、次のが焼けるぞ」
 結婚で辞めようとは思っていなかったけれど、出産したら辞めてもいいと思っていた。ずっと昔の話のような気がする。結婚も出産もなくなって、辞めようがなくなったら逆に辞めたくなってしまった。辞めないまでも、もっと真剣に仕事のことを考えたくなった。
「豆を探したいんだよね、あたし」
「枝豆か? ビールにはやっぱり」
「どんな豆かがわかれば苦労はないんだけど。ああ、あなたはどんな豆を探してるんだろう」
「もう酔っ払ったのか、あすわ。うわ、顔赤っ」
「ううん、豆っていうか、豆の形をした何か。豆形のーー生きる道筋っていうか」
「どんな豆だよ」
p159.
「娘の友達を大切にしてくれる、つまりは娘を大切にしてくれる、それがあたりまえだと思ってるんでしょう。ところがそんなのぜんぜんあたりまえじゃないの。あすわは恵まれてるの。しあわせなの」
p160.
「かわいがられて育った子は、すでに自信を持っているの。自分で気づいていないだけ。あすわがそこにいていいって無条件に思っていられるのは、自信があるからなのよ」
p172.
いずれにせよ、明確な項目を挙げなければ、迷走するばかりだ。
 リストだって同じだ。細分化して具体的な項目にする。それを片っ端から片づけていこう。
p187.
「あすわは見どころあるよ。だって、リスト作るときに、最初から書き方知ってたもん」
「書けって言われたから書いただけだよ。書き方なんて知らなかった」
「でもさ、やりたいことリストって言うと普通はみんな、きれいになりたいとか旅行に行きたいとか書くんだよ」
 私も書いた。きれいになりたいとか旅行に行きたいとか。
「でも、あすわは違った。はっきり断定形で、きれいになる。旅行に行く。鍋を買う。そういうふうに書くのが実現する秘訣なのよ」
p197.
「……嫌だなあ」
「ふん?」
「なんで、みんながんばるの」
 会社でがんばって、家でがんばって。京が、郁ちゃんが、それからたとえば桜井恵が。みんなそれぞれの場所でがんばっていた。母はイタリア語を勉強している。ここで兄にまでがんばられちゃうのは、なんだか嫌だ。兄がうだうだしていてくれるから、ほっとしていられたようなところもあったのだと今になって思う。
「なんか、すごく焦るよ」
 私はスプーンを置き、早口になった。
「私だけ一歩も動けないで、どんどん取り残されて。もう、人より十年くらい遅れてるような感じがする」
「うん」
 ロッカさんは二杯目のスープを平らげると、
「二十代はみんな焦るよ」
 なんでもないことのように言った。
「焦らなかったら嘘、ってくらい焦るよ」
p202.
「……豆を売って利益を得るのは郁ちゃんだけじゃないんだ。豆を買った人にも利益を与えることになるんだな。よろこびとか楽しみとかおいしさとか。考えたこともなかったようなことを考えるきっかけになったり」
p204.
 お金の使い方って、つまりはその人を表すことになるみたいだ。何にどれだけお金を使うかにその人の人生が現れるような気がしたのだ。郁ちゃんが豆を売って得るお金と私の銀行預金。それらを経済と呼んでいいのかわからないにしても。
p205.
「カラマーゾフは最初の四十ページを飛ばすんだよ。そうしたら急激に面白くなるから」
p.210
「あら、だってまず自分のことをかわいく、いとしく思えなかったら、まわりの人をいとしく感じることもできないんじゃないかしら。まずはあなたがいちばんにあなたのことを信じてあげるのよ」
p.211
「リストなんてやめたほうがいい。リストって反面教師なのよ。たとえば、克己って書く人は、自分を克服していない人。今日やれることを明日に延ばすな、って書く人はいつも明日に延ばしちゃう人でしょう。自分の気になっていること、自分にはできないことを挙げるのね。つまり、不可能リストなの。そのリストに書かれているのはすべてあなたの弱点だってこと。ほんとうに大事なこと、どうしても守りたいものは口に出したり紙に書いたりしないほうが賢明なんじゃないかしら」
 不可能リスト。ーー静かな雨が、窓の外の景色をねずみ色に変えていた。
p.215
慣れ親しんだ仕事って淡々としたものだ。すっかり手懐け、手懐けられてしまって、刺激からも面白味からも程遠い。
p.216
 お昼は郁ちゃんと食べに出ることにした。これまでなら、いつも通りみんなで会議室で食べていただろう。休み明けにはお昼ごはんを食べながら休み中の報告をするのがなんとなくのお約束になっている。ちょっと聞きたいことがある、と社内メールをおくったら、じゃあお昼にカトレアどう? と返ってきて拍子抜けした。金曜を待たずふたりでランチに出る日を作ってもらうつもりだった。そっか。今日でもいいんだ。食べたいときに食べたい人と食べに出る。簡単なことだったんだ。これまでの私は職場で特定の人と親しくなりすぎないよう予防線を張っていた。職場の顔は職場の顔、みんなにそつのない顔をして、親しくならないよう、深入りしないよう、自分で世界を狭めてきた。
 だから今頃罰を受けている。入社六年目にして仕事は単調だし、休み明けに郁ちゃんとふたりでランチに出ることさえ、他の同僚の目を気にし、算段している。つまらない会社員だと自分でも思う。でも、ごめん、罰なら今度にして。今は私、忙しいから。
p.219
「でもね、ピンとくる必要なんてないんじゃないかな。そう思いたいよ」
「どうして」
「ピンと来るのは最後の一歩っていうか。準備が整ったところでやってくる天啓みたいなもんなんじゃない? 準備のないところに突然天啓はこないだろうし、来ても受けとめられないし。天啓は来なくても、ひらめきがなくても、じわじわわかっていけばいいんだよ」
p.221
「あすわって、そういうところ、ほんと親切なんだよね。人の間違いを正すのってすごく勇気がいるじゃない。現に私は気づかないふりをした」
 だって、誰かが教えてあげない限り、あの子はきっと一生間違えたままだ。いろんな人に少しずつ間違いを正してもらえる私はラッキーだったけれど、みんなが私みたいに恵まれているとは限らない。譲さんにもほんとは感謝しなくちゃいけないんだと思う。
婚約破棄が間違いだったんじゃなく、婚約が間違いだったんだ。この頃はようやくそんなふうにも思えるようになった。
p.237
 つまるところ、売りたいものを売る、それが気持ちのいい仕事の鍵なんだと思う。青空市は仕事ではないけれど。もしも私が自分で仕事を始めるなら、ほんとうに売りたいものを売ろう。

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