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17年ともに生きる、愛犬へ。

愛犬との出逢い。
それはまだ私が18歳の頃のこと。地元の新聞の“”譲ります“”のコーナーを観ていた。子犬が産まれました、柴犬ですの文字に心が揺らいだ。母と妹と、愛犬を残し家を出てから数年が経ち、私達家族には笑顔が少なかった。そこで、母も妹も私も満場一致で子犬を譲り受ける覚悟を決めた。


母子家庭になって4年、母も女手ひとつで妹と私を育てる真っ只中、きっと自分の時間なんてこれっぽっちもない程仕事に明け暮れていたのだろう。2つ違いの妹は、高校1年生だった。私とは真逆で美容に興味があった妹は、エステ科としての学生生活をスタートしたばかり。

母の運転する車で、その場所へと着いた。
ドキドキドキドキ、期待で胸の高鳴る音が聴こえた。


玄関先、家のお庭に案内された。
そこには、母親犬のお乳を飲む子犬の姿があった。茶柴の子と白と黄土色まるでカフェラテ色の子、2匹ともメスの子だった。
“”どちらも女のコなんですよ。男のコはもう貰われちゃって。“”と。

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そうして、
“”おいで、おいで~“”と呼んでみた。すると、茶柴のコは怖がりなのかお母さん犬から離れなかったけれど、カフェラテ色のコはぴょんぴょこぴょんぴょここちらに駆け寄ってきた。

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当時ガラケーで撮った写真なので画質はボケてしまっているけれど、こんな風に初めて会ったのにこのコは、キラキラ輝いて見えた。
母親と、
“”どっちのコがいい?“”と話すと、二人ともにカフェラテ色のコを選んだ。今思えば、子犬の時期にお母さんと離れて寂しかったかな?ごめんね、と想う。
それから家に着くまで、私の膝の上に子犬を乗せて家へと連れて帰った。少し車酔いをしたみたいだった。

そうして、ちょっと不安そうな顔の子犬を抱いて、家の庭先へと座った。

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そう、そんな真冬の快晴の12月24日クリスマス・イブの日、愛犬は家にやって来た。

どんな名前がいいだろう?
私も母も妹も、悩んでいた。けれどある時、庭先に座り子犬を抱きながら私は想った。“”私達家族は心にいま元気がない、笑顔も少ない。そんな私達家族のもとに来てくれたこの子には、この家の中に笑顔が少しでも咲くように“”愛の鈴“”を鳴らしてほしいな“”と。

そうして、
この子の名前が決まった。

“”愛の鈴“”、と書いてあいりん。
その日から、愛鈴は私達家族に笑顔をもう一度教えてくれた。

愛鈴と過ごす日々は、ほんとうにキラキラしていた。
トイレの場所を教えるために、覚えるまでは部屋中に新聞紙を敷いていた。トイレを新聞紙の上でしようとすると、すぐ抱えてトイレへと愛鈴を運んで、そうやって少しずつトイレの場所も覚えていった。

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こたつ布団の綿を、遊んで引っ張り出したり、人間の赤ちゃんと一緒で何でも噛もうとしたり。ぬいぐるみのようにコロンとしていた時期は、母が仕事から帰ると、玄関先で母の鞄の中に入るのが大好きだった。

そんなある日、
子犬だった愛鈴と2段ベッドで遊んでいた私と妹。普通に戯れて遊んでいたら、何にもわからない愛鈴は2段ベッドからぴょーんと飛び降りた。
“”愛鈴!!!“”
私も妹もびっくりして、愛鈴に駆け寄った。すぐに病院へと行き、前足が骨折していてすぐ手術になった。

手術が終わり、小さな体でしっぽを振って喜んだ愛鈴を見て、私達はただただ“”ごめんね。無事で良かった。“”と伝えた。けれど手術の時の後遺症で発作が起こるかもしれないと、お医者さんから言われた。その時私達はつよく誓った。愛鈴もひとつのいのちなのだから、目を離さずちゃんと見ていてあげなきゃいけないんだと、深く深く反省した。

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それからも、毎日愛鈴との写真は携帯の中を彩った。
ある時は枕をカミカミする愛鈴を、

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ある時は、美味しそうにガムを食べる愛鈴を、

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ある時は、じゃれあいの中で楽しそうな愛鈴を、

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この愛鈴の笑顔を、最後まで私達は可愛がるんだ、守るんだと私はつよく胸に誓った。

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そうして、
すくすく育っていった愛鈴。

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愛鈴は、お風呂が苦手だった。雨降りの散歩も苦手だったから、私達はどうしたら克服出来るかなぁと、ちょっと悩んでいた。
犬用のレインコートも試してみたけれど、やっぱり何かを着るとゆうのは勝手が悪かったみたいで無理だった。

病院に行くだけに車に乗っていたから、車も苦手だった。
ある日、私は母に話した。
“”病院以外の、どこか楽しい場所に車で行ってみない?“”と。
そして、初めて車に怖がる愛鈴を乗せて、車で10分くらいの臨海公園へと向かった。

すると、愛鈴は自ら車を降りてしばらく歩くと、本当に楽しそうな顔で走り回っていた。

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砂浜に降りると、
本当に楽しそうに穴を掘ったり走り回ったり、

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何度目かの散歩の時には、真夏だった事もあり海辺へと近づいて波と戯れていた。

水が苦手だから中には入らないだろうと思っていたら、

ポチャポチャポチャ・・・水の音。

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愛鈴が、水を好きになった瞬間だった。本当に楽しそうに泳いでいた愛鈴を見て、子供の時補助輪を外して、何度転んでもめげずに自転車に乗れるようになった日のことを思い出した。何かが出来るようになったり、ちょっとした奇跡ってこんなにも嬉しいことなんだなぁ、と。

それから、
“”く・る・ま“”とゆう単語を覚えた愛鈴。
車に乗れると、この笑顔☻

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海を泳いだ後はお決まりで、体中が潮辛くなってるのでペットボトルに用意しておいた水で体を洗って拭いていた。

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そうして、
妹が福岡の専門学校へ旅立ち、それと同時に千葉に長年暮らしていたおばあちゃんが故郷宮崎へと帰ってくることになった。
一緒に住むことになったおばあちゃんが唯一心配していたこと、それは犬が苦手なのにひとつ屋根の下一緒に住めるのか、とゆうこと。

最初は、本当に側を通るのもやっとかっとだった。
そんなおばあちゃんと愛鈴が、どうやって距離を縮めたのか、、、

本当は人間の食べものはあんまりやらない方がいい。それは分かってはいたけれど、おばあちゃんが甘いものが好きであんこの入ったお饅頭を食べていると、何故か愛鈴はおばあちゃんの前に来ておすわりをした。おばあちゃんが手のひらに少しのあんこを乗せて、愛鈴に差し出した。そうしたら、ペロペロと舐め始めた。

それが初めての、おばあちゃんと愛鈴のスキンシップ記念日だった。

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そんな風に、おばあちゃんと愛鈴は食べ物で距離を縮めていった。愛鈴もおばあちゃんの事が大好きになり、おばあちゃんも雪解けのように少しずつ、愛鈴を好きな気持ちの方が日に日に大きくなっていった。

そうして、
そんなある日。
元気でどこへでも1人で出かけていたおばあちゃんが、いつものようにトイレへと歩いていく途中、ふらっとしたかと思ったらその場に倒れ吐血した。
“”ばあちゃん!!“”
私は、慌てふためいてどうしたらいいのか一瞬わからなくなった。
我に返りすぐ、母親と救急車へ電話をかけた。

数十分後、救急隊の方達が先に駆けつけてくれた。
状況を聴かれ、救急車に乗り病院へと行き母親と合流した。
すぐ検査が行われ、検査結果が出て先生へと呼ばれた。

“”胃がんの末期です。余命は医者の言った通りになる訳ではないけれど、1年くらいかと想います。“”と。

それから、
入院をして下さい、と言われて入院はしたけれど、入院してすぐ“”帰りたい“”と言ったおばあちゃんの気持ちを1番に想い、私達は在宅介護を決めた。

しばらくは今まで通り過ごせていたけれど、貧血になると階段さえ登れなくなった。そうなった時だけ病院に行き輸血をして貰った。
今想えばその時おばあちゃんが輸血出来ていたのは、献血をして頂いた方達のお陰だったんだと想い、ただただ感謝の想いが込み上げる。献血をして頂いて本当にありがとうございました。

そんなある日、
おばあちゃんと愛鈴とドライブをした。助手席に乗っているおばあちゃんの膝の上、ドライブを楽しむ愛鈴。
まさかこんな日が来るなんて、、、

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嬉しかったなぁ。
あんなに犬を怖がっていたおばあちゃんが、膝に愛鈴を乗せて笑っている瞬間、愛しい小さな記念日だった。

そうして、
季節は春に。おばあちゃんは車に乗っても、自分の体を支えられなくなっていた。けれどそれでも“”桜が見たい“”と話したおばあちゃんを、おばあちゃんの大好きな助手席に乗せて、倒れないようにクッションを挟んで体を手で支えながら、ドライブをした。

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車の中から見える桜の並木を見て、
“”綺麗やね。“”と笑ったおばあちゃん。
涙が溢れそうなくらい、嬉しかったよ。

そうして、
倒れた日から丁度1年が立つ夏、
おばあちゃんは最期まで精一杯生き抜いた。

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おばあちゃんが亡くなってから、心にぽっかり穴が空いたような気持ちと、最期までがんばって生きたおばあちゃんの心を側に感じながら、新しい日々が始まった。

あんなに小さかった愛鈴も、こんなに大きくなって、おばあちゃんになったよ。17歳。
あんなに怖がってた花火もカミナリも、耳が遠くなったからへっちゃらになったよ。
白髪も増えて、目も白内障になって、足も少し弱くなっちゃったけど、散歩は、いまも大好きだよ。

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相変わらず、、、
海は大好きなんだ。

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砂浜も、あの時のまま。
砂浜を走り回ると、ほんとにほんとに気持ちいいんだよ。

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でもね、
何が1番嬉しいって、お母さんとお姉ちゃんと3人で居られること。

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歳はとって、おばあちゃんにはなっちゃったけどね、

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海を大好きな気持ちも、
お母さんやお姉ちゃん達が大好きな気持ちも、
何ひとつ変わらないよ。

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あともう少しだけ、
一緒に、楽しい時間を過ごしたいよ。

だって、私は、

お母さん達と居られる時間が
いちばん幸せだから☻

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17年間一緒にいるけれど、
あともうちょっと、

よろしくね。

                      from愛鈴🐾より。  


Dear愛鈴へ。

愛鈴、まずはありがとう。愛鈴がお家に来てくれたから、お母さんも多美ちゃんもお姉ちゃんももう一度、笑顔になれたんだよ。

お姉ちゃんは、いつも泣いていたね。愛鈴と出会う前に、お姉ちゃんは心がボロボロになっちゃって、大好きな学校にも行けなくなって。声も出せなくなって、怖かった記憶と一生懸命闘っていたんだ。

そんな辛い時に愛鈴が来てくれて、ほんとうに良かった。

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きっと、寂しい想いも沢山したよね。それでも何時だって、お家のドアを開けて“”ただいま~“”って帰れば、尻尾を振って迎えてくれる愛鈴がいてくれた。それだけで、愛鈴には沢山幸せな気持ちを貰ったよ。

ありがとう。

来月のお誕生日で、ちょうど17年だね。

耳も遠くなって、目も白内障になって、足も弱ってきちゃったけれど、これからも最後の時まで一緒にいようね。そばにいるよ。

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大好きだよ、愛鈴☻

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