田中角栄を受け継ぐ者。自民党最長幹事長、不出馬に
二階俊博引退へ
衝撃的なニュースであると同時に、
時代の終わりでもあり始まりとも感じました。
そうです。二階元幹事長が次の衆議院選挙に出馬せず、
事実上の国政引退です。
約40年に及ぶ国会議員生活に幕を閉じます。
その二階氏ですが、これまでネットでは親中とか媚中とか
年齢とかで悪いイメージをつけられていた部分もあります。
もちろん歴代の幹事長の中で一番年上で就任し、
就任時の年齢は77歳、幹事長から離れた時点での年齢は82歳です。
当然、歴代の中で最長の政権(安倍政権中期・後期➕菅政権)
を支えた立役者でもあり、年齢に負けず劣らずの政界での手腕や
選挙の強さは、年齢による衰えを全く感じさせない
力だったともいえます。
ただ個人的には引退ということですと、
もう二階節を聞けないことも寂しいですね。
麻生副総裁が引退すれば、麻生節も聞けなくなるため、
もっと寂しいですね。
二階氏の生い立ち
1939年2月17日、和歌山県御坊市で生まれた二階俊博氏は
父は和歌山県議会議員、母は当時珍しい女性医師の下で
生まれ育ちました。
戦前生まれの二階氏は高校にて生徒会長選挙に立候補し、
当選しました。
これが当時の応援団長である二階氏が選挙でも圧勝したことで
選挙の二階のルーツともいえるでしょう。
伝説はここから始まります。
新聞部顧問「できれば東京にいったほうがいい。政治家や文学者、経済人などいろんな人にあえる。講演も聞ける。」の言葉を受け、
二階氏は中央大学法学部に進学。
大学卒業後は国会議員秘書を経験し、和歌山県議会選挙に出馬し、
県議会議員を2期務めることになります。
国政へ挑戦
1983年の衆議院選挙にて初当選し、
尊敬する田中角栄氏の派閥に入会します。
当時はまだ中選挙区時代であり、旧和歌山2区に出馬して初当選しました。
当選3回の衆議院議員の時、二階氏は当時中堅議員である
小沢一郎とともに自民党を離党し、新生党を結成し入党。
以後、7ー8年間は小沢氏の側近として生きており、
2000年は小沢氏と袂を分ち保守党結成。
運輸大臣として1999-2000年の間、小渕・森政権で支えていた。
2001年についに保守党の幹事長に就任し、
二階は初めて幹事長に就任したのです。
自民党復党後
自民党復党後は経済産業大臣や総務会長を務め、
2009年には当時の選挙のナンバー2(現在の自民党選対委員長)ポストを
務めましたね。
2012年、伊吹派の伊吹会長が衆議院議長に就任し退任。
会長の後任は二階俊博氏が就任し二階派が誕生します。
派閥のトップは大体の場合は総理を生むことが目的であったりとか、
若手の育成とか色々ありますが、
二階氏は一回も自民党総裁選挙に立候補したことはありません。
自民党幹事長に就任
2016年8月、谷垣氏の後任として二階氏が幹事長に就任。
当時、史上最高齢の幹事長であり、
野党としての人脈と与党としての手腕こそ
当時の安倍総理が求めていた幹事長像であったとも
今思えばそうかもしれません。
安倍総理、麻生副総理、菅官房長官、高村副総裁(引退)、
甘利大臣(辞任)など第二次安倍政権を支えた5名の立役者のうち
2名が去り、代わりとして総務会長であった二階氏を幹事長に。
外務大臣であった岸田氏を党三役の政調会長に据えることで
骨格を保ちました。
そして二階派もまた幹事長在任中は多くの議員を輩出して
いったのです。
鶴保 庸介内閣府特命担当大臣(安倍3-2)
今村 雅弘復興大臣(安倍3-2)
江﨑 鐵磨内閣府特命担当大臣(安倍3-3)
福井 照内閣府特命担当大臣(安倍4)
吉川 貴盛農林水産大臣(安倍4-1)
片山 さつき内閣府特命担当大臣(安倍4-1)
桜田 義孝オリパラ大臣(安倍4-1)
武田 良太国家公安委員長(安倍4-2)
衛藤 晟一内閣府特命担当大臣(安倍4-2)
平沢 勝栄復興大臣(菅1)
10人の閣僚を輩出し、若手や中堅にも
優秀な二階派議員はいます。
例え幹事長から離れた後も
国土強靭化本部長としてカリスマ性は健在ですね。
今後の二階俊博および新和歌山2区に
注目です!
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