義憤に駆られて一歩踏み出した先は、自分の格好悪さを知ることだった
遊びに行った場所で、泣いているこどもを見つけた。
おりしもその前日、迷子を小学生が助けたという記事を見たばかり。周りの大人は見向きもしない中、小学生らは手を差し伸べたという。
当たり前のことを当たり前に出来る素晴らしさ。
人として、失ってはいけない何か。
義憤のようなものが湧き上がってくる。でもそれが平日で仕事に行くところだったりしたら、自分もまたごめんねと思いながらも無関心を貫いたかもしれない。そう想像出来るのが嫌だった。
だから、そうじゃないところを自分で確かめたか