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あたし ときどきおもうの

6月雑感

その1.金銭感覚

息子が作業所に通うようになって2カ月たちました。おかげさまで無断欠勤などもなく、まじめに作業に取り組み、他の利用者さんとも仲良くやっているようです。

最近、息子の金銭感覚というか「お金」の概念が弱いのではと心配になっています。

お給料の中からお小遣い制でいくらか渡しているのですが、どうも「○円使うと残りは○円」ということが良く分かっておらず、また、千円札1枚と100円玉10枚は同じ価値であることも今一つ理解していない様子。

作業所にある自販機で飲み物を買うために週に500円を渡し、自分で管理させています。財布に残ったお金を見て、「○円までのものが買える・買えない」の判断ができないようです。

ある日「買えないからお小遣いください !  」というのです。もうそんなに使ったのかと財布から硬貨を出して残高を確認してみたところ、まだ200円あります。自販機で最高価格のものは170円。複数の種類の硬貨を組み合わせて○円のものを買う、ということが分かっていないのかもしれません。

200円は100玉2枚の場合だけではなく、100円玉+50円玉2枚とか、200円になる組み合わせはいろいろあるわけです。200円の方が170円より多いという認識が弱いらしく、息子的には200円あっても買えない、ということになったようです。

困った…。

支援学校時代、校外学習・買い物学習などである程度お金のやり取りは経験してるはずなのに、あまり身についていないというのか。

取り急ぎ、100円ショップで小さい電卓とメモ帳を購入してきましたが「いやこれ、私がそばについとかないとやらないやつ」と気が付き、却下。

アナログがダメならデジタルと、ほぼYouTube鑑賞しかしていないiPadに、簡単な小遣い帳アプリをインストールして使ってみることにしました。

理解してくれるといいのですが。


その2.法事にて

中島みゆきさんの曲「ホームにて」をもじったわけではありませんが、先日父の七回忌があり、実家へ帰省してきました。

今年の正月から半年もたたないというのに、母が随分と小さくなってしまっていました。昭和のフォーク歌謡の一節みたいですが。

父が亡くなる前、母は、私たちが帰省すれば張り切って手料理をふるまってくれていましたが、父が亡くなってからは、出来合いのもの+私がありあわせの食材で作るのが定番になっています。

子供やうちの人は、肉だ刺身だ寿司だと喜んでいますが、

私としては、

「帰った時ぐらいおかんの料理食べたい」
と思うわけですよ。

けれどここ数年、母がしんどそうで、加えて味付けも「んん?」ということが増えてきたので、私が料理をかって出ているのですが。

今回、うっすら覚悟をしたんです。

「おかんの料理はもう食べられんかも知らんな」

向こうへ帰る日の朝、母が作ってくれたみそ汁がとんでもなく薄かったのです。だし入り味噌を使って作ったのにも関わらず、です。
そんなことで、と思う向きもありましょうが、私にとっては衝撃的だったのです。

帰宅してから、そういうことを夫や娘に告げたら、「元気でいてくれるだけいいよ」と。

それはそうなんだけど…。そうじゃない。

あの味を作ってくれる人が作れなくなる、再現も困難である、ということが悲しいし怖い?いや、辛い。
おふくろの味なんて、思い出補正が盛大にかかっている物だとしても。

確実に親が老いている。

何年か後は自分もこうなっていて、息子はどう思うだろう。

何とも言えない気分で実家を後にしました。

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