音楽座ミュージカル「ラブ・レター」観劇感想

 こんにちは、雪乃です。今日は音楽座ミュージカル「ラブ・レター」を観てきました。10年前に「シャボン玉とんだ宇宙までとんだ」を観て以来、久しぶりの音楽座です。というわけで観劇感想。ネタバレをしまくっているので未見の方はご注意ください。

 原作は浅田次郎氏による短編小説「ラブ・レター」。ヤクザに仕事を斡旋してもらいながら歌舞伎町で生きる男・吾郎が、金目当てで偽装結婚した中国人女性・白蘭の死亡通知を受け取ることから始まる物語です。
 原作は短編ということもあり、舞台化にあたっては原作にはない要素が増え、かなりオリジナル色の強い演劇になっていましたが、その話はまたのちほど。

 深夜の美術館のセットが置かれた舞台が暗転すると、美術品がすべて死者たちに変わっているという幕開き。死者たちがどこかコミカルなテイストで自分の死因を話し出すのですが、死者たちの命日には時折聞き覚えのある日付があり、現実と間違いなく地続きの物語であることを冒頭から実感させられました。
 美術品を飾っていた舞台セットが椅子や新宿のビルなど、さまざまなものに変化させていく演出。また白蘭を人魚姫に喩えた青の照明はとても透明感がありました。

 次はキャスト別感想を。今回はメインキャラクターを演じた4人に絞って書きたいと思います。

 まずは吾郎。安中淳也さん、私の中では完全に「シャボン玉」の悠あんちゃんだったので、吾郎役にキャスティングされていて驚きました。しかし温和な悠あんちゃんの面影はなく、完全に高野吾郎。歌舞伎町でグレーな仕事ばかりして生きてきた人生を確かに息づかせていました。そしてやっぱり歌が上手い~~良い声~~~。
 そんなグレーな吾郎が、白蘭からのラブレターという「純白」に出会って、彼女の死に加担してしまった自責の念を抱えながら、真っ白にはなれずとも変わっていく過程が克明に描き出されていました。原作に登場した台詞がそのまま歌詞に使われている「嘘でもいいから」ナンバーもあったのですが、原作の血肉の通った台詞を、日本語の生きた響きはそのままに心の叫びにも似た歌に変えていく姿はまさしく圧巻。あらためて原作の「ことば」の持つ力を引き出しつつ、ミュージカルという特殊な形態の演劇の上で命を吹き込む。あのシーンを観られただけでも、やはり今日来て良かったなと思います。
 私は原作にある、吾郎の夢の中のシーンが好きなんです。吾郎が白蘭と結婚して子供が2人いて、家族で吾郎の地元で暮らしているという、そんな夢。おそらく2人が偽装結婚という手段を経ずに結婚していたらあったかもしれない未来。しかし2人は偽装結婚でないと夫婦にならなかった。だからまったくの、ありえない夢。そんな儚くて痛みに満ちていて、でも美しいシーンなんです。
 原作ではこのシーンの中で、吾郎が地元の方言で白蘭に語りかけるのですが、ここはやはり人間の声で発されると一層響く台詞でした。
 原作では夢の中で白蘭に「結婚してください」と言うのですが、舞台版では白蘭の骨壺に
向かって「結婚してください」とプロポーズをする吾郎、とアレンジが加わっていました。
原作では、白蘭の化身ともいえる砂浜に咲く1輪の花に向かって発される、祈りや懇願、そして贖罪すら感じさせる「結婚してください」という台詞。一方舞台では、汚れた世界から足を洗う覚悟を決めてどこかさっぱりした表情の吾郎が、白蘭と新しい1歩を踏み出すための台詞。この「結婚してください」という言葉で、本作のメインテーマである「死者が生者を励ます」が完成された感じがあって、舞台で加えられたアレンジでは一番好きです。

 次に白蘭。ここ数年音楽座を観ていないうちに、すごい人が現れていました。岡崎かのんさん。まるで朝日を受けてきらめく海のような、きらきらとしていて透明感があって、劇場全体を包み込むような歌声が印象的な方でした。手紙を読み上げるときの声もとても可憐で、大好きな白蘭です。
 原作の白蘭は、吾郎が彼女からの手紙を読むことで自身の中に作り上げた、ある種の表象としての白蘭。また白蘭は、遺体や遺骨、あるいは警察の書類などによって形成される、死者の実像としての一面を持っています。舞台では生前の白蘭が働いているクラブ「マーメイド」のママと話すシーンが加わったことで、会ったことのない夫を心の支えに生きる1人の人間としての白蘭を存在させていました。吾郎が自身の中に作り上げた「表象」としての白蘭、もう変わることのない死者としての白蘭、そして確かに生きていた人間としての白蘭。多面的に描かれる白蘭のイメージをひとつに集約させる存在感と声。こんな白蘭が見たかった、と思ったままの、理想的な白蘭でした。
 原作だと決して会うことのない吾郎と白蘭が同じ板の上に存在するのは舞台ならでは。しかし同じ舞台の上にいるにもかかわらず、吾郎と話すこともできない。もう交わることのできない、吾郎の人生と白蘭の終わってしまった人生が並行して存在するダンスシーンでは、切なさが際立っていました。

 サトシ役の小林啓也さん。小林さんも私の中では悠あんちゃんのイメージでした。
 サトシは吾郎に仕事を斡旋するヤクザ・佐竹のもとに出入りするチンピラ。佐竹の指示で、吾郎とともに白蘭の遺体を引き取りに向かう青年です。
 施設で育ち、中華料理屋「真砂」で店主の孫である直美から可愛がられて(?)います。
 サトシは原作の台詞からそのまま舞台版に引き継がれた台詞も多く、そのすべてがイメージ通り。原作の世界観と舞台独自の世界観をつなぐ重要なキャラクターとして、軸として確立された存在でした。
 台詞や身のこなしはチンピラそのものですが、歌声によって浮かび上がるのは、チンピラになるまでに経た過程。歌うことによって彼の優しい心根が垣間見えるのはミュージカルならではの表現でした。原作にはない彼のたどってきた人生が、ちゃんと原作のサトシと接続していたので、とても安心して観ることができました。直美とのやりとりでは愛嬌のある等身大の18歳の一面をのぞかせるところもありました。
 
 続いて直美。白蘭とともに、「死者が生者を励ます物語」というメインテーマを象徴する存在。演じているのは森彩香さんです。
 原作にはまったく存在しない、完全に舞台版だけのキャラクター。限られた時間の中でも彼女の生きてきた人生を描き出さなくてはならないキャラクターですが、確かな説得力を持って、音楽座版「ラブ・レター」を構成する重要な1人として生きていました。
 直美は全編を通して、真っ黒なワンピースにブーツをいう出で立ち。「真砂」で働いているシーンでもそれは変わることはないのですが、しかし不自然な感じがまったくしなかったのは、ひとえにリアルな存在感あってこそ。真っ白なワンピースが印象的な白蘭と対照的に見えつつも、白蘭とともに物語の根幹を担う直美は、舞台版だけの縦軸を担うキャラクターとしてとても頼もしかったです。

 若手からベテランまで、生者も死者も、ただここで息をする人物だった「ラブ・レター」でした。実に10年ぶりの音楽座でしたが「音楽座観たな〜」となりました。ダンスも多く楽曲もバリエーション豊かで耳に残るメロディも多い。ピアノの美しいサウンドもシンプルながら記憶に深く残ります。

 私が一番好きなナンバーは、公演PVでも使われている、白蘭による「海の彼方」。あまりにもPVを見まくった結果、PVで使われている部分だけは観る前から歌えるようになっていた曲です。今日初めてフルで聴くことができたのですが、岡崎かのんさんの柔らかく透き通った声とメロディがとても心に残る名曲でした。プログラムに付いているCDにも収録されていて嬉しいです。

ミュージカルとして、音楽座ミュージカルを観たくて観にきたミュージカルファンとしては満足する作品でした。

 本日もお付き合いいただき、ありがとうございました。