【小説】まれびと

 幼馴染は、なかなかに奇特な人間だった。モデルなんじゃないかと思えるほどの美形で、同級生ばかりか先輩たちからも熱い視線を投げかけられていた。
 彼とは幼稚園からの付き合いだった。外で遊ぶのがそれほど好きではなかった僕は、なんとなく、部屋の中で絵ばかり描いていた彼と一緒にいるようになった。
 彼はずっと絵を描き続けていた。それは小学校に入ってからも、中学校に進んでからも変わらなかった。美術部に入っているのでもなく、ただ趣味として続けていたようだった。
 彼はSF作品のアニメにでも出てきそうな宇宙船をノートに描いていた。近未来的な建物や、機械とドラゴンを組み合わせたような生き物が、彼の手から次々と生み出されていた。
 美術の時間になれば、息を飲むような綺麗な空や海の絵を描いた。その絵のうちのひとつは市のコンクールにも出品されてそれなりの賞を貰い、全校生徒の前で彼は表彰されていたけれど、彼はなんてことのない顔をしていた。その整った顔立ちは少しも変わらず、ただ何事もなかったかのように彼はまた絵筆を取った。画用紙を見つめる彼の目は、画用紙のずっと奥、ひどく遠いところを見つめているような気がした。
 一度だけ、僕は彼に尋ねたことがあった。「なんでこんなに絵が描けるの。どうやったらこんなすごいアイデアが出てくるの」と。彼は、こう答えた。
「見たことがあるものを、そのまま描いているだけだよ」
その言葉を、僕は真に受けなかった。冗談だと
 僕は何度か、自作の小説を彼に見せたことがあった。彼なら笑わずに読んでくれるだろうと思っていたから。彼はまるで国語のテストの問題文を読むみたいに真剣に読んでくれて、それから、さらさらとシャーペンでノートに何かを描いた。僕にそのページを見せて、ひとこと、「こんな感じ?」と言った。そこには、僕が小説の中に登場させた、僕が想像した通りの都市が描かれていた。高層ビルが立ち並び、その間を縫うように空飛ぶ船が行くような、そんな都市だ。
「なんでわかったの?完璧だよ、すごすぎる」
僕がそう言っても、彼はどこかぼんやりと、「何となく?」と言った。そして、こう付け加えた。「見たことがあるものと、似ていたから」と。
 別に示し合わせたわけでもないのに、僕と彼は同じ高校に進学していた。相変わらず彼は絵を描き続けていた。美術部からも誘われてはいたけれど、彼は興味がないようだった。僕は僕で、クラスメイトに誘われて入った生物部の活動でそれなりに忙しくて、彼とは以前ほど話さなくなっていた。
 二年生になった年の秋、文化祭の前日だった。僕は自分のクラスの準備に加えて生物部でやる展示や研究発表の準備もあったから、学校を出たのはもうあたりが暗くなってからだった。同じように準備を終えたらしい彼と、校門の前でばったり会った。そして、彼はぽつりと呟いた。
「もう、小説は書いてないの」
「うん。最近、忙しくて」
彼が少しだけ寂しそうな顔をしたのは、見間違いだったのかもしれない。暗くてよく分からなかったから。
 彼と駅で別れる直前、彼はなぜか僕に一冊のノートを僕にくれた。家に帰って開いてみると、そこには見たこともない世界が描かれていた。大きな宇宙船、空中に浮かぶ都市。ドラゴンにも似ていたけれどドラゴンとも言い難い、トカゲと鳥を足して割ったような奇妙な生物。そのすべてが、まるで、何かのスケッチのようだった。想像の産物というよりは、むしろ、目にしたものをそのまま描いているような。すべてが、彼の中ではなく外に存在しているんじゃないかと思わせるような、そんな絵。僕は中学生の時の、迷いなく筆を走らせる彼の姿を思い出していた。
 そんな彼の絵を見て、僕は思わずパソコンを開いた。そして書き上げたごく短い一篇の物語を印刷して、文化祭当日、彼に手渡した。彼は驚いて、それから、少し笑った。僕が、「それ、あげるよ」と言うと、彼は驚いた顔をして「いいの?」と言った。僕は「そのために書いたから」と返すと、彼は丁寧にクリアファイルの中に僕の書いた小説を入れた。
 高校を卒業する間際になって、彼は「引っ越すんだ」と言った。そうして、高校の卒業式を最後に、彼は忽然といなくなった。見送ることも出来なくて、連絡を取ることも出来なくなった。僕の手元には、彼がくれたノートだけが残った。
 彼が引っ越してから三ヶ月経ったころ。僕の家に、絵葉書が一枚届いた。よく見慣れた、しかし一層精緻に、色鮮やかになった絵の描かれた葉書。差出人の名前は彼の名前で、しかし住所は書いていなかった。
 あの浮世離れした姿を、今でも時折思い出す。彼は、どこか別の世界から来たんじゃないかと、荒唐無稽なことを考えてしまう。絵葉書が一枚届くほどに、彼の絵は深淵に迫っていくような色を帯びるようになっていた。紫色の葉を生い茂らせる森、蝙蝠のような翼を持つ魚のような生物。突拍子もないものを描いているように見えるかもしれないけれど、彼はこういった類の絵を、まるで生まれたときからそこにあったかのように、幼稚園の頃から描いている。
 「見たことがあるから」という彼の言葉は、もしかしたら、嘘ではなかったのかもしれない。あれらは彼がゼロから生み出した物ではなかったのかもしれない。でも、今では真相を明かすことも叶わない。すべては卒業アルバムの一ページのように、僕の記憶の中に刻まれているだけだ。地元の成人式でも高校の同窓会でも同級生の結婚式でも、どこへ行ったって、彼に会うことはできやしなかった。

 ただ絵葉書だけが、今も届いている。