王様戦隊キングオージャー全体感想①1年間の感謝を込めて

 「王様戦隊キングオージャー」が完結してしまった。燃え尽きた。1年間、時に追いかけ、時に伴走した、そんな作品だった。シアターGロッソに通い、ヒーローライブスペシャルに行き、夏映画を見て、グッズを買い、オージャカリバーやタランチュラナイトを買った。怒涛のような1年間だった。

 すべての始まりは、1年前に放送された第1話。ハイクオリティなCGで緻密に作り込まれた異世界の映像美に目を奪われた。しかし何より私の心を捉えたのが、「王様戦隊キングオージャー」のレッドことクワガタオージャー――ギラ・ハスティーというキャラクターだ。

 ギラくんがラクレス様に反旗を翻したあの瞬間、私は確かに、1人の人間の「変身」を見た。唯一無二の、おそらくもう二度と出会えないであろう、激しい「眩しさ」を見た。なお、ギラくんについて語り始めると長くなるので、これに関しては個別の記事としてのちほどアップする予定だ。
 1話が放送されたその日、すぐにTTFCで1話をもう一度見返した。巨大ロボ・キングオージャーが街を駆け抜けるシーンで、なぜか泣いた。なぜ泣いたのかは覚えていないけれど、あのシーンにはキングオージャーにしか出せない神々しさというか、神話の誕生を目撃しているような、そういった今までにない感動があった。

 キングオージャーを見ていて面白いと思ったのは、何よりも「芝居」だ。CGで作られた世界、架空の星に架空の国家、アニメのようなビジュアル。「ない」ものを実写ドラマで「ある」と感ぜしめたのは、ひとえにキャストの持つ芝居の力であるように思った。私はもともと演劇好きであったのだが、キングオージャーを通じて、生身の人間の芝居を見る楽しさを再発見することができた。

 人の上に立つ者、人を率いるに値する者とは一体何なのか。そんなことを模索する作品は数あるが、そんな永遠の問いに、役者の芝居で答えを出したのがキングオージャーだ。ラクレスをうち倒すために「邪悪の王」を名乗り、やがて本当の王になり、いつしか「俺様」ではなく「僕」として、王に相応しい貫禄と強さを身に付けるまでの過程を1年間追いかけられたのは、本当に幸せだった。

 キングオージャーの世界において、舞台となる惑星・チキューには5つの王国がある。その5つの国が何らかの得意分野や主要な産業を持ち、王は国の得意分野を象徴する存在として描かれている。明確な得意分野を持つ王たちの職業人としての誇りが「王であること」に通じていくその様は、キングオージャーにしか描き得ぬ領域だった。

 ヒーローである前に王であり、王である前に1人の人間だった、愛すべきキャラクターたち。時に激情をあらわにし、誰かを憎み、誰かを愛した。それぞれのキャラクターの持つ長所と短所がビビッドに描写された台詞と、それに命を吹き込んでくれたキャストたち。アクションに魂を吹き込んでくれたスーツアクター陣。何より、王と民とシュゴッドの生きる世界を作り上げたCG、劇伴、効果音、スーツ、小道具、衣装、セット、消え物、文芸――「チキュー」という惑星をこの宇宙に作り上げたスタッフのすべてに感謝を捧げたい。

 思い返せば、キングオージャーには私の好きな分野がすべて詰まっていた。歴史モノとしての側面もあり、ハイファンタジーであり、チキューの人類が「地球」から移住してきた、という設定にはSF的な趣が見て取れる。カグラギ殿が即位するまでには革命が起きており、ここもミュージカル好きとしては見逃せない。時に七五調が織り交ぜられたシアトリカルな口上は、和歌好き、演劇好きとしても刺さった。今まで通ってきたジャンルの要素が散りばめられていた。

 そして何より、私はラクレス様が生き延びてくれたことが嬉しくて堪らない。42話で仮に亡くなっていれば、彼は死者としてあの場で歴史の一部になってしまった。ラクレス様も歴代の王と同じようにいつか歴史の一部としてその名を刻むことになるのだろうけれど、それでも彼が生きて償う道を歩んだという事実は、間違いなく、ラクレス・ハスティー個人の生を歴史の中から救い出してくれるものだった。
 ちなみに私がX上にアップした「永遠の夜に挑んだ王の名のもとに光が満ちますように」という短歌は、彼の生存を願う歌でもあった。ラクレス様が退場でもしていようものならば私は長大な挽歌を詠んで弔う覚悟を決めていたので、本当に、生きていてくれて嬉しかった。

 47話で描かれた、大規模災害における死者ゼロという偉業。最終決戦で描かれた、国を越えた、全人類の団結。それらは現実ではきっと実現不可能なのだろう。理想であり綺麗ごとなのだろう。それでも私は、キングオージャーが描いた「綺麗ごと」を心から愛している。すべてはフィクションだからこそ込められる祈りであり希望だ。
 王は国民全員を守る。国民は自分の手の届く大切な人を守る。ラクレス様からギラくんに受け継がれた理念には、誰ひとり取り残さない世界への展望が込められている。ひとりひとりが自分の大切な、手の届く人を守れば、きっといつかすべての人を救うことが出来る。それもまた綺麗ごとだ。しかし綺麗ごとだからこそ、フィクションの中で描かれる意義がある。

 さて、ドラマ本編は完結してしまったわけだが、ロスになってばかりもいられない。3月半ばまではシアタGロッソで素顔の戦士公演が上演されているし、何より今年はファイナルライブツアーに参戦予定だ。4月下旬からはVシネもある。12月にはメモリアル版のオージャカリバーも届く。ひとつずつを大切に噛みしめて、最後までキングオージャーを楽しみ尽くしたい。

 この記事のタイトルは「王様戦隊キングオージャー全体感想①」。つまり、この先に②が来る。最推しであるギラくんのことや、1年間通い詰めたシアターGロッソのキングオージャーショー、そして作品そのものについて書いていくつもりだ。なんとかファイナルライブツアー千秋楽までには完結させたいと思っているので、お付き合いいただければ嬉しい。

 というわけで次回予告!「王様キングオージャー全体感想②:ギラ・ハスティーについて」をお送りします。お楽しみに!

 前の行までが前日に書いた感想部分だ。最終回放送直後は燃え尽きてまとまった文章を書けないだろうな、という気がしていたので最終回前日に仕込んでおいた。

 キングオージャー最終回。泣いた。ダグデドとの最終決戦よりも、その後のエピローグで泣いた。最後まで王様たちはバラバラだったし、まとまらないし、譲らない。それが最高に王様たちらしくて、愛おしさに涙がこぼれた。

 エピローグのジェラミーのナレーションを、ここで引用させていただこう。

無理に一つになる必要はない
姿形、心、一つとして同じものはない
交わらないから面白い
好きなところは受け入れて
嫌いなところはそっとしておく
違う者同士、共に生きればいい
手を繋ぎ、力を合わせるのは
いざという時だけでいい

 キングオージャーが最後に伝えたのは、みんな違ってみんな良い、ではなかった。みんな違うから無理しない。とても現代的で、「みんな仲良く」が是とされがちな世界には必要な言葉であるように思う。そしてこの言葉が説得力を持って響くのは、1年間積み上げてきた、バラバラだけど団結できる、王と民の姿があったからこそだ。

 そして最終回の個人的最高ポイントはラクレス様とスズメちゃんの夫婦らしいシーンがあったこと。良かった。本当に良かった。短いシーンだったが幸せそのもので噛み締めてしまった。ラクスズフォーエバー!!末永くお幸せに!!!ちなみに私が今日見た夢はラクレス様とスズメちゃんが新婚旅行先を決めるという内容でした!!正夢になってくれ!!!

 スズメちゃんはキングオージャーの中でもトップクラスで好きなキャラクターだ。祖国が混乱する中「兄が前王を討った」ということにしてカグラギ殿を王殿に推挙し国をまとめて市井の少女から姫になり、政略結婚だった夫とも真の愛が芽生え、時に邪悪の王妃として振る舞っても大義を成し遂げる道を選んだ。そんなスズメちゃん、いやスズメ様の一代記は本当に舞台で観たい。新橋演舞場あたりを押さえて桟敷席で「すずめのなみだ」を使用したお弁当出しませんか⁈(錯乱)

 めでたし、めでたしで幕を閉じるのではなく、キングオージャーはこちらに物語の続きを託すことでひとつの区切りをつけた。だからこれからも、「王様戦隊キングオージャー」という物語があったことを、この物語が私の心を動かしたことを、私がこの物語を愛したことを、これからも物語ろうと思う。そして「王様戦隊キングオージャー」を、個人的な思い出から、永遠に語り継がれる歴史にしていこう。

 というわけで、私の中の「王様戦隊キングオージャー」はこれからも続きます。

 本日もお付き合いいただきありがとうございました。

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