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不要不急の帰省

異動自粛制限が解除され、久しぶりに友人を誘い、お気に入りのカフェで待ち合わせ。ケーキとお茶を頼んで、たわいもない会話をしただけなのに、ものすごく充足感。
帰りの電車で一人になったときも、好きな人に告白されたかのような高揚感を抑えきれずニタニタ。

「今日は、まじで楽しすぎた!またいこーぜい!」とラインをすると


「ほんとほんと!やっぱり人と会ってしゃべるのって大事。わたし、生きてるって感じたよ(←おおげさw)またいくべ!」

と即レスがきた。

ケーキや紅茶もお取り寄せして家で食べられるけれども、同じものでも
食べる場所、一緒に食べる人によってこんなにもおいしくなるんだということが改めてわかった。

頑張って自粛していた分、これからどんどん友達誘って、食べに行くぞ!
と思った矢先の感染者数増加。

今はまだ休業要請もしないし、移動規制もお願いだけになっているけれども、またいつ「不要不急の外出を控えてください」と言われるんじゃないかと思うと、悲しくなってくる。

よく「不要不急」という言葉が使われていた時、不要不急って何なんだろう?と考えた。

字面だけみると「必要がなく、急いでやらなくてもいいこと」になる。

自分の生活において大半の時間を占めている仕事は、ありがたいことに
在宅勤務ができるので、出社しなくても細々と続けていた。

普段の生活の外出といえば、友達とお茶したり、映画みたり、旅行いったり、カメラ片手にぶらぶらしたり、ライブに参戦したりと、はっきりいうと全部不要不急。

私の日常生活の大部分って不要不急なんだなと気づかされた。

でも、こないだの友達とのお茶を経験してみて、こういった不要不急があるから私は幸せに生きていけてるんだなと実感したのだ。

引きこもり生活は嫌いじゃないし、仕事もオンラインミーティングでこと足りるし、このままの生活でも問題なしと思っていたりしたけど、やっぱり生身の人間としゃべるのは大事なんだなと思った。

そして、今、絶賛悩み中なのが帰省。
お父さん、お母さんは元気だし、おばあちゃんもぼけてきてはいるけど、今日明日に何かあるという病状でもない。
と考えれば不要不急の帰省ということになる。

けれど、大好きなおじいちゃんが急死したときに決めたことがある。

会える時に会う。
別れるときは笑顔。

元気な人でもいつなんどき何があるかわからない。

おじいちゃんとの最後は電話だった

「お母さんから聞いたんだけど、正月帰ってこないんだってな。寂しいな~。ちょっとでも顔だせないのか」
と言われ、友達と飲んでいる最中で声も聞こえづらかったのもあり、そっけなく
「年末のライブに参加するから年末年始は帰らないよ。お盆に帰るからそのときね!」

とさくっと電話を切ってしまったのだ。
まさか、その正月になくなるとは知らずに・・・

私の実家のあるエリアは今、感染者数0。
東京からの帰省ではないにしろ、数人の感染者が出ている地域からの帰省はやっぱりやめるべきなのだろうか。

お母さんに
「航空券、安いときに買っちゃったから、キャンセルできないんだよ。」

というと

「まあ、東京じゃないにしろ、あんたが帰省していることが町内でばれたら
いろいろ言われるかもしれないよね。村八分にされちゃうかも(笑)
まあ、帰ってきたとしても、同級生と遊んだりはしないように」

と言われてしまった。

帰省もよく考えれば不要不急。
ラインの動画通話で顔を見られるけれども、やっぱり実際に会って触れてしゃべるのとはわけが違う。実際に会うと、やせたな~とか、声のトーンが低いなとか細かいこともわかる。動画通話はしょせん画面越し。

不要不急帰省はやっぱりやめるべきなんだろうな。
でも、こういうときこそ、なんかじいちゃんのときのようなことがあるかもしれないと思うといてもたってもいられない。
感染者数を見つめながら、増加しないことを祈る日々は続く。

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