毒親からの解放ストーリー (22)

 私は小学生の時に図書係にならなかったら、今こうして医学部にはいなかっただろう。初めのうちは図書室が私の逃げ場所だった。
母の目も、先生の目も届かない、図書室のかび臭い書棚の陰に隠れて、幼稚園生が読むような絵本を読み漁った。

 その頃の私は、いつも母から怒鳴られたり、ぶたれたりしていたものだから、どうすれば母から怒られずに、家で過ごすことができるかばかりを考えていたので、授業を受けていても上の空だった。当然成績も振るわず、家に帰れば母から怒鳴られ、怒られるという悪循環の毎日だった。

 でも図書室で隠れて絵本を読むうちに、本の楽しさを知り、いつしか母の手の届かない、私だけの世界に浸ることができるようになった。ある日書庫の隅っこで埃のかぶった写真集を見つけた。

 白い塊だけどそこに、頭や手足がくっついたような形をしたものが写っていた。なんだかわからないままにその写真集を見ているうちに、それが(ポンペイ最後の日)と言う写真集だということが分かった。その中に説明の文がついていた頭のような物が二つあるのに、胴体のように見えるは一つの塊のように見えるものがあった。一体これは何だろうと思いながら、何度も眺めているうちに、説明書きを見つけたのだ。そこにはこうしるしてあった。

 「この白い塊は母親が子供を守ろうとして抱きしめているうちに、火山の噴火と共に噴き出した毒ガスによって死亡した親子である。そこに火山灰が降り積もって何百年もの間、そのままの状態で現在まで保存されたと考えられている」この説明を、そして写真を見て衝撃を受けた。この時はまだ小学生だったが、私は母から抱きしめてもらった覚えがなかったからだ。よそのお母さんは子どもを抱きしめたりするのだろうか。

 何年か後で、中学生だった時に、母に内緒で友人の家で見た情景にショックを覚えたことがあった。それは同級生の友人の頭をその子のお母さんが、優しくなでているのを見た時だった。その時に改めて私の母親はよそのお母さんとは違うと認識した瞬間だった。それ以来母親を見る目が変った事を思い出す。そして恐ろしい母親から逃れるための計画を立てた。そうやって六年がかりでやっと、母親から逃れることが出来て今ここにいるのだ。


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