連続小説 毒親からの解放ストーリー (2)

 私の記憶の中の母は、赤ちゃんを抱いていた。多分、4歳ちがいの弟を抱いていたのだろう。そして私にとっては、常に厳しい指導者としての母だった。
 母はいつも青白い顔をして、怒るとこめかみに青筋をたてていて鬼のような顔で私を睨みつけた。睨まれた途端、一瞬で私の身体は硬直して、母から頼まれたオムツを持って来るというような簡単な用事さえも出来なくなってしまう。言うなれば蛇に睨まれた蛙のようなものだ。すると母は、呆れたようにこう言った。
「あなたは、本当に役立たずのおバカさんだわ! こんな事も出来ないの! こんなでは良いお姉ちゃんになれないわよ」    
 母は私にいつもこう罵り続けながら、頭をたたくのだ。だから泣きながら許してくれるまで謝り続けた。
 父は平凡なサラリーマンだったが、首都圏郊外に親から三00坪程の土地を相続して、そこに自宅とアパートを建て、給料以外の収入源として、母に生活費を渡していたらしい。

子供の頃はわからなかったが、私が成長するにつれて、他の家と比べて多少は生活に余裕があった方だと思う。しかし、母はいつも父に、『生活費が足りない』となじってはお金のことで喧嘩をしていた。私が母の怒鳴り声が怖くて泣き始めると、私を冷たく見つめると父と私を残して部屋から出て行った。
 母はお惣菜や食材、そして洋服など、ほぼ全ての物をデパートで買い揃えていた。昭和五十年代の頃にデパートで買う生活というのは、かなりの贅沢だったと思う。弟の宏が生まれるまでは、たまには私もお供をさせてもらえたが、赤ん坊の子守をするようにと命じられて以来、デパートへ連れて行ってもらえなくなった。
 弟がハイハイも出来ずに、ただ寝ている間は、お絵描きをしながら顔が布団に埋もれていないかを見張っているだけで良かった。
そのうちに寝返りを打ったりして動き始めると、幼い私が赤ちゃんのお守りをするには、荷が重過ぎた。宏が泣けば、おしめを確かめて、濡れていればオムツを替えなければならなかった。当時はまだ紙オムツが高価だったので、布オムツを替えるのは至難のわざだった。ウンチなどされたら5歳の子供には無理なことだったが、それを取り替えないと母が帰って来ると酷く怒られるので、必死で取り換えたのを覚えている。

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