小池百合子という人 (4)

 父親の勇二郎氏はホラ吹きで有名な人物で、自分を大きく見せるためにしょっちゅう噓をついていたそうだ。そのため家族は勇二郎氏の言動に振り回され、挙句の果てに生活は破綻し、借金取りから逃れるため海外生活を余儀なくされた。
 
そんな父親に憎悪の念を持ったとしても、社会の規範として、子供が親の生き方を学んでしまうのは当たり前なことだ。
 
世間にカイロ大卒の噓をつくことで、マスメディアに拾われ、40代になって、政界へと華麗に進出し、その中で政界渡り鳥とか、権力者を渡り歩く女などと揶揄されながらも、手に入るものがどんどんと大きく豊かになるうちに、噓は無かったものとして考えた方が、都合がよいし、益々の富をもたらしてくれるものとなった。だから小池氏は絶対に手放すわけにはいかないだろう。
 
 小池氏の学歴詐称のほかにも看過できない、出来事がある。
2004年8月8日、当時の小泉首相は郵政民営化を目指したため、野党から内閣不信任案が出された。
すると首相は「解散」と叫び、一気に衆議院選挙の幕が上がったのだ。
首相は郵政民営化に反対した自民党議員を公認せず、その議員に対して対立候補を立てた。
 
 その時に小池氏は兵庫6区から東京10区に選挙区を変えて、郵政民営化反対派の小林興起氏に対する対抗馬として立候補をしたのだ。
 
 小池氏の元々の選挙区だった兵庫6区には自民党の坂上善秀氏もいた。
坂上氏は地元の市議から県議を経て、国会議員になった人だった。家族と共に地元に暮らし、正義感あふれる地元密着の議員だった。
小池氏といえば、かつての保守党から自民党に入って、坂上氏の地盤である6区へ土井たか子氏の対立候補としてやって来たのだった。
 6区では土井たか子氏の人気は高く、選挙は土井氏が一位当選で、小池氏は2位だった。坂上氏は3位だったが、かろうじて当選した。
 
 そして次の選挙が、いわゆる「郵政民営化選挙」と呼ばれた選挙だった。先に述べたように小池氏が兵庫6区から東京10区に落下傘候補として、鞍替えを強く申し出たため、兵庫6区は坂上氏が単独での自民党からの出馬になるはずだった。
 ところが小池氏は自分が抜けた選挙区に新人の元市議だった木挽司氏をわざわざ連れて来たのだ。
 そのために坂上氏は自民党から下位での比例代表へと回されて、当然の如く落選の憂き目にあったのだった。
 
 なぜ小池氏はこのような仕打ちができるのか。
一説によると、坂上氏は昔から地元密着の議員だったため、昔の小池氏の父親のことをよく知っている人物だった。
だから、不都合な真実を知られたくない小池氏は、国会議員を目指していたわけでもない新人を坂上氏の選挙区に据えて,彼を潰しにかかったのだろうと、同じ兵庫6区の野党議員が言っていた。
 
 さて東京10区の小林興起氏はというと、落下傘として党から投入された小池氏によって落選の憂き目にあい、党員であることさえも剝奪されてしまったのだ。
 
 二人の気持ちを想像すると、小池氏に対しては今も強い恨みを持ち続けているのであろう。
この件もまた、小池百合子という人物像を如実に表している。

                              了

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