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先祖が生きた地.岡山県津山市(歴史編 戦国時代 前編)9 #058
1.はじめに
前回は室町時代の津山.美作について調べました。今回は、戦国時代の津山です。
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※この時代の津山は「備前、備中、備後、美作」の美作に含まれるので、美作と明記します。
まずは以下の図をご覧下さい。
【美作に攻め込んだ戦国大名】
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戦国時代の初め頃(オレンジ→)
⭐︎播磨(兵庫県)の守護大名、赤松氏
⭐︎山陰地方の守護大名、山名氏
の間で、美作の支配をめぐって戦いが行われました。
やがて、主君の守護大名を倒し、国を奪い取る武士が現れました(戦国大名)。
戦国大名の出現で、美作はさらに激しい戦いに巻き込まれていきます(赤→)。
⭐︎出雲の尼子晴久
⭐︎安芸の毛利元就
⭐︎備前の宇喜多直家
2.ねらわれた美作
出雲の戦国大名、尼子氏
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出雲の戦国大名、尼子氏は美作に攻め込み、農民から食糧を取り上げ、兵士として戦うよう命令しました。抵抗した農民たちは、中山神社に立てこもりました(土一揆)。
この土一揆に怒った尼子氏は、中山神社を全て焼き払いました。しかし、尼子氏は民衆の信頼を取り戻すため再建。出雲大社を真似て造られました。
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津山市一宮
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この本殿は「中山づくり」と呼ばれ、美作地方の神社に多く見られます。
備前の宇喜多氏
その後、安芸の戦国大名、毛利氏が尼子氏を滅ぼし、美作を支配します。
同じ頃、備前の宇喜多氏は(毛利氏の敵である)豊臣秀吉と手を結び、美作に兵を進めてきました。
そのため、毛利氏と宇喜多氏の戦いが美作の各地で激しく行われました。
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宇喜多氏は、軍を進め北上しました。
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↑青い◯の三星城落城と、それからのエピソードをお話したいと思います。
2つのエピソード
三星城主、後藤勝基(かつもと)は、英田郡、勝田郡のほとんどの城を支配していました。1579年の春、宇喜多軍が攻め登って来たため、勝基は美作東部の武士たちを集め、三星城で宇喜多軍を迎えうちました。
宇喜多軍は三星城を取り囲み、用水や米倉を焼きまた。三星城は落城。勝基は切腹しました。
勢いにのった宇喜多軍は、美作全土を支配しようと、医王山城まで登って来ました。
1579年の暮れ、宇喜多氏を応援する豊臣秀吉は「自分たちの味方になれば、褒美を与える」と毛利方の武士を誘いましたが、それにはのらず最後まで毛利氏のために戦いました。
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参考…『わたしたちの津山の歴史』
医王山城は一年以上も持ちこたえました。城攻を諦めた宇喜多軍は引き上げ、その後、1584年まで毛利方の城として続きました。
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3.美作の戦国時代と民衆
美作地方には150以上の山城があり、それは地域を守る拠点であり、避難所でした。山城をめぐる戦いには、国人、家臣、足軽、雑兵と呼ばれる多くの農民が参加しています。彼らは戦いに動員され、城つくり、修理、食糧の運搬などをしました。
高野村(現在の津山市)に牧佐介という国人がいました。牧佐介は高野郷の代官職でした。宇喜多氏が勢力を持ってくるとその下につき、毛利方と戦いました。
豊臣秀吉が牧佐介に与えた、書き付けが残っており、こう書かれていたそうです。
「高野村では軍勢による乱暴、放火、田畑の作物を刈り取ることは堅く禁止する。また村人にたいして税など勝手にかけてはならない」
山城の戦いになると兵士たちは、相手の山城付近の家を焼き払い、作物を奪うことになります。それだけに、戦乱が終わると、人々は安心して暮らし、生産の発展に努めたそうです。
4.次回は山城をもっと詳しく
次回は、山城を少し深掘りして調べたことをまとめてみようと思います。さらにさらに、
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私の著者、美作の国『鷹巣城物語』を詳しく解説してみようと思います。私の友人のおじいさんから聞いた「鷹巣城と金の鶏、毎年咲く椿」、美作の山城のお話です。
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今回も、大きな“日本の歴史”の中に、小さいけど味わい深い“地方の歴史”をたくさん知ることができました。
次回もよろしくお願いします。
5.ひまわりと子猫のおまけ
職場で植えたひまわりは日々、成長してます。朝、水やりしていたら、職員の方が「芽が出たなぁ」と声をかけてくれます。嬉しい。
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近所のおうちで子猫が産まれました♬
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成長が楽しみです♬
【参考文献】
『わたしたちの津山の歴史』津山市教育委員会 平成13年
『津山市史』津山市 昭和52年
『作州戦国物語』美作の歴史を知る会 1991年
『戦国時代の遺跡と人物』ポプラ社 1992年
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