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先祖が生きた地.岡山県津山市(歴史編 室町時代の農業と産業)8 #057


1.久しぶりのはじめに

先祖踏査記録は、約2ヶ月ぶりの更新になります。前回の記事 良かったら参照ください。

私は、先祖や(名もなき)地域の偉人ついて、調査し、絵本出版する活動を、2005年から続けてきていました。第一作目『美作もも語り』

地元の人の話を聞いたり、郷土史家の方を訪ねてきた私ですが、現在、調べている先祖のひとり吉田多喜雄の人生は、一味違います。聡明で行動力がある彼は、日本の様々な地域で、草分け的な仕事をしてきました。そこでたくさんのドラマがあったでしょう。

吉田多喜雄

私は、彼が岡山県津山に来た時のことを私は調べています。明治41年〜大正はじめのことです。

吉田多喜雄は明治11年鹿児島県で生まれ、明治41年頃に岡山県津山に来ました。技師として津山に電気を燈したのではないかと推測しています。

現在の岡山県津山市

このシリーズは8回め。私は、津山の歴史(古代)から調べています。

その理由は、私は津山を知らないから。津山までは車で30分程で行けますが、知らないことばかりです。津山の成り立ちを学び、実際に行き風土を感じることで、明治時代に生きた先祖の感覚にも近づける気がします。

また、とてもスローペースで進めているのですが、“目的を持ちながら過ごす時間”はとても大切だと気付きました。その中で、新しい出逢いや違った視点のひらめきがあるから。

2.室町時代の津山.美作

今回は、室町時代、津山.美作に生きた人々の暮らしについて調べました。主に農業(米作り)と産業について。

津山、美作とは、だいたい○で囲んだ地域のことです。

現在の岡山県 市町村


3.米作り(室町と令和の田植えを比較)

この地域の米作りは、弥生時代に始まっていました。

弥生時代の石包丁
古墳時代の農具



室町時代になると、農業はさらに進みます。

室町時代、名主(みょうしゅ)という土地を持つ農民が、集まって寄り合いを開き、村の掟を定めるようになりました。

現代でも寄り合いで、その年の稲作に関する協議を行っています。(稲作をする各家から1名が参加)

一例を挙げると…私の暮らす地域は丘陵地なので、池から田へ水を引きます(川から引くところも多いです)。

新池

池の水は、↓↓この蓋を開けると、水が溝を通って田に流れていきます。

池の水は…
山の中の溝を通過し…
田の横までやって来て…
水を田に入れたい時は、
土嚢で堰き止め、田へ送ります。


池の水は、誰でも勝手に使えるものではなく、使用者はこの札を掛けておかなければなりません。

私の父の名前が書いてあります。

昔も今も、水は大切なものなのです。

引き続き、田植えの今昔を紹介します。

令和の田植え


池から田に水を引き、潤ったら、代掻きをします。トラクターで何度も何度もひきます。

代掻き

その後、農協から苗を買い、田植えをします。私の家も、以前は種から育てていたけど、最近は苗を農協から買う家がほとんどです。

田植え

機械で植えた後、細かい箇所は手植えをして、土を均等にします。

鍬で土ならし

そして、肥料をまきます。

肥料撒き

↓ここ10年位、獣害対策で田の周りに電柵をしています。鹿が苗を食べに来るのです。

太陽光発電

電線3本が畦に張り巡らされています。服が触れてもビリッと来るので注意。

室町の田植え

広い田畑をもつ名主が農業を営み、作人、下人と言われる身分の低い農民を使って農業をしていました。

牛馬を使った代掻き


↓昭和30年半ばまで「田植え休みで休校制度」があったので、もちろん室町時代も地域総出で田植えをしていました。

室町時代の肥料は?

大小便でした。



4.豊作を願う祭りが伝統芸能を生む

農民にとって、鎮守の祭りは豊作祈願や村のまとまりのために大切なものとされました。また、祭りは、人々に楽しみと励みも与えるものになり、娯楽や芸能とともに、民衆の中で発展してきたものと言えます

この頃は、神仏の区別はなく僧侶が神社の祭りをすることが一般的でした。

お田植えの神事は、「荒起こし」から「田植え」までの過程を真似ることで、神と人が一体になり、無事田植えが完了するという農民の願いが込められています。

この表現は、南北朝時代に盛んになった狂言の田舎大名と太郎冠者の型が見られるそうです。(太郎冠者の知恵に田舎大名がしてやられる)

また、「田植歌」が歌われながらの表現は、日本演劇の源流に。各地域で行われるお祭りが、伝統芸能へつながっていったのです。


津山.美作では、獅子舞も盛んに行われていました。勇敢に舞う獅子は「収穫を終えて山に帰る神の姿」「その神に感謝する民衆の姿」とも言われています。


今は、多くの祭りがなくなってしまいました。米作りに関しても、機械化とともに、米作りをする家が減りました。

しかし、現代を生きる私も、室町時代の人々の「願い」や「神仏への信仰」については、わかる気がします。

5.室町時代の津山の産業

1399(応永6)年、津山.美作から京都相国寺へ納入された年貢には、大豆、麦、油、漆などの品目があり、油は、胡麻、荏胡麻、木実を原料とし燈火に使われる重要な生産品で、お茶や紙、木材なども有名だったそうです。

この産業の発達は、物資の流通を促進させ、銭貨で取り引きされるようになりました。これに対応するため、農村の中にも、商品生産を行う専門の手工業者が出現し、市場も成立していきました。

流通した貨幣は中国の宋、元、明王朝時代に製作された銭貨で、鎌倉時代に全国に流通しました。そして、地方からの年貢も現物納から銭納に変わっていったのです。

ここで、驚きの事実が!
昭和29年、美作市楢原下から多量の銭貨が発見されました。銭貨は麻袋のような布に包まれて埋蔵されており、1万8221個。


種類は中国渡来の唐、北宋、元、明のものが大部分。岡山県内で発見されている銭貨で1番多いそうです。

これらは、美作市英田歴史資料館にあります。


室町時代の歴史を辿ってみると、農業技術や神仏への願いなど、現代の私たちにつながっている要素がたくさんあることに気づきます。

6.おまけと次回のこと

代掻き、田植え、稲刈り、水の管理、稲刈り…。今は父母と機械がやっています。私は呑気に、田植え後の田んぼに、猫と手を振ってシルエットを楽しむ程度。↓↓

おーい♫

いつか世代交代して、私もトラクターや田植え機に乗る日は遠くないのかな…と思います。

私はオートマ限定だけど、トラクター乗れる?怖いー。

次回は、戦国時代の津山をお送りします。

読んでくださりありがとうございます。また次回もよろしくお願いします。

【参考文献】
『私たちの津山の歴史』津山市教育委員会 平成13年
『津山市史』津山市 昭和52年

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