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「限界集落の熱き想い『そば粉聖人物語』①」みまさかぞく#008

2011年の初冬。菩提寺である真休寺住職から連絡がありました。「自分の指を切り落として祈祷する人が殿所におったと聞いたんじゃけど…」「えっ??もう一度お願いします」。こんな会話で始まった6作目の絵本制作。制作過程はとにかく猪突猛進!エピソードを3つに分けてお届けします。

殿所へは車で5分


1.殿所(とのどころ)の方の想い

「殿所の人がその話を本にしたいと言われとるんじゃけど一緒に行ってみんか?」と住職に言われ向かいました。稲穂から殿所へは車で5分。とても近いけど、同世代の友達もいなかったので、足を踏み入れたことのない地区でした。

殿所の風景


お話を聴かせてくださるお宅に着くと地元の方が集まっていました。横山さんといわれる方が「今は見ての通り限界集落ですけどな、ここには偉いお聖人さまがおって…」と涙を流しながら語られました。私はその内容に衝撃を受け、気分が悪くなってしまい…。今思うとスゴイ光景ですが、それが第6作目の絵本制作、真の幕開けでした。

そば粉聖人堂


2.そば粉聖人(高木峯次郎)紹介

『嘉永4(1851)年に現在の美作市殿所で生まれた高木峯次郎。20歳の時、仏の声を聞き仏門に入ります。高野山での修行後、彼は病に苦しむ者の声が聞こえるようになります。そして峯次郎が祈祷をすると彼らの病は不思議と回復するのでした。特に重い病に対し峯次郎がとった祈祷術、それは自分の指を切り落とすことでした。また多くの難病者を救うため、峯次郎は五穀を断ち、そば粉だけを食べたことから「そば粉聖人(しょうにん)」と呼ばれるようになりました』

お話のはじまり


3.静動のバランス(静について)

静…峯次郎の人生について思いを馳せ考える。
動…調査、取材をする。

私は「静について時間をかけなければ」と思っていました。現代では病気になれば多くの人が医学に頼ります。もちろん私も。当然その感覚で生きてきた私が「明治時代、難病者を救うために自分の指を切って祈祷した峯次郎」をどう理解して記せば良いのか…。聖人堂にある峯次郎の木像は指がありません。右手で鉈を持たなければいけないから、切り落としたのは左手だけ。

左手の指がありません

峯次郎がなぜ指を切り落とすに至ったのかは誰も分からず、文献にもありませんでした。「指は5本だから5人を救えたってことですか?」「お聖人さまが救った人は数十万人と言われとるけん、少しずつ切って最後に切り落としたんじゃねんじゃろうか」「自らを痛めて人を救うなんてどうしてそんな思いに至ったんですかね」「ほんとなぁ、どうしてじゃろうかなぁ」。地元の方とこんな会話をしながら…

明治時代の宗教観、病に対する捉え方、治療について、祈祷の意味などを勉強し、そして峯次郎の思いに少しでも近づきたいと悩み考えました。

峯次郎のお葬式の様子

江戸、明治、大正を生きた峯次郎。想像を絶する祈祷術で多くの難病者を救い、100年以上経った今も地元の方が供養を続けている。そんな地域が近くにあったのに知らなかった…。

複雑で難解な課題に頭が沸騰気味、そして私はそば粉聖人ワールドにどっぷり浸かってしまうのでした。

続きはまた次回…⭐︎

2012年 殿所のみなさん

参考にどうぞ⭐︎↓



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