「珈琲と人生の物語①」#018 -四コマ&コラム
「定年まで今の仕事を続ける気はなかった」と話すMさん。
実は、十数年前、私の父も50歳で公務員を辞め新たな仕事(介護タクシー)を始めました。当時私は大学生で、父から「仕事を辞めて新しいことする」と聞いた時、「何歳になっても好きなことにチャレンジするってええがん」と賛成したのを覚えています。
私の元上司、Mさんが脱サラし、珈琲豆専門店を開くと聞き、「なぜ珈琲だったんだろう?」「早期に第2の人生を歩み始めたMさんと父は、何か共通点があるのかな?」など、Mさんに色々と話を聞いてみたくなりました。そして、インタビューをさせてもらいました。
私の記事で紹介することも承諾してくれました♫
私が一番知りたかったのは「珈琲修行のため関東まで行き、地元岡山で専門店を開きたいという思いに至るほど、珈琲に魅了された理由」。Mさんから語られたのは…
【Mさんの珈琲ヒストリー 第一話】
「昔、僕の家はクリーニング店をしよってな。小学校の時からパンと珈琲と目玉焼きみたいな朝食で、母が作ってくれる朝食を僕は喜んどった。高校の頃、店が終わってから、毎日のように母親と近所の喫茶店に珈琲を飲みに行っとったし、子どもの頃から珈琲には馴染んどったと思う」
「僕はその喫茶店でマスターのうんちくを聞くのが楽しみで、母親とマスターの奥さんも仲良しで、楽しかった思い出があるなぁ。その後、大学は名古屋で、名古屋といえばモーニングじゃ。その時、僕は米屋でアルバイトしよって、米袋を契約しとる喫茶店に配達するんじゃけど、そこで珈琲とモーニングを食べさせてもらっとって、それが嬉しくて」
スプーンで珈琲に渦を作った後、ミルクを入れると…
Mさんの生活の中に、いつも珈琲があったんですね。Mさんのお話は続きます。
「僕はスキーに行くんじゃけど、朝早く出て途中で缶コーヒー買ったり、ゲレンデでも珈琲を飲んだり、雪=珈琲みたいなイメージがついとるなぁ」
「それに、缶コーヒーは、サラリーマンの残業にはつきもので、いつもおごったりおごられたりで。でもな、その時の僕は、珈琲は砂糖とミルクを入れた甘いものだと思っとって、ブラックを飲んだことがなかった」
「今から15年程前、『優しい時間』という富良野が舞台の、倉本聰のドラマがあったんじゃけど、僕はそれに衝撃を受けて」
「富良野のスキー場に行った時に、ドラマのロケ地のニングルテラスに行って珈琲を飲んだんじゃわ」
「そこがすごい良くて、自分で美味しい珈琲を入れて飲みたい、珈琲の店をやってみたい、店をやるなら珈琲を入れるところをお客に見せたいと思うようになった」
「それと同時に、初めてブラック珈琲を甘い物と一緒にいただくことを知ったんじゃ。酒と美味い料理みたいな感じでこれはええな!と思った」
「そこから、美味しいブラック珈琲を飲みたい、その基になる珈琲の豆を知りたい!と思うようになって…」
お話はまだまだ続きます。
その後も、たくさんの出逢いに導かれるMさん。
「僕の人生と珈琲はいつもシンクロしとるよ」
なんて素敵な名言!
続きはまた次回♫
【おまけ】
読んでいただきありがとうございます。
また次回をお楽しみに♫
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