「いざ!ベトナムへ! ①私の海外は、ミャンマーから始まった」コラム&写真館 #060
2023年7月、私はベトナムへ行くことになりました(仕事:観光=8:2)。訪越は4回め。
この「ベトナム行き」だけに焦点を当てて、お話することもできるのですが、《田舎で育ちで
海外と無縁だった私が、今、再びGo abroadしようとするまでのエピソード》をいくつか紹介できたらと思い、シリーズで記事にすることにしました。
このお話の元を探ると、中学生の頃にさかのぼります。
関連が無さそうな話から始まりますが、どこかで繋がりますので、お付き合い頂けたら嬉しいです。
1.海外への憧れ
私は「晴れの国 岡山」に暮らしていながら、とても寒がりで、越冬はかなりストレスでした(現在も)。
特に中学生くらいから「冷え」との闘いが始まりました。
小学校のストーブ点火は10℃以下、中学校、高校は、午後になるとストーブ消すルール(灯油は午前分しか入れない)でした。
みなさんの学校はどうでしたか?
あまりにも寒さに敏感なので、寒さ対策はいつも万全。
そんな私は、理科の時間に習った「地球の自転と公転」の話に衝撃を受けるのです。
先生のこの言葉に、私は…
とヒラメキ、この考えはいつも頭の中にありました…が、当然、高校卒業までは岡山で越冬つばめ。
そのうち、オーストラリアにこだわる理由もないことにも気付き、「暖かい国へ行きたい→海外に行きたい」、そう思うようになってきました。
そして、転機が訪れたのは、大学生の頃。海外と私を繋ぐ出来事がありました。
2.ミャンマーへボランティアに行った(写真紹介)
大学3回生の頃、ボランティアでミャンマーに行きました。目的は、女性の就労支援のために、ミシンやワープロを持って行くこと。
同行した日本人メンバーは10名だったと思います。何度かミーティングを行い、当日は関空集合で出発!
当時のアルバムがあるので写真で紹介したいと思います。
バンコクからヤンゴン空港に到着したのは、夕方頃。税関で、ワープロのリボンカセットが(スパイの)テープに間違えられ、3時間以上、足止めされたのを覚えています。
12/26〜1/1、5泊6日の旅。
以下の写真は、私が撮ったものと、一緒に行ったメンバーから頂いたものです。
《パゴダ》
ミャンマーと言えばパゴダですね。
私たちは、ミャンマーの就労施設や子どもたちの施設、パゴダ、寺院、日本兵戦没者の墓地などに行きました。
《女性の就労施設視察》
《12/28の日程を紹介します》…これは後日作った報告書です。
《記念植樹》
《女性のお化粧、タナカ》
↓女性が顔に塗っているのは、「タナカ」という木の汁で、お化粧兼日焼け止め。
《マーケットの様子》
《食事》
私はミャンマーで初めてパクチーの味を知りました。パクチー好き。
《世界で2番目に大きな鐘》
《ミャンマー語》
↓↓ミャンマーの方に書いてもらいました。何て書いてくれたんだろう…。わからないままです。
《体調を崩した私…病院はない》
ミャンマー滞在中の一日、私は体調を崩してしまいました。病院もなくてドクターもいなくて、もらった薬は下剤(甘いジュースみたいだった記憶)。とにかく悪いものを出せと言われ…。
私はそれで復活!
シャワーが水だったり、食べ物も初めてのものばかり。移動は、船かプロペラ機で常に内臓ゆらゆら…。でも、ミャンマーの子どもたちや施設の方々と実際に触れ合い、とても良い経験ができました。
このミャンマーでの経験は、私の精神を強くし、海外行きたい欲をウルトラ刺激したのでした。
それから、しょっちゅう「海外行きたいな…」とつぶやきながら、大学卒業→小学校へ勤務。
※JICA(海外青年海外協力隊)、ワーキングホリデーなどに行く選択も考えましたが、今から思えば、「自信がなくて出来なかった」のだと思います。
3.シアトルの友だちができた
このnoteでも何度か登場したシアトル友達、Amy。彼女との出会いで、シアトルへのひとり旅が出来るようになりました。
それから、私は海外へ行くことが生き甲斐のひとつになり、自分の海外旅行スタイルも出来上がってきました。
4.次回は…
次回は、「私が行った国々のお話」をしようと思います。ベトナムの話はもう少し先になりそうです。
私は、空港で飛行機の搭乗を待っている時間が大好きです。歩いていると、まず免税店から漂ってくる香水の香りが良い…と思いませんか?
誰かと一緒の時はペラペラお話していたら時は過ぎるし、1人の時は飛行機を眺めて想いを馳せる…。素敵な時間。
読んでくださりありがとうございます!また次回もよろしくお願いします。
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