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三梁の雌雉、時なるかな

郷党第十-23
色みて斯に挙がり、翔りて而る後に集まる。曰わく、「山梁の雌雉、時なるかな、時なるかな」

論語 斎藤学訳

雉が人に驚いて飛び上がり、安全を確認しながら降りた。先生は「山の橋にいる、あの雌雉、時というものを教えてくれるねぇ」と褒めていた。

和やかなひとときが垣間見えるこの論語。私は先生が穏やかな人だと感じられる。先生が穏やかなのはお弟子さんとのやりとりで毎回感じるのだが、このシーンでよくそれがわかる。

ここには子路もいた。子路というお弟子さんはよく孔子に怒られているのを論語を介して見るのだが、この子路に対して孔子は可愛げのある弟子だと思っていたと思う。だからこそ、厳正な父のようによく子路を叱るのだろうなと。どうでもいい人に先生は叱りはしないだろうと思っている。私は論語ばかり読んでいるので他のことはわからないが、論語から解釈できることは多々ある。

ちなみにこのあと子路が勘違いして、雉を捕まえ先生の御膳に出されて先生はよく思われずあまり食べなかったそうだ。

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