毒親の呪い再び

先日、父親の80歳の誕生日を祝う為都内の一流ホテルの寿司屋個室を借りて両親と旦那、子どもに寿司を馳走した。合計金額約90,000円。高過ぎて未だに心臓がバクバクしているが、ここは親孝行の一環でいつかは行こうと思っていたから、自身の思いを昇華させるためにも行っておいて良かったと思っている。思っている。思っているが。

毒親に対する思いがスパークして、本当にこれを機に縁を切りたい思いに駆られまくっている。1か月位が経過して、気持ちが高まった直後と落ち着いた今で同じ思いでいるんだから、本当にそうなんだと自認している。

きっかけは兄が話題に登ったことだ。兄は弁護士を辞め、地方でフリーター生活をしている。頭が極端に良過ぎて極端に人付き合いが出来ないのだ。弁護士業も上手くいかず、全く違う業界に転職して地方に移住するも数ヶ月で辞めた。もうアラフィフのいいおっさんだ。兄がフリーターをしていることを両親は知らなかったらしく、私にこう言った。

「まあ、今のところで仕事がないなら、亡くなった俺の姉の家(ど田舎)をあげるから、そこで弁護士すればいいんだよ」

この発言に私は箸が止まった。
俺の姉、とは私のおばで、そのおばが亡くなった時、私は告別式、四十九日、納骨式で都度会社を休んで飛行機に乗って駆けつけた。兄は姿を見せなかった。おばの家を父が相続したとして、それを何故兄にあげると言えたのだろうか。財産って子は等分ではなかったのだろうか。というか、おばが亡くなった時に何もしない、両親の誕生日に何もしない、フリーターでアラフィフになっても親に心配をかけ続ける兄に、何故そんな色々尽くすのだろうか。私は何故この人たちに今9万円の寿司を奢っているのだろうか。私は何故父が喪主の式に何度も駆けつけても何もなく、子どもの出産祝いに1万円貰っただけで「出産祝いあげた」と恩に着せられないといけないのだろうか。私は何故毎年父の日母の日それぞれの誕生日に10,000円のバラの花束を贈っている(バラ以外だと目の前で捨てられる)のに、私の誕生日には何も貰えないどころか祝いの言葉すらないのだろうか。というか、私が奢ってるのに何勝手にビールとワインおかわりしてんだ?一言でも断ったか?さらに母親が「私は更年期障害が全くなく穏やかだった」と言い放った。毎日私に死ねと言っていたのは、じゃあ更年期障害ではなくて元々の性格なわけですね。ほうほう。

これまでの疑問が、彼らの他愛のない一言一言で吹き出し、大人の対応を取っていた自分の行動全てが馬鹿らしくなり、親孝行これにて終了さあそろそろ冥土にお急ぎくださいという気持ちにマジでなった。

遺産が欲しいわけじゃない。そんな大した額にもならない。やってきた親孝行の恩を着せるわけでもない。過去に受けた仕打ちも、水には流せないがあえて文句も言っていない。単純に、何故そこまで兄と違い私を蔑ろにするのか、怒りが収まらない。客観的に私の方が兄より自立し家庭も築き成功しているからだというのか。それはあなたたちのおかげではなくて、あなたたちのせいで、自分でここまで血を吐く思いで這い上がってきたからだ。

しばらく毒親に関するモヤモヤを払拭することが出来ず少しでもヒントを得ようと、水島広子著の「毒親」の正体――精神科医の診察室から(新潮社)を読んだ。一言で言うと、「毒親っていうのは発達障害なんですよ」という内容なのだが、自分の母親はそれにかなり当てはまり、「あああいつ完全に発達障害だよね」と腑に落ちている。そして人とコミュニケーションが極端に取れず、でも極度に知能の高い兄はサヴァン症候群だろうなとも思っている。でもだからといって障害を持っているから色々あっても仕方ないよ、と私は思わない。じゃあそれに振り回された者の頑張りは。思いは。このままなかったことにされるのか。

もはや、彼らに意見を言う気にもなれない。願わくば、仕事で一刻も早くまた海外に出て、そのままフェードアウトしたい。だから私は働き続けたい。仕事も仕事でクソなことが多いけれど、ここで頑張っていくしかないしそれが最善だということもわかっている。腹をくくれた点では良かったのかもしれないが、本当に毒親という存在はいつまでも子供の首をじわじわと絞め続けるものだと実感した。







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