西原理恵子さんの娘の訴えをみて

毒親と自分の関係をきちんと言葉に落としたいと思った直近のきっかけは、西原理恵子さんの娘さんが毒親告発をネット上でしたことだ。

私は西原さんの作品がすごく好きだった。ぼくんちは思春期の私にモロに刺さって号泣しながら読んだし、毎日かあさんを読んで将来男の子が出来たらこんな風に育てたいと思いすらしていた。必死に生きて自分で道を切り開いてきた人だと思う。もちろん作品には子ども時代の描写など一部誇張もあるかもしれない。でも作品は作品であり、全てありのまま書かなければいけないというルールはないはずだ。彼女の作品は毒親告発を聞いた後も好きだ。

だからこそ、娘さんの告発は衝撃だった。そして、告発内容が全て本当だとしたら、私も娘さん側にいた人間であり、西原さんのように道を切り開いた人間でもあり、双方の気持ちがわかって非常に複雑な気持ちになった。

娘さんは、母に自分のことを漫画にして欲しくなかった、父に会いたい、と訴えている。それはきっとその通りなのだけれど、彼女の訴えの本質はそこではなくて、兄と同じ位自分のことも自分が愛情を受けていると感じられるように愛してもらいたかったということだと思う。この、自分が愛情を受けていると感じられるように、というところがポイントのように思う。

西原さんはもちろん娘さんのことを大切に思っているに違いない。一方で、自分の思うような反応、もしくは自分の好きな反応がないと鬱陶しがった可能性はあるように思う。単純に、息子さんとは気があって、娘さんとはタイプが違うのだろう。

西原さんは男の子のいわゆるバカ行動が愛おしく、女の子のガーリーな行動を斜に構えてバカにする傾向があったとは思う。それは友達とジャム作りをしたがっていた娘さんとその友達になめ茸を瓶に詰めて渡したエピソードから伝わってくる。私はそういうそんじょそこらの女ではない、という気概が伝わってくる。そういう、女の子的な行動があまり好きではないのは単純に西原さんの好みだ。自分の好きなことを母がバカにしているという違和感から始まり、おそらく繊細な娘さんの感受性をめんどくさい、厨二病と揶揄する母に対するモヤモヤがつまり積もった点はあると思う。母の暴言も、母はきっと面白いと思って言ったのだろう。ところが娘さんにはそれは面白いものではなく単純に傷つくものだったのではないか。

そんな寂しさが募る中で、思春期の多感な時期に高須さんという母の恋人が現れ、自分には愛情が向けられていないのに他の男の人には愛情が向けられていると感じたのは絶望に近い気持ちがあったと思う。おそらく記憶にほとんどないであろう亡き父親の存在にすがりたくなる気持ちはわかる。ましてや嫌いな母親が悪口を言っている人だから、好きになりたい気持ちはあるだろう。

そして自分のことを真に理解していないのに自分のことをマンガにし続けることで「私の本当の思いはそういうことではない!」と、マンガに書かれていたという事実が母親への怒りの象徴になってしまったのではないか。ましてやマンガの内容を周りからいじられていたというのだから、納得いかないのは当たり前だ。

ようは、母と娘のキャラは違って、母が一般のその辺の自分とは違うキャラの女の子に毒を吐くように娘さんにも毒を吐いていたのなら、娘さんは傷つくに決まっている。そしてそれに何度もSOSを出したのに母が取り合ってくれなかったのなら、今の状況は推して知るべしだ。

この母娘の関係が改善するのは、時間をかけて娘さんが自分の力で幸せになることでしかないのかと、同じ立場にいた私は思う。そして西原さんは、そんな娘さんをきちんと理解して温かい言葉をかけつつ見守るしかないと思う。西原さんは西原さんなりに娘さんのことは大事にしているから。その大事にしているという気持ちの発信の仕方が娘さんの求めている方法ではなかったという点は気に留めるべきだ。

私は西原さんも、娘さんも愛おしく思えて仕方がない。お2人の関係改善には十分伸びしろがある。




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