中年から本格的にダンスを始めた

ダンスが好きだ。きっかけは小学生の頃、友人宅でビートルズの歌に合わせて友達と適当に踊ったことだ。マザーグース以外の音楽を全く聴かせてもらえず決まったアニメ以外のテレビ番組を見せてもらえなかった身にとり、初めて聴くポップな音楽は心地よく、一気に魅了され自然と身体が動いた。中学生時代に安室奈美恵をはじめとする沖縄アクターズスクールブームが訪れるとかじりつくように音楽番組を見て、録画したビデオをすり切れるまで巻き戻しては振り付けを真似した。細身の黒いパンツスーツで踊るMAXや安室奈美恵は憧れの存在で、本気で沖縄に移住してアクターズスクールに通いたかったものだ。もしくは何を勘違いしたのかダンスを習うつながりで宝塚に入りたいとすら思ったものだ。当時はインターネットなんぞなく、調べることも出来ないまま妄想ばかりが募る日々だった。

だが、それでも私がダンスに没頭出来る環境は整わなかった。通っていた学校にダンス部はなく、毒親はダンススクールなんて絶対に通わせてくれない。では大学に入学してサークルで是非と思っていたが、入学した大学のダンスサークルは何故かなんとなく入りたいという気持ちになれず、代わりに日々バイトに明け暮れた。それでもダフトパンクやアンダーワールドなど当時流行った電子音楽系やm-floなどを聴いては頭の中でディスコフィーバーしていたし、たまに友人と行くクラブでは最前線でホーキンスで髪を振り乱して踊りまくった。今思うと狂気でしかないが、当時はそれが最高に楽しかった。一方で、それ以上ダンススクールに通うという考えには至らなかった。それが何故なのか、今思い出そうとしても思い出せない。多分、当時はダンススクールはマジでガチなパリピかウェイウェイな人ばかりで、おしゃれも化粧も発展途上中の自分は気後れして到底行くことが出来なかったのだと思う。ジムのダンスクラスに一時期通ったことはあったが、それすら周りのイカした女子たちや先生が怖くなり、足が遠のいた。そして働き出したらそれはもう行ける余裕など全くなく、そもそも毎週決まった時間に決まった場所に行けることなど不可能で、ダンスへの思いは封印して過ごしてきた。

ところがその溜まっていた願望はマグマのごとく育休中に一気に吹き出した。私はこのままやりたいことに目をつむって生きていく気なのだろうか。人生の大きな夏休み、これまで仕事で忙しくて出来なかったことや挑戦しなかったことを全てやってチェックボックスを潰していった方がいいのではないか。子どもがおっぱい飲まないとか歩くのが遅いとか多くのお母さん方が子どものことで必死に悩むこの時期、私は見事なまでに自己中心的にいかに己の休暇を充実させるかということばかりに気を回していた。同じ頃、マンツーマンレッスンとかパーソナルトレーニングなど個人対応のサービスが席巻し始めた頃でもあり、ネットで検索して、曜日固定ではないマンツーマンレッスンのダンススクールの扉を開いた。

私の通っているダンススクールは、繁華街の汚いビルの一番奥にある怪しげな一室で、講師もVシネなどでヤクザに真っ先に殺される役ばかりやっていた脂っこい人で、ダンススクールの風体なんか全くない。それでも、何故か私はこの講師と非常に気が合い、全く飽きることがなくダンスを楽しんでいる。一週間のうち、ここで踊っていることが最大の楽しみだ。そして30年近く、踊りたいのに踊れない、やりたいことをやれないでいた自分に初めて決別することが出来て、心の奥にあった心残りが無事昇華し成仏している安堵感がある。南無阿弥陀仏南無阿弥陀。

結局、幸せと思えるためには、自分がやりたいことをやることなのだな、と身をもって実感した。そこに年齢は関係ない。40歳から始めたって、60歳になれば歴20年になる。人生100年時代、言い古された言葉ではあるが、やりたいことを始めるのに遅いなんていうことは全くないと思う。この生活がいつまで続けられるのかは不明だが、楽しめるうちに楽しんでおきたい、キリギリス万歳だと心の底から思う。尚キリギリスはそもそも越冬出来ない生き物なので、夏を謳歌する彼の生き様は実に正しいということを全力で付け加えておく。





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