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記憶の章・蛍光は散る

「パパー!」

可愛い声が聞こえて振り返る。
すると既に体中に電気を纏わせて抱き着いてきた。

「うぉっ…と…!ははは、日和は力の使い方が上手になったなぁ!」
「パパおかえりー!ぎゅーっ」

娘の日和はにんまりと笑って弱々しくも子供らしい力で抱き締めてくる。
天使とはこういう存在を言うのだろう。
幸せ過ぎて思考が止まってしまいそうだ。

「んー!ただいま、日和」
「パパおしごとー?じんぐーじさんいったの?」
「うん、そうそう。日和はよく覚えてるね、賢いなぁ」

頭を撫でれば「んひひー」と笑って嬉しそうだ。
3歳になってすぐ、麗那のおかげかここ最近言語もしっかりとしてきた。
更に数字も平仮名も少しずつ読めるようになっている。
子供の成長はこんなものなのだろうか?
少し前まで妖を、その後は雪羅と共に感情を研究していた。
最近はずっと麗那に付き添い、日和の様子を見ながら成長する術に対してどうするべきかを考えていた。
毎日が充実している。
この生活がずっと続けばいいとさえ、思ってしまう。

「日和、約束は覚えているかな?」
「やくそく?んとねー、ママにはビリビリするのひみつーっ」
「そ、絶対ママに力を見せたらだめだぞ?」
「はぁーいっ」

妻の雪羅は私の力を知っているし、日和も同じ力を持っていることを知っている。
だが、雪羅は術士を良いようには思っていない。
私達が傷つくのを恐れている、優しい心を持った人間なのだ。
だから日和が術士を目指したくなるまでは、日和を術士にはさせない。
以前、それをしっかりと夫婦で相談した。
その為にも今先程、霜鷹には力を借りたいと頼んできた。
妻が個展を終えて家に帰ってくる明後日、日和の術士の力の封印とその記憶の抹消についてを。

「本当にいいのか?」

それが霜鷹の言葉だったが、私は決めたのだ。
中途半端な力はいらない。
そしてあるかないかで言えば…この力はない方がいいに決まってる。
せめて日和自身が妖にならない選択を、妖に狙われ、殺されない選択を。
その為に私は…日和を術士にさせないつもりだ。


「ママー!」
「日和だ!日和ーっ、にーっ」
「うひひ、にーっ!」

雪羅はつたない動きで走り寄る日和を見るなり、カメラを構えて笑顔を写真に収める。
これぞ我が妻、いつも側にいられる自分とは違って外に出回る妻はすかさず日和の可愛い姿を写真に収めてくれる。
笑顔の日和、泣いている日和、一生懸命な日和、真面目な顔をする日和、変な顔をして遊んでいる日和…この3年でも十分個展に出せる量の姿を収めている……いや、既に個展には出ている、か。
『樫織雪羅・命の囁き展』
ブースの入り口に掲げられた言葉はなんとも綺麗なものだ。
中を覗けば所狭しと雪羅が収めた写真が額に飾られ並べられている。
眠る赤子、なにかに手を伸ばす赤子、寝返りを打つ赤子…どれも可愛らしい赤子の写真ばかりだ。
その被写体を私は知っている。
全て、娘の日和だ。
可愛らしくも懐かしい日和の姿が写っている。

「あかちゃんいっぱーい!ぜんぶママのぱしゃぱしゃ?」
「写真だ。これは全部日和、ママが撮った日和の写真だよ」
「ひゃー!あかちゃんかわいい!」

花が咲いたような可愛らしい笑顔を見せているが、理解はしているのだろうか。
個展内をぴょんぴょんと跳ねながら写真を見回す日和はなんとも無邪気だ。
それよりも…騒ぎ立てる娘を止めねば。

「ほら日和、お前の写真を見に来てる皆さんに迷惑だ。こっちにおいで」
「えー?でもひよ、かわいーよー?」
「全く、自分のことを可愛い等と…私の言葉をまるで理解してないな?」

日和を肩車し雪羅の元へ戻るとボヤキが聞こえたらしい。
くすくすと笑われてしまった。

「ふふふ、私達に愛されてるんだから日和は可愛いのよ。それを理解してる日和が一番可愛いわ」
「当然日和は可愛いが…」

私の上を見上げ、雪羅は上の日和にこちょこちょして遊んでいる。
きゃっきゃとした日和の声が降り注いで、やはり母親は母親だなとさえ思ってしまう。
まともな家庭を知らない私は、この二人にまだまだ"愛情"という研究中の感情を教えてもらってばかりだ。

「――樫織雪羅はこちらです」
「はい!…あ、ごめんなさい。ちょっと外すわね」
「いや、私達がここへ来るのが早かった。日和と共に中を見回っているよ」
「ええ。わかったわ」

雪羅に客が入り、私は日和を連れて中を巡る。
懐かしい写真ばかりの中に、私が知らない写真もある。
ほぼ四六時中共にいるのに、私が寝ている間にでも撮っていたのだろうか。
写真を見に来ている客も雪羅を知っている者や知らずして写真に寄せられている者もいる。
彼女の写真は…やはり見る者を吸い寄せるのだろう。

「パパー」
「ん?どうした?日和」
「パパは、ママのしゃしんすきー?」
「ああ、好きだよ」
「ひよはねー、ママのしゃしんだいすき。だってママ、ぱしゃってするときいつもニコニコだもん!」

日和は頭の上に顎を載せて、多分写真をじっと見つめているのだろう。
それは写真というより写真を撮る母が好き、と言う意味では?と突っ込みたくなったが…野暮だろう。
口にはせず、ただ目の前の写真を日和と共に見つめていた。

「お待たせ。あなた、日和」
「雪羅…もういいのか?」
「ええ、帰ってもいいって。一緒に帰れるのは今日までね。明日は最終日だから帰るの遅くなっちゃうわ」
「そうか。じゃあ、どこかでご飯でも食べて帰ろうか」

既に帰り支度を終えている雪羅が現れ話していると、日和が頭上から顔を覗いてきた。

「おーちかえるー?」
「帰り道に美味しいご飯食べような。日和は何食べたい?」
「んとねー、ひよはねー、はんばーぐ!」
「ふふふ、日和はハンバーグ好きね」
「ママとちゅくる!」

足をバタつかせ、うきうきとテンションを上げる日和と、それを見て微笑みながら隣を歩く雪羅。
そんな二人と共にゆっくりと帰り道を進む。
途中に強い妖の気配があったが家族の前だ。
無視をして洋食店に寄り、一日を終えた。
日和は口の周りにバンバーグのソースを付けながらも初めて皿を綺麗に平らげた。
術士の力の影響か、沢山食べるようになって大きくなったものだ。
ちなみに帰ったらハンバーグを作りたいと言って妻の料理本を勝手に広げていた。
子供の戯言だと無視していたのだが、何でもやりたい調べたいという気持ちは私譲りかもしれない。
希望には添えられず、ちょっとだけ申し訳ないことをした。

◇◆◇◆◇

「それじゃあ行ってくるわね」
「送るよ」
「大丈夫よ!あなたって過保護ね」

翌日、くすくすと笑いながら妻は個展に行ってしまった。
まだ寝ている日和を起こすか寝かせたまま家の鍵を閉めて送ろうか悩んだのだが、そのどちらも拒否されてしまった。
外は危険だ。
私が側に居る為に、彼女は一般人よりも危険が付きまとうというのに…いっそ佐艮のように嫁をずっと家に居させれば安全かもしれないが…現実は真逆を走ってしまっている。
愛する人を守るとは、こんなにも難しいものなのか。

「……せめて、日和は一番の危険を無くしたい…。私がどうなっても、絶対に守ってやるからな」

ぐっすりと眠る愛娘の頭を撫で、髪をかき分ける。
するとむにゃむにゃ口を動かす日和が寝言を発した。

「だい…じょーぶ…。ままは…いっぱいいっぱぁーい…おいのり、したから…」
「おいのり…?」
「ひよ、しってゆ…。おいのりしたら…みんな…だいじょーぶ、なにょ…」

……果たして本当に寝言なのだろうか。
日和が有栖麗那の影響か、会話をし出すようになってから不思議なことが続いている。
誰から教わったのか、日和は「おいのり」と言うようになった。
そしてそのおいのりを受けた日は、妖からの不意打ちや悪い予感を取り払ってくれることが多々起こっている。
果たしてこれは、術士と関係があるのか?それとも、それとは別の起因が…?
いや、よく思い出せ。
もっと古くからこんなことはあった筈だ。
すぐに熱を出す日和は病弱だと思っていた。
しかし今までも何かに守られたような事はあったはずだ。
これが原因で熱を出していたとしたら…?
それも含めて明日は霜鷹と相談し、今後を決めたい。
あわよくば師隼殿に面会を希望して日和を見てもらおう。

「パパ…おはよー…」
「お、起きたか日和。おは、よう…?どうした…?」

雪羅が仕事に行ってから30分後、日和が起きてきた。
多少の寝癖が気になるが、それよりも少しフラフラとした足取りだ。

「んー?ひよ、げんき…」
「そんな訳ないだろう。熱測ろう。な?」
「むー…、パパ、だっこ」
「はいはい、抱っこして測ろうな」
「むぅー…」

少し不機嫌な日和を抱き上げて膝に乗せる。
体温を測ると37.6だった。微熱だ。

「ちょっと元気無いな。今日はお家でのんびりしようか」
「やだ。ママのとこいく」
「珍しい…我儘言わない」
「だーめ!かえりのおいのりするの!」
「帰りの…おいのり…?」

日和が大きくぶすくれている。
ここまで怒っているのは今まであまりなかった。
おいのりとは…?やはり、ただの言葉ではない…?

「日和、おいのりについて教えてくれ。一体どんなおいのりなんだ?」
「わかんない」
「分からないのか…。じゃあなんでおいのりするんだ?」
「わかんない…」
「これもだめか…。じゃあ日和、いつもどんな風においのりするんだ?」

ずっとぶすくれた日和が、表情を失った。
すると黒かった目が金色を帯びて、目の前の子供は取り憑かれたようにその雰囲気を変えた。

「…みんなのあんぜん…。けが、ないように、おいのりするの…。だいじょうぶって。わるいのあっちいけって、おいのりするの…」
「……」

面食らった。
今目の前にいるのは本当に我が子か?
まるで神宮寺師隼のように不思議な空気を纏っていた。
何だこれは。
頭が混乱して、考えていたことが吹き飛んでいく。
誰に相談すべきだ?できれば早急に…師隼殿じゃだめだ、間に合わない。

「そうだ、式神竜牙に…!って日和、日和!」

目を瞑った日和がそのまま力が抜けたように倒れ、慌てて抱える。
こんなの、今までの比ではない。
腕の中の日和は熱に浮かされたように顔を赤くしてぜえぜえと呼吸していた。

「……パパ、おはよう…」
「ん、おはよう。体は大丈夫か?」

16時。
日和は39度まで上がった熱が中々落ち着かず、結局ずっと休ませることとなった。
佐艮に連絡を入れる暇も本当はあったのかもしれないが、日和から視線を離すことはできない。
沢山日和のおいのりについて考えていた。
きっと日和のおいのりは日和の命を危険に晒すものなのかもしれない。
憶測しかない推論など、研究者として恥ずかしいが判断材料が何も無かった。
明日師隼殿に見てもらうまでは、そう仮定するしかない。
随分と心苦しいものだ。

「パパ…」
「どうした?日和」
「ママのとこ、いく…」
「今日は体が悪いだろ。無理だ」

なんで今日に限って、こんな時にまで日和は我儘を言うのだろうか?
いつも以上に可笑しすぎる。
何があった?
そんな考えを他所に、日和はもっと信じられないことを口にした。

「でも…ママが、しんじゃう…」
「はっ…?」

聞き、間違いか…?
いや、そんな訳がない。
思わず日和の額に手を当てた。
しかしさっきの気配も熱もない。
この子は一体…――

「だって、みえるの…。きのー、パパがちかづかなかったの、きょうね、ママがかえるときあうの…」
「……そ、れは…本当、なのか…?」

昨日確かに妖を見逃した。
まさか、あれが妻を襲うのか?
そんなばかな。
でもそれが本当なら、とても危険ではないか。

「……日和、元気か?」
「うん。もう、だいじょーぶ」

支度をして、日和を連れて妻の個展会場へ向かった。
行く途中に昨日の妖の気配は感じられない。
全て日和の杞憂であることを信じたかった。
だが…そうだとは確信できない。
日和は当然大事だが、妻だって大切だ。
私は随分と弱くなってしまった……いや、色んな事を知ったからかもしれない。
妻を通して、娘を通して……。

◇◆◇◆◇

個展会場では相変わらず入り口で妻が立っていた。
入る客や出る客に頭を下げ、話しかけられれば笑顔で対応している。

「雪羅」
「あらあなた。日和も。今日は遅かったわね?無理して来なくても良かったのに…」
「日和がどうしても君に会いたいって珍しくごねたんだ」

妻は至って健康そうで、表情には出さないが安心した。
日和も妻を見ては「ママ、ぎゅー」と呼びかけて両手を伸ばす。

「何々?めっずらしいわね。はい、ぎゅーっ」

日和は妻の体に顔を埋めて、長く大人しくしている。
傍から見れば寂しかったと思われるのだろう。
案の定妻は「どうしたのよ。写真撮ってあげようか?」と日和にカメラをちらつかせた。

「じゃあ…パパと、とって」
「うん、良いわよ。はい、いくわよー」

珍しく日和と共に写真に写された。
日和は誰と映るかなんて気にするタイプではないと思っていたのに、一体何故。
もしかしてまだ、なにか見えているのだろうか。
日和の目には一体何が写っているのだろうか。

「……19時か。すまない、雪羅。そろそろ帰る時間のようだ」
「寧ろわざわざ顔を見せてくれてありがと。日和、ママまだお仕事があるからお家で待っててね」
「はぁーい」

個展の写真を眺めていたら、気付けば日和は完全に元に戻っていた。
謎の体調不良もしっかりと落ち着いたようで元気にしている。
一体本当に、何だったのだろうか…?
夢でも見ていたか?
いや、そんな訳はない。
現に日和はあんなに熱を出して、不思議なことまで言い出して…――

「――パパ!パパ!」
「んぅ!?ど、どうした!?」
「おなかすいた」
「あ…ああ、そうだな。なんか食べて帰ろう。そういえばパパも日和も今日はまだ何も食べてなかったな」

そういえば、そうだ。
巡る思考で一杯になり、すっかり食べるタイミングどころか存在すら抜けていた。
元々食への意識が薄く高峰の重鎮にも言われたというのに、日和にまで言われてしまうとは。
日和にはこんな血は継いでほしくないな。

日和と共に近くの店に入り、夕食にした。
二人でスパゲッティを食べて店を出れば辺りはすっかりと真っ暗だ。
それも当然、今は11月。
薄ら寒い時期でもある。

「みて、こーえん!こーえんある!」

食事をして日和は再び元気になっていた。
駅前公園を指差し、はしゃいでいる。

「公園…たまにはいいな。遊ぼうか」
「ほんと!?やったぁー!」

日和を肩車し、走る。
地面に置いたら逃げられたので追いかけ回した。
街灯に照らされた日和の影を踏んで遊び、ブランコに乗せて何度も押した。
一人で滑り台の階段を上がる日和を下で迎えようと笑顔で腕を広げた。

「パパ!おうちかえったらえほんよんでー!」
「日和は絵本が好きだなぁ。今日は何の絵本にしようかな」
「んっとねー、んとねー!」

やっと今日、花が咲くように笑った日和と遊んで一日を終えた。
終えたかった。
だが、これで終わる訳がない。

「グググ…ヴヴヴ…」
「……!来たか…」

振り返れば妖がいた。
気配を読む限り、昨日の個体だ。
血のように真っ赤な、イタチのような姿をしている。

「……ふむ。珍しい姿をしているものだな。だが、見た目では判断できない。それは何故か、お前は原色に近いからだ。女王になる素質を持つ妖は基本的に混ざり気のない強い色をしている…お前は、直情的で随分と強い感情から生み出されたらしい」

妖は素早い動きで迫り、私の電気によって弾き飛ばされる。
日和に触れさせる訳にはいかない。さっさとケリをつけてしまおう。

「パパっ…!」
「大丈夫だ、日和!そこから動くな!」

頷く日和を横目に全身に電気を纏わせ、目の前の妖に掴みかかる。
相手は案外すばしっこい。
掴もうとするとするりと抜けて逃げていく。
……なるほど、簡単にはやられなかったという訳か。

「だったら、これはどうだ!」

式神・練如を出し、鎖で相手を捉える。
妖に向けて鎖を通して電気を浴びせると、くたりと動かなくなった。

「ふーっ、この年で…式神は負担がでかすぎる、な…。力の大半を式紙に変えて正解だった…」

膝を付き、呼吸を整える。
この地域の式神技術を知る為に作り上げた式神がこの期に及んで役立つとは思うまい。
全盛期などとっくに超えている、術士としてならば既に老いぼれ前だというのに力を使わせるとは…。

「パパ!!」

日和の掛け声が耳に入り、顔を上げる。
すると目の前で捕縛されていた妖の体が膨れ上がり、メキメキと音を立てた鎖が…――千切れた。

「なっ…!?」

イタチ型の妖はゆらりと姿を変え、狐に変わる。
目の前で進化したその姿に息を呑んだ。
こうなった場合は……何か特殊な力を得た可能性が高い。

「娘を庇いながら戦うのは骨が折れるな!君は随分と強い気持ちがあるらしい!」

こうなれば早くに仕留めてしまった方が楽だろうか?
いや、焦れば手痛いのはこちらの方だ。
様子を見て…

「……泡…?」

眼前の狐が動き出し、泡を出す。
水系の能力か?それならば属性では、こちらの方が上だ…!
左手を伸ばし電気を飛ばす。
するとぷかりと浮かんでいた泡は電流に引き寄せられ、破裂した。
――バァン!!

「…っ!?」

まるで爆発事故のような音が響いた。
いや、現に今、目の前に血飛沫が舞っている。
あの泡は…本物の爆弾だ。
電流を飛ばした手首は焼け焦げ、その先は消えていた。

「ぐるルルル…チョー、だい…。そノ力…チョー、ダイ…」

妖は嗤う。
弾け飛んだ手がブランコの近くへ転がり落ち、私の手の先からはボドボドと血が滴り落ちていく。

「ひっ…!」

滑り台の上で立ち竦む日和からはよく見えただろう。
嫌なものを見せてしまった。

「大丈夫だ、日和。そのままいい子でいなさい」

震える日和に声をかけ、妖に意識を向ける。
妖からは既に次々と大小様々な泡が浮かんでいた。
もしかしたら対処は難しいかもしれない。
……私は、死ぬのか?娘を目の前に?
いや、私が死ねば娘も死ぬはずだ。
では日和が死ぬのか?私を殺して、娘まで、食い殺すのか?

「そんなこと、させる訳が無いだろう!!」

全身に再び電気を纏い近づく。
向こうの力は泡、だが爆発物だ。
ならばと電気の力を集約させた光を放つ。
光は泡を壊し、破裂音を響かせる。
そして再度泡が出るまでに仕留めれば問題あるまいと、ナイフを右手に斬りつけた。

「ギャン!グルル…ソノ力…欲シイ!食ベル!!」
「大した強欲だ、女王の卵!」

斬った感触はあった。
ごり、と肉を裂く感触が手に響いた筈だ。
しかし妖が暴れた拍子に体から泡が出て、自身の体に付着する。
次の瞬間、大きな音を立てて泡が破裂した。
左肩が吹き飛び、再び爆発音が響いたと同時に右足が分離していく。
血飛沫が舞う。
舞い散る華のようだ。
それでも攻撃の手は止められない。
こちらには娘がいるのだ。
娘すらも守れない父親など、この世界に必要あるもんか。

「パパ、だめ!……だめ、やめて!!」
「なっ、日和!?」

いつの間にか滑り台から降りてきた日和が割り込んできて、血の気が引いた。
日和を守るのは、父親の仕事だぞ…!

「おねがい、パパに…いたいのだめ!もう…あぐっ!」
「日和!」
「まだまだ…」

娘が妖に殴られ吹き飛ぶ。
まだまともな術士教育もさせていないのに、どうして。
小さな体で全身に電気を這わせて飛び出し、妖に掴みかかる。
やめろ、怪我をする。
最悪、死ぬんだぞ。

「ふみゃっ!パ…パパ…、パパを…ま、も…りゅ…」

小さな体が地面を転がる。
ゆっくり体を起こそうとする姿がなんとも痛々しい。
まだ3歳なのに、こんな歳で術士の真似事なんてさせたくない。

「……くそっ!」

吹き飛び、血を散らして落ちた腕など必要ない。
外れ、後方に飛んでしまった足など必要ない。
流れ出る血は…今は邪魔だがどうにもならん。
片手片足、使えるのは一つずつ…ならば力も使えばいい。
電気を纏い距離を詰める。
刺さったままのナイフを握り抉る。
ごりごり、と骨を断つ感触がしたが、再び破裂音がして今度は右手すらも潰れてしまった。
真っ黒に焼け焦げ、ナイフがカランと音を立てて落ちる。
残っているのは…あと右足か。
目の前の妖は気付けば人の姿に変わっている。
腹部に強い爆撃を受けて内蔵が潰れた。
ごぼ、と口から大量の血液が出て膝を……あ、膝はなかった。

「ごめんなさい、パパ…まもれなくて、ごめんなさい…」
「力…。…ツヨイ、力…ホシイ。……ねぇ、アノこ…チョーダイ…?」

……地に伏せ、泣きながら謝る娘を指差して妖が言う。
なんとも冷酷で、無慈悲な、奴だ。
こんなにも愛らしく健気な娘を…差し出す親、が……この世に…いる、もんか…。

「私の、娘は…16になれば…最高の、餌に、なるだ…ろう。それまでに、手を出す…なら、私が…妖となって、お前を…食らう」

妖は意識が飛び始めている自分と泣いて震える日和を見比べ、こちらを向く。
降ってくる言葉は感情もない、同じ言語を使うただの暗号だ。

「ワカった、ジャア…お前ヲ食べル」

悪いな、日和。
私はどうやら弱い人間だったらしい。
だが、諦めてはいないぞ。
お前は生きなければならない人間だ。
強くなくていい、何も目指さなくていい。
ただ人を愛し、愛され、人並みの幸せを持った人間であればいい。
雪羅に任せでも大丈夫だろうか。
あわよくば、佐艮に顔を見せるだけでもしておけばよかった。
なんならそのまま佐艮の息子と結婚させてもいい。
大事に守られてくれればそれでいい。
あとは…お前の『おいのり』の力をもっと、知っておくんだった。
すまない、日和…。

「…っ!ひよ…り、大…丈夫…か…」
「パ…パ…」
「お前の、未来を…皆に預ける…」

もう娘の姿さえも見えない。
だが、それでもいい。
これから私は…こいつの中で、日和のために、妖として生きよう。
ずっと近くで、私が日和を見守るからな。

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