私は新たな問いを見つけた
私がオーストラリアに来て、拠点を3箇所移動し、見つけたもの。それは、「人はどんな場所でも生きて行けるんだ」という答えだ。
そうして、新たに目の前に現れた問い。
ジャージャーーん。
「では一体私はどこで生きていくべきなのか?」
何度か海外に行き、一般的な家、アパート、シェアハウス、ゲストハウス、ホステル、色々な場所での寝泊まりを体験した。その結果分かったこと。私たちは、一応どこでも暮らすことはできる。
これは、こだわりをなくしてしまえば・・・の話。
英語が話せなくても海外で生きていける。話せたにこしたことはないけれど。最低限の暮らしはできるだろう。
お金がなくても、仕事がなくても誰かと一緒なら、生きていくことはできるだろう。
趣味がなくっても、コーヒーを飲まなくっても、生きていくことはできるだろう。
コーヒーを飲まないと生きていけない。英語がなければ生きていけない。お金がなければ・・・お金、言語、仕事、趣味・・・これらは全てこだわりだ。
何を大切にして、その場所を選ぶ?
その人を選ぶ?
住まいを選ぶ?
自慢できるほどでもないが、私には割と強めの適応力が備わっている。だからこそ、思った。どこでも生活できるからこそ、”どこを選ぶのか”と。
あえて選ぶということを自分に与えたら・・・私は結構”こだわりが強い”ことがわかった。
コーヒーマシーンが家にあるor近くに朝早くからやってるカフェがある
高層階か、車通りの少ない家
トイレとバスは別
天井が高い
カーテンは薄くてもいいから太陽が差し込む
小さな観葉植物がたくさんより、大きいのドンドンドン!!
お部屋は風通しが良い場所で
・・・などなど、上げ出したらキリがない。
考えすぎもよくないかもしれないが、こだわりを持ったとき、私はどこで生きていくのだろう。
私が暮らす場所。
一緒に過ごす人。
いやーー見つかるといいな(切実)と思ったので、天に投げる!!
2023.11.30 寝る気配のない、シェアメイトのベッドを見つめて・・・ yukina
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