変わらない愛情

繰り返し届く贈り物

いつからか、カレーの香りを嗅ぐと、懐かしい家族の思い出がよみがえるようになった。

なんだか、妙に切なく、寂しい。胸に水を吸い込んだみたいな感覚と共に、かすかなぬくもりと、幸福感も感じて、妙にセンチメンタルになってしまう。

実家を出てから、母から食料品の贈り物が届く。ラインナップは、その時々で変わるが、段ボールを開封する前から「あれ」が入っていることは、容易に想像ができる。

カッターをとるのも面倒くさくて、爪でビリビリと、ガムテープをひきちぎる。母が几帳面に書いた、きれいな宛名書きは、ひんやりと湿ったガムテープに引っかかって、一緒に破れた。

思ったとおり。「あれ」は、他の食料品と段ボールの間の隙間に、まるで緩衝材のように、おさまっていた。

「中辛」

思わずつぶやく。
常温保存のカレールーを取り出すと、その箱はみるみる水滴に覆われていく。わたしはそのまま、カレールーの箱を、常温食品保管ボックスの中に入れた。その中には、既に4つの同じ箱が入っている。

私の家から歩いて行ける近所のスーパーにも、同じカレールーが売っている。しかも、1箱200円もせずに、手に入る。それをわざわざ宅急便で送ってくるなんて。

何故母は、繰り返しカレールーを送ってくるのか。その理由を、私はなんとなく想像できている。私と弟の幼少期に、母がよく作ってくれた料理はカレーだった。いわゆる、私にとっての「おふくろの味」は、母のカレーになるだろう。私自身、母のカレーが大好きで、その思いを母に伝えていたから、母からの贈り物の中には、必ずカレールーが入っているのかもしれない。

「ゆきは、一人でもカレーを作って食べているだろう」
母はきっとそう思っている。しかしカレーは、私の中であまりにも、幼い日の家族の思い出に、強く結びついていて、自分一人のためにカレーを作ることなど、ない。

それに、母から送られてきたカレールーで、カレーを作って食べることは、いつまでも幼い頃の日々に、依存しているように思えて嫌だったという気持ちもある。母の行為が、私がまだ母の保護下にいるような感覚を持たせるから、それから逃れたかった。

母のカレー

私が幼い頃、我が家の夜ご飯は、週3回カレーだった。母が仕事をしながら、弟を習い事に通わせてあげるために考えた方法が、夜ご飯をカレーに固定すること。

我が家は超ド田舎にあったので、弟がバスや自転車で習い事に通うのは難しかった。そのため、習い事に通うには、母の送迎に頼らざるを得ない。

母は働いていたから、仕事から帰宅して、すぐに弟を車に乗せて出発しないと、習い事の時間に間に合わない。しかし、育ち盛りの子供が、週3回も夜ご飯抜きでは身体に悪いだろう。そこで、母はカレーを作ってから仕事にでかけ、私と弟は学校から帰ると、カレーを食べて、母の帰りを待つというスタイルになった。

母のカレーは、じゃがいも、にんじん、たまねぎという基本の具材と、お肉は豚肉が定番だった。野菜は大きく、ごろごろっと入っているのが特徴で、大きいのに芯までしっかり火が通り、甘さが増している野菜たちが、私のお気に入りだった。

ところで、どうしてカレーだったのかというと「盛り付けるだけの手軽さ」と、「時間が経っても、変わらぬ美味しさを楽しめる」そして「野菜も肉も食べられる」という、3つの魅力を兼ね備えていたのが、カレーだからだ。

私個人の思いとしては、そこに「温かな食べ物であるから」も加わる。温かなカレーに母のぬくもりを感じていたし、私にとってカレーは、一生懸命子供を育ててくれた、母の愛情の象徴だった。

孤独

社会人3年目ともなると、少しずつ一人で対応する仕事を任されるようになる。私も日々の仕事に悪戦苦闘しながらも、強くてかっこいい女性を目指して戦っていた。

実家に帰ったときに「新商品の企画を任されて、取引先との交渉も私がやっているんだよ。」と報告することが誇らしかったし、自立して凛と生きる私を見せて、両親に安心してほしいと思っていた。

強く、強く、自立した女性に……。

仕事に邁進する日々を送っていたある日、私は仕事で大きな失敗をおかした。

「お前、これどうやって収拾するつもりだ?責任取って対応してこい!!」

上司の怒号に見送られながら、一人電車に乗って、対応先へ謝罪に向かった。

夕方を過ぎて、ようやく帰りの電車に乗るために、駅へ向かう。なじみのない土地で、目頭に熱いものを感じたような気がして、少しだけ顔を斜め上にあげて歩く。ひつじ雲が空の赤を写しとっていた。

ふと、多少距離があっても「それ」と分かる、あの香りが鼻腔をくすぐる。その香りはどんどん強さを増し、1軒の家の横に差し掛かった。

「あ。今日このお家は夜ご飯カレーなんだな」

口角が少し上がる。自分にしかわからないくらいに、ふふっと笑みがこぼれる。

カレーの香りがしただけなのに、家から人のぬくもりを感じる。大きめのお鍋でまとめて煮込んで、みんなで取り分けて食べる。そんなイメージが目に浮かんだ。カレーを囲む人々はきっと笑顔だろう。

同時に、懐かしい家族の思い出もよみがえる。一人で戦ってきたわたしの心には、それはどうしようもなく温かくて、同時に寂しさをつきつけられた。

もう少しだけ顔を上げる。空の赤はより深くなっている。

今夜は……カレーを作ろうかな……。

変わらない愛情

帰る道中、スーパーに寄って、じゃがいも、にんじん、たまねぎ、豚肉を購入した。にんじんとたまねぎが198円だったことに驚いたが(100円じゃないのか)、今日はカレーを作ると心に決めていたし、我が家のカレーに、にんじんとたまねぎが入っていないなんて、あり得なかった。

スーパーは賑やかで、お肉コーナーでは「安いよ安いよ!!本日国産豚肩ロースが、100g98円!!」と活気のある声が、スピーカーから流れていた。

帰宅して、母から送られてきたカレールーを引っ張り出す。賞味期限が3ヶ月過ぎていたが「まあいいか」と作り出す。

じゃがいもは半分に、にんじんは、縦に半分横に半分、たまねぎは、縦に半分、もう縦に半分にカットした。鍋に豚肉を入れて、軽く炒め、にんじん、じゃがいも、たまねぎの順に鍋にいれる。

水の量を確認したくて、カレールーの箱を見ると、どうやら今は、1箱で8皿分のカレーが作れるらしい。昔は10皿分だったような気がするな、と思いながら、4皿分のカレールーを取り出した。

鍋に水を入れて野菜を煮込み、ぐつぐつしてきたら、火を弱めて見守るが、何分くらい煮込むのが正解なのだろう。ただ、私も疲れていたし、早くご飯を食べたい気持ちもあったので、とりあえず、10分煮込んで、カレールーを投入した。

冷凍しておいたご飯を、電子レンジで温めて、お皿に盛り付ける。カレールーがしっかり溶けたところで、カレーも盛り付けて、完成。

「いただきます」

美味しい……とは言い難い……。
母の作ってくれたカレーと同じように野菜を切った。見た目はとても似ている気がするのに「人参がかたい」「じゃがいもの周囲がくずれている」。

「カレーは簡単だから。手抜きでごめんね~」と言っていた母のカレーは、私が思っていたよりもずっと、母の愛情が込められたカレーだった。きっと、仕事から逆算して、だいぶ早めに作り始めて、弱火でコトコト、長時間煮込んでいたのだろう。

母のカレーとは違う、少しそっけないカレーを食べながら、励まされるような、温かな気持ちになる。

「カレールーはまだあるから、また明後日もカレーを作ろう。今度は弱火でコトコト煮て、少し水も減らそう」

「SHElikes」WEBライティングコース提出課題「家族と贈り物にまつわるエッセイ」より作成。

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