再開

書きたいことがあるときに何か書こうと思っていたnoteだったが、気がつけば随分と日を空けてしまっていた。

記憶の限りでは、noteを書き始めた頃はおそらく、何者かになりたくて、誰かに見てもらいたくて、そんな気持ちだっとような。

そのうち、心の中のモヤモヤを言語化して気持ちを整理するために文字を打つようにもなった。

最近は特に書きたいこともなく、幸運なことに心の中のモヤモヤも大したことないので、何か書こうという気すらなかった。

だったらなんで今こうして文字を打っているかというと、多分自分はなにかしら文章を書いていた方がいいんじゃないかと思えるような出来事があったからだ。

最近急に親しくなった友人がいるのだが、こんなことを言ってくれた。

「最近note書いてないの?今までの記事割としっかり読んでたんだよね。」

若干記憶は曖昧だが、確かこのような内容だったはず。

私としては純粋に嬉しい気持ちもあったが、何よりも驚きが大きかった。

というのも、昔から数学や理科が好きで、高校でも理系を選択、進路の関係で高3になると同時に文転こそしたものの、理数系科目で得点を稼いでいた私だ。

国語は苦手というほどではなかったが、別に得意な訳でもない。ましてや作文なんかで高い評価をもらったことなどあるはずがなかった。

とても自分に文才があるとは思えない。

でもそんな私が書いた文章をおもしろいと言ってくれる人が、たとえ少数だとしてもいるという事実。

そんなふうに思ってくれる人がいる以上、私にとってnoteを書くことは大いに価値があることだと、そう思うと、もう再開始めの記事は何を書こうかと考えずにはいられなかった。

そんなことがあり、とにかく平凡な話題でもいいから文章にしてみようという考えに至った。

ところで、昔からの私の癖なのだが、こういった文章に限らず、何かを作ったり、何らかの行動を起こすとき、どうせやるならすごいものを作ってやろう、すごいことを成し遂げてやろうと思いがちである。

もちろんこの性格が功を奏してうまくいったことももちろんあるのだが、すごいことをしなきゃと思ってしまう反面、何かをし始めることのハードルが高くなってしまうというのが欠点である。

このnoteも例外ではなく、たとえ何となく書き始めたとしても、気づけばどうにかして上手い文章を書いてやろうと試行錯誤をしてしまっている。決して上手く書けることはないのに。

そのため、大して長くもない一つの記事を仕上げるのに2時間以上も費やしてしまうことも少なくなかった。

このことは記事を書き終えた時、過剰な達成感と疲労感に繋がり、次の記事を書く気が削がれてしまう。

そこで、今後は意識的に文章を綴るハードルを下げ、その分頻度を高めて継続していきたいと考えている。

質も量も別に高くなくていい。そのかわり定期的に書く。

この精神を忘れずにこれからやっていきたいと思う。

そんなこんなで30分程度でまとめようと思っていたこの記事も、気づけば45分ほどかかっていた。

厄介な癖だ。



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