言葉の果て
会社員だった頃、メーカーのマーケティング部で働いていた。
マーケティング部と一口に言っても、業務内容は様々だ。
市場の意見を集める仕事、集めたデータを分析する仕事、プロモーションを考えたり、広告の打ち出し方を考えたり。
4年間の会社員生活の中で様々な仕事を経験させてもらったのだが、私が一番長く関わったのは広告を作る仕事だった。
一般的に「広告を作る」というと、広告代理店に丸投げしておしまい、というイメージがあるかもしれない。
でも、実際はそうではない。
もちろん会社によるとは思うが、私の勤めていた会社のマーケティング部は「社員が最大限関わっていく」というのが基本姿勢だった。
商品やサービスについて一番よく知っているのは社員なんだから、何でもかんでも代理店に丸投げは良くないよね、ということだ。
広告に掲載するキャッチコピーひとつとっても、本当にいいキャッチコピーなら、プロのコピーライターの考えたものではなく社員のアイデアが採用される。
そんなわけで、メーカーの社員でありながら、広告代理店や制作会社がやるような仕事も、一通り経験させてもらえることになった。
当時の私は、マーケティングについての勉強以上に、コピーライティングや広告デザインの勉強に打ち込んでいたと思う。
もちろん元々希望していた仕事だったからこそ打ち込めたのだが、同じ部署に若い層が少なかったこともあり、ベテランの先輩たちに一刻も早く追いつこうと必死だったのだ。
学生時代ただのガリ勉だった私は、デザインの知識なんて皆無だったので、先輩たちが使う言葉ひとつとっても、外国語のようにチンプンカンプンだった。
会議や打ち合わせに参加しても、話の内容がまったく掴めない。
自ら広告の仕事を希望しておいて、基本用語の1つも知らないなんて当然言えたものではなかった。
隙を見てはネットで検索したり、昼休みに「広告のキホン」といったようなテキストを拾い読みして、なんとか毎日をしのいだ。
どっしりと重量のある広告年鑑を会社から持ち帰っては、休み返上で隅から隅まで読み漁り、帰宅後も、遅い日は夜中の3時ごろまでアイデアを模索していた。
「アイデアを模索」なんて言うと聞こえがいいが、実際はまったく使い物にならないゴミのような案しか出てこなくて、上司に何度もダメ出しされる日々が続いた。
上司は「ゴミ」という言葉こそ使わなかったが、「面白くないよね」という言葉がいつか「ゴミ」に変わりそうな気がして、私は上司と顔を合わせられないくらい毎日ビクビクしていた。
企画書を提出するときは、目に見えて分かるくらい手が震えていたと思う。
一方で、一緒に入社した同じ部署の同期たちは、数字を扱う仕事だったり営業の仕事だったりで、分かりやすく成果を上げているようだった。
同じ給料でゴミのようなアイデアを差し出すのが精一杯だった私は、劣等感で押し潰されそうで、会社に行くのが毎日本当に辛かった。
いつまでも学生とやっていることが変わらず、それなのに、ちゃんと成果を上げている同期たちと同じお金をもらっている。
それは、単にお金をもらうよりも、よっぽど辛いことに思えた。
そんな日々が1年ほど続いたある日のことだった。
いつものようにゴミのような案を山ほど持っていくと、あるところで上司の目の動きがピタリ、と止まり、
「うん、これはいいと思う」
と、赤で小さな◯印を付けてくれたのだ。
何を意味する「◯」なのか、その場では分からなかったのだが、会議を重ねるにつれてやっとその意味が分かった。
◯印は、「このキャッチコピーを採用する」という意味だったのだ。
つまり、CMや雑誌に私のキャッチコピーが掲載されることになったのだった。
本当に、夢のようなことだった。
上司は分かりやすい言葉で褒めはしなかったものの、出来上がった広告を見て「良かったね」と言ってくれた。
息が止まりそうになるくらい、嬉しかった。
いよいよ世間に雑誌広告やパンフレットが発表されると、私はそれらをすべて大きな茶封筒に詰めて実家に送った。
そして何部かは持って帰り、当時住んでいた社員寮の薄汚れた壁に、事務室から借りてきたセロテープで丁寧に貼り付けた。
光沢紙に印刷された一文字一文字が、愛おしくて仕方なかった。
文字の上に指を滑らせては、「この仕事に就けて自分は本当に幸せ者だ」と思った。
この広告を見れば、これから先どんなに会社で辛いことがあっても、たとえ人生にどんな困難がやってきても、乗り越えていけるような気がした。
それまでに感じていた劣等感も、さっぱり吹き飛ぶ気持ちだった。
ちょうどこの頃、久しぶりに同期で集まろうという話が持ち上がった。
本来なら私はそういった集まりに参加するようなたちではない。
そもそも、仲が良いと言える同期もいなかった。
しかし、この時だけは即答で「参加する」と返事した。
正直に言えば、自分のキャッチコピーが採用されたというのを、少し同期に自慢したい気持ちがあったのだ。
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