戦う使命、それはヌマヅのために。勝利の女神を信じるか。〜Be as one!!!考察〜
幻ヨハライブ楽しかったあーーーー!!!
私が今年とにかくどハマりしたアニメ作品「幻日のヨハネ -SUNSHINE in the MIRROR-」。12月15日~17日にかけて、武蔵野の森総合スポーツプラザで開催された幻ヨハのライブイベント「幻日のヨハネ -The Story of the Sound of Heart-」では、アニメで実際に放映されたシナリオに則って「まるで一本の映画を見たような」演出がなされていて、リアタイで見たあの時の感動が戻ってくるようでした。
ところで。幻ヨハで私が特に気に入っている回が3話の「団結Are You Ready?」という回。気に入ってる楽曲も「Be as one!!!」でございまして。基本的には主人公ヨハネや8人の仲間たち、ライラプスの心理描写が克明に描かれていくのですが、この回はちょっと異色。そもそもがファンタジーの世界な「ヌマヅ」ですが、ガッツリファンタジー満載な戦闘シーンが見られるのは実は3話ぐらいだったりするんです。
まあ戦闘……といっても「ヌマヅの街を蝕む瘴気によって暴れたシカと、それに襲われてるヨハネを救う」といった感じです。
そういうストーリー展開で進む中で挿入された楽曲が、ダイヤ・ルビィ・チカの3人で歌う「Be as one!!!」ということなんです。
Be as one!!! 楽曲的な大まかな説明と3話Aパートのシナリオ
曲調は「ヒーローの戦闘シーンに相応しいガッツリハードロック」。ところどころに3人がラップを挟みます。
3話のシナリオからすると、2組の二律背反のポリシーを抱いたヒーロー「怪傑ミリオンダラー」と「スカーレットデルタ」がヨハネとシカの救出そっちのけで妨害合戦を始めます。
「何がどうなったらそうなるねんて。」
妨害合戦から遡ること少し前。ヨハネが夜の鬱蒼とした森の中で暴走したシカに襲われ、物理的な実態を持つ瘴気にも身体を拘束され、そのまま闇に引きずり込まれようとしたその時。
「もう大丈夫だよ、子猫ちゃん」
ヨハネを子猫ちゃん呼ばわりしたその正体。「怪傑ミリオンダラー」。
……うん。既視感バリバリ。アホ毛が見えとるよ。
そんな胡散臭い見た目とは裏腹に、必殺技の爆風銃(バップガン)で瘴気を見事に斬滅。チカ……っぽいミリオンダラーのエース「ケイティー」がオカリナの音色でシカたちを瘴気の呪縛を解いていきます。
しかし、瘴気は振りほどいても何度も押し寄せてくる。そして、戦いが長引くうちに爆風銃のエアカードリッジのストックが枯渇。シマねえとミトねえメルシーとトミーが慌てふためく中、触手のように瘴気がケイティーを襲う!
ケイティーの身体を強く縛り付け、稲妻を帯びた瘴気が更にケイティーを苦しめる。そこ、お色気シーンだとか言わない。ヨハネたちもこの状況に手も足も出ずで、絶体絶命の大ピンチ。
その時。一振の刀が瘴気を切り裂く。落っこちていくケイティーの身体をお姫様抱っこでキャッチしたもう1人のヒーロー。「スカーレットデルタ」。仮面ライダーよろしくバイクに乗って現れた赤い装甲の女流の剣士は赤い日本刀――――――イオンブレードで瘴気をバッサバッサ斬っていく。
このムーブには惚れる……わけなかったのが当の本人のケイティー。
「市民のあなたはヨハネさんと離れて見てください」
……ハァ?
誰がただの市民じゃ。完全にカチンと来てしまったミリオンダラー陣営。
どっちが本物のヒーローか。絶対に負けてらんない。
そう。ここから、ヨハネを置いてけぼりにした妨害合戦が始まったのでした。
どちらも心の奥底に「ヌマヅの街を脅威から救う」という強固な信念があります。その心こそがヒーローとしての崇高なプライドです。それが故、自分がトチマン旅館のチカであることを隠し通すミリオンダラーの「ケイティー」と、ヌマヅ行政局執務長官のダイヤであることを否定し続ける「スカーレットデルタ」。そしてルビィはバイクになりましたバイクに入り込みおねいちゃスカーレットデルタを補佐します。ヒーローとしての人格は守り抜く、まさに役者です。
ケイティーからしたら「官軍気取りが偉そうにしやがって!」と。スカーレットデルタからしたら「義賊風情がお黙らっしゃい!」と。確かに、傍から見ればミリオンダラーは自分たちで始めた自警団的な存在、悪く言えば義賊。一方でスカーレットデルタはヌマヅ行政局の全面バックアップで始めた公務。悪く言えば税金泥棒。
そこで言い争いを止めたのがスカーレットデルタの陣営のはずのルビィ。人命の救出そっちのけで小競り合いをする2人に待ったをかけたのです。ようやく我に返った二者は、「行き過ぎた自分自身の正義の振りかざし」を素直に詫びて、ようやくここに「一つの希望の星」が爆誕したのです。
楽曲の方に戻ります。
「負けられない!」と決死の覚悟を示し始まるサビ。正義と正義のぶつかり合いによる呪縛から解き放たれ、爆風銃の砲撃とイオンブレードの一撃は必ずや瘴気に満たされた天を突く。私達の本気の戦いに味方するように、「追い風は吹き荒れる」。
歌詞に出てくる「追い風」は勿論「沼津(ヌマヅ)で頻繁に吹き荒れる富士颪と駿河湾からの海風」。心の音が枯渇し、心の淀みから瘴気に満ち溢れたヌマヅの街も、ヌマヅを救うヒーローたちを全面バックアップ。風自体は厄介者であるものの、地元愛(じもあい)に溢れたリリックです。シビレます。
そして本楽曲の一番の見所のラップ。
いきなりキャストの話に飛んで恐縮ですが、伊波さん、小宮さん、降幡さん、皆ラップ上手すぎる!!
それもそのはず、小宮さんは個人活動でアニソンDJを、伊波さんも元々ラップが好きで個人楽曲にもラップを積極的に取り入れるほど。降幡さんに至っては、あの可愛らしいルビィちゃんの声で1番・2番ともに完璧にラップをこなす。
……バケモンだ。
それを現地で浴びれたのが未だに実感が湧きません。しかも我らが伊波杏樹さん、当方の期待を大幅に上回ってくる大暴れをやってのけました。
なんですかこれは。CYaRon!砲よりも更に一回りも大きいバズーカ砲を片手持ちしながら歌ってるし、本邦初公開の「ケイティーの必殺技・回し蹴り」!爆風銃よりも回し蹴りの方が攻撃力高いやろ、と思ったのは内緒。
一夜にして幻ヨハ屈指の激強ブチ上がり曲に仕立てあげた「ヒーロー」3人に大きな拍手を送りたいです。
勝利の女神が微笑む方へ。
さて。ここからはかなりの私信になっていくのですが、私が歌詞の中で最も興味深いと思ったフレーズが、上記に書いてあるコレ。このヒーローたちが思い浮かべる「勝利の女神」って誰なのか?と。
恐らく、幻日のヨハネに登場するキャラクターに当てはめるには難しいものがあります。魔王マリも作中でヌマヅの運命を司るポジションではありますが、そこまで積極的に力を貸す性格や立場ではないだけに違うのかな……と。
普通に考えれば「ヌマヅで土着信仰を集める女神」がそれに当たるのでしょうが、私には「勝利の女神のシルエット」がハッキリ見えます。
あった。ここに答えが。こじつけが過ぎるかもしれないけどこれしか無かった。
勝利の女神の3つのシルエット。それは「伊波杏樹さん、小宮有紗さん、降幡愛さん」のこと。
ミリオンダラーのケイティー、スカーレットデルタ、ルビィの「3人のヒーローたち」を勝利に導ける存在、それはヌマヅの外部で心で繋がっている存在でもあり、彼女らの心に寄り添ってあげられる存在。
そして何より、伊波さん、小宮さん、降幡さんが彼女らと同じ「役というペルソナを背負う存在」であるということ。このメンバーのうちの1人、伊波杏樹さんは色々な媒体で「共に生きる役との向き合い方」について語っています。
キャストと役。2人が命を削ってまで戦い抜く。「キャストと役が1つになって1つの目標、1つの夢を叶えていく」ことが、何よりの役に対する使命であり恩義。ペルソナ(=役)を背負うという行為が、如何に責任の重いことであることかが伺い知れます。
だからこそ、「ヌマヅを脅威から守るヒーロー」という役を背負ったダイヤ、ルビィ、チカが、見えないところで命を削っていると言えるんです。そして、伊波さん、小宮さん、降幡さんと「役を背負う重みを熟知している存在」が大きな心の支えになるし、彼女たちの「VICTORIA」であり続ける。
鏡写しの2人の戦士たち。
さて、先に挙げた伊波杏樹さんのソロ楽曲「VICTORIA」。2021年12月にリリースされた1stフルアルバム「NamiotO vol.0.5 ~Original collection~「Fly Out!!」」に収録されている楽曲のひとつです。そもそも、フルアルバムに収録されている楽曲のコンセプトからして「役を演じながら歌う」という、伊波さんらしさ全開の作り込み。
Fly Out!!の7曲目として収録されているこの曲、奇しくもBe as one!!!と同じ「戦う女の勇姿」を克明に描いた曲なんです。伊波杏樹さんといえば、今や「戦う女の代名詞」とも呼ばれる程に、殺陣の卓越した技術と誇り高き戦う背中を魅せてくれる方です。その自分の強みと役の世界観をふんだんに詰め込んだ曲が「VICTORIA」であると。
実際、歌詞を比較してみると、同じように戦う描写でも似てるところもあれば微妙に異なる部分もあるのが「この2曲が引き寄せ合う要素」なんです。
まずVICTORIAの場合。
1番Bメロの1回目と2回目。このワンフレーズから察するに、逆境において敵と対峙する状況。しかも戦場には戦力としての味方はおらずたった一人、「あなた」は遠いどこかに居る、若しくは傍の草陰で見守っている。
続いてBe as one!!!の場合。
1番Aメロ。この状況は完全に幻ヨハ3話の、ヨハネとヒーローたちが横一線に瘴気と対峙する様子。VICTORIAと同じ逆境からのスタートですが、戦力を持つ仲間はすぐ傍に居り、手を取り合って敵と対峙。
次に、戦闘シーンの風景を思い浮かべてみます。
Be as one!!!の時は、真夜中(?)の鬱蒼と茂った森でどす黒く毒々しくサイケデリックに怪しく光る瘴気が席巻する場。完全に闇夜です。
一方でVICTORIAには2つの場面が対照的に散りばめられています。
星空の海に浮かぶ月の下で、傍に居てくれと契りを交わす描写から一転。白昼堂々、真夏の日差しが照りつける中での大暴れ、敵を蹴散らす。
そしてここで、決定的な違いを一つ挙げます。
ミリオンダラー、スカーレットデルタが言い放つ「負けられない!」は、争いと脅威のないヌマヅを取り戻すための「正義の勝利」を追い求める覚悟。
伊波杏樹さんが言い放つ「負ける気しないわ」は、屈辱を味わせた敵を蹴散らし無双状態に入った「戦士のプライド」と、心から愛する人(=あなた)に「絶対的勝利」を捧げる覚悟。
これこそが、私が導き出したケイティーと伊波杏樹さんの「鏡越しに共闘するペルソナ使いの狂宴」という考察です。
2曲とも初めて聞いた時から大好きな曲で、役に生き役として戦うチカ……もといケイティーと伊波杏樹さんの姿は、この2曲を聴く度に脳裏に激しくフラッシュバックしてきます。
ヒーローだってイチ人間だもの。だから……
最後に、私が伝えたいこと。
ヒーローは常にヒーローなんかじゃないってこと。
ヒーローである以前にイチ人間であるのは当然のことなのに、そのヒーローの虚像だけが独り歩きして、自分らしく生きれなくなったら本末転倒。
ミリオンダラーとしてヌマヅを救う下地には、トチマン旅館で常日頃から笑顔を振りまく「日常」があってこそ。
スカーレットデルタとしてヌマヅを救う下地には、執務長官として真摯に真面目に公務に取り組む「日常」があってこそ。
伊波杏樹さんをはじめ、キャストがその役を一生懸命生きる下地には、ファンの皆さんの声援に頬を緩ませながら日々の稽古をこなす「日常」があってこそ。
その日常を尊重して「一人の人間」として見てあげることが、ヒーローたちに対する最高のエールだと私は思います。
「役として生きる」全ての人々に、最大限の尊敬を寄せまして締めさせて頂きます。
2023年12月20日
中井みこと