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切り捨てた何かで今があるなら……

こないだ書いた、推し疲れの話をフッと思い出した時があって。

それも、例によってお師匠様がついったさんでスペース開いてた時に。
複数推しが故の悩み。それが「イベ被り」ってやつ。

推しのイベントって、大概は土曜休日にしか開催されないもんで。平日のイベントがあっても、そのほとんどは大型連休の前後。
つまるところ、1年365日のうち声優イベントやれる余地は1年の半分もない。


とある日のイベント一覧。
多い時には一日に10公演も声優イベントがあると考えたら、当然の事ながら複数推しの人はこういう時に取捨選択に迫られる。
普通だったら心は折れる。極端な話、これが推し疲れのトリガーにもなりかねない危ない状況でもある。

しかし、被りはイベント同士だけではない。
資格試験だったり、休日出勤だったり、既婚者だったら家族の時間だったり。
そういう取捨選択も発生するのだから、声優ファンの世界は想像以上に過酷なのかもしれない。



そういう悩みにまつわる打ち明け話になった時、私はあいみょんのとある歌がフッと降りてきた。


明日が来ることは解る
昨日が戻らないのも知ってる
できれば やり直したいけれど

切り捨てた何かで今があるなら
「もう一度」だなんて
そんな我儘 言わないでおくけどな
それでもどこかで今も求めているものがある
不滅のロックスター 永遠のキングは
明日をどう生きただろうか

さよならの今日に - あいみょん  作詞:あいみょん


推せる時に推せ、という言葉は正直無責任だなと想う私だからこそ、その代わりに切り捨てたことで生まれるモチベーションの強さというのも理解できる。

現地行けなかったから0なのか?現地行けなかったことは無価値なのか?
次があると解っていて、それをいちいち後悔してると何も生み出さず終わるのは、自身の過ちが証明してくれている。

その代わり行けなかった分、初めて逢えた時の嬉しさはものすごい。
高海千歌役・伊波杏樹さん」にやっとの想いで出逢えた時の感覚が忘れられないのも、私自身が持つ矜恃がゆえ。
つまるところ、命を懸けて全通してきた人の気持ちも理解したいし、1つの公演にすべてを懸ける人の気持ちも理解したいんだ。


だから「推せる時に推せ」という言葉は
言いたくないんだよね。


これぞ、というタイミングで推しに逢えたらそれでいいじゃない。
もしかしたらこれが最後かもしれない、と思ったそのタイミングで目押しをすればいいじゃない。
みんな、推しを想うばかりに潰れて欲しくないからね。



イベントの取捨選択というとても苦しいことをやってのけた自分を褒めてあげましょうや。
そのイベントに行く、という決断をした自分を信じてあげましょうや。

といった感じで、自分の心に労いの生ビールでも差し上げてゆっくり寝ましょう。
―――――― きっとその選択をした明日はいい日になってますからね。


2024年6月17日
中井みこと

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