想起の量をまず増やす

これは何か

頭の良さは、何かのインプットから想起される量とその繫がりの意味合いの強さではないか、となんとなく考えていることのアウトプットメモ
徒然なるまま記載するので、文章の論理構成についてはごめんなさい。

頭の良さとは、仕事ができる人は何が違うか

頭の良さというか、仕事ができる人、意思決定を人より割と早く、適切(と思われる。少なくとも納得感がある)にできる人の差は何かを考えていた。よく言われているメタ認知できるか、にもかかっているとは思うが、「メタ認知ができるからだよ」、いうのは何とも納得できるようで詰めが甘い感じもあり、「経験や知識によるよ」、いうのも前線に身を置く若手には少し手落ち感がある。もちろん経験や知識が影響することは疑う余地はないが、単純に経験と知識を積み重ねるだけというのは、多くの先輩方をみても少し違う何かがある気がしてならない。

想起量が重要なのかも

個人的ななんとなくの考えは、一つのことから想起できる量が多い、かつその繋がりが何かしらの意味合いが強い状態である頭をもっていることなのではないかと思っている。

一つの事象を見たときに、あの時のこの事象とこの観点で似ている、という量がどれだけあるか、である。この量が多いと、一つの物事から過去の繫がり、反省点やよかった点と繫がり、一つの事象をより強く認知し、記憶していくのではないか。その繋がりから推察して、正しく(または正しいと周囲が感じる)意思決定ができるのではないか。結果的に周囲から頭がいい、と言われるのではないだろうか。(なんとなくの考えなので正しいかはわかりません)

説明がうまい人などは、指導時などの例え話がうまかったりする。(具体的な例がぱっと出てこないので割愛)これは人が一見関係ないと思うようなことも何かしらの観点で似ている、同じ構造である、ととらえた結果なのではないだろうか。

日々の情報のインプット

上記を考えると日々情報をインプットする際や、物事を考えるときは、とにもかくにも自分の過去の経験と繋げてインプットするとよいのではないか。多分全く関係ないことと全然説明がつかない状態で想起の紐づけをしたりもするんじゃないかと思うが、そんなものは結構脳が忘れてくれる(んじゃないかな)。(これがよくわかっていないけど繋がっているようにとらえて話している人を変人扱いしているのかも)。ということで兎に角自分の想起に突っ込みながらなんとなく繋げてみることは大事なのではないか。きっと皆無意識に脳内でやっていることではあるのかと思います。

 この想起の適切性については正直評価が難しい。単純には論理的に正しいといっていいものだとは思うが、発想という観点ではすべてが論理的につながっていることがベターである、とも言えないかもしれない。でも正直今はこれでしか説明がつかないような気がする。

余談だが、部活とか何かのことを一生懸命考えて活動していた人は、あの時のあれと一緒だ、バスケで例えると、とか、一見他人からすると繋がらないこととかと目の前の事象に何かしら構造的な繫がりを見つけて、過去の学びを活用して別の何かでも結果を出していっている人もいるのではと思っている。

(論理構成作って具体例をつけて書き直したい。。。)

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