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Creator's Wall.02 「我流プロット作成論 01」

さっそく二回目を書いているゆきますくです。
今回は、前回書いていて深堀したくなった物語構成論について、実は01で書いたものは理想形で、実際はあんなことしてないな、って後から思って(おい)……なので、今回は自分が実践してるプロット作成論とかについて深堀を。

例によって次項から常体で書きますのでご了承ください。


1.そもそも、「プロット」とは

プロット、と言っても、こんなの書き手用語だし、今から書き始める人とか、俗にいう読み専の人とか知るわけないし、聞いたことあるけどはっきり知らない人もいるだろうと思うので、まずははっきり、ここでの「プロット」を定義しよう。

ここでは、プロットを「ストーリー上の重要な出来事のまとまり(Wikipedia 「プロット (物語)」を参考)」とする。ちなみにここでのストーリーは、前回で言うシーン割のようなもの。簡単に覚えておくなら、プロットは大枠、ストーリーはそれより細かい、と考えておけば差支えない。


2.書くにあたっての姿勢とプロット構成要素

そもそも、書くというのは読むことから始まるとよく言う。実際、読むことから着想を得ることは多い。ただ、個人的には「読む」という動作がそこまで好きではない。
でも、読むことは大事だ。読む工程を通じて、それを逆算して考えると書くことにつながることは多い。今から書くのも、読み方の逆算として考えたものである。

では、まず読む時に人は何に注視するだろうか、という基本的な問いに対して、私なら「ライン」と答えるだろう。ラインとは、ストーリーライン……つまり物語の流れそのもので、実際に自分なら作品を読んで一番にストーリーラインを吸収するし、ならばまず最初はストーリーラインに注視していると考えて差し支えない。というか、ここまでは多分誰もが同じで、だからこそストーリーラインは重視されると思いながら書く。

じゃあ次は? 次に重視されるものは何か、考えたことがあるだろうか。

ここで、読み方の整理をして、その逆算をしていこうと思う。
読み方の基本としては、「ライン」の次に垣間見るのは「ベース」。つまり、「ベース」というのは作品世界の中に流れている根底となる世界観、あるいは世界の中の常識、生活、日常、そして作者が「見せたかったもの」の片鱗がある場所。
その次は、「テーマ」。つまり作者のメッセージや作品の中で貫かれている価値観。これは、現実の自分たちと作品世界の人物たちとに共通するもの。

といえど、これでは説明が曖昧過ぎて分かりづらいので、前回同様例を出して考えようと思う。
今回は、太宰治の「走れメロス」を例に出して考えてみる。

「走れメロス」は中学校の国語の教科書の教材にもなる有名な作品ではあるが、一応あらすじを解説しておこう。

メロスという、政治の分からない羊飼いは、人を信じられないからという理由で無闇に人を処刑する王を断罪しなければならないと決意する。しかし王を刺殺しようと王宮に忍び込むも、あっさりと捕まり、王の前へ連れ出された。そこでメロスは、王が平和のために断罪していると述べたのに対して「罪のない人を殺して、何が王か」と問うも、王はその話に聞く耳を持たず、処刑すると決めた。そこでメロスは、無二の友人であるセリヌンティウスを人質として差し出す代わりに、妹の結婚式を見届けるため、処刑を三日間待ってほしいと言う。王はそれに対し、遅れてきたら罪を赦し、セリヌンティウスを殺すと告げた。メロスは走り出し、妹のいる村へ戻り、結婚式を見届けた後、全力で王宮へ戻ろうとする。しかし山賊や川の流れに阻まれ、鉄のように固かった意志も揺らぎ、一度はセリヌンティウスを裏切ろうかと考え始めたが、再度その男のために走ると決意する。命以外全てを失ったあられもない姿で王宮についたメロスは、王へ信実を説き、友人セリヌンティウスを解放した後、一度裏切ろうとしたことを詫び、友情を確かめ合うように抱き合った。

このあらすじというものは、先述の「ライン」である。というか、むしろこれが「プロット」そのものである。ここには作品世界しかなく、この中に居るのは、メロス、王、セリヌンティウス、メロスの妹、その他の登場人物のみだ。今回のこの作品では、私たちはそれを俯瞰視点で、第三者の視点で見つめている(三人称)。

次に、ベース。今回、ラインは古代(詳細時期不明)で、とある王国の中の物語として存在しており、前提条件として「王が残虐であり、罪のない人を疑いで処刑している」というものがある。また、メロスは政治が分からないながら、政治とは別の部分でこの王を批判し、人としてのこの王の在り方について説いている。さらにラインの流れのベースとしては、疑いと信実、逃避と危険の対比構造がある(疑いと真実は王の心情の変化としての対比、逃避と危険は王とメロスの考え方、つまり信実からの逃避と信じることによる危険という対比)。
また、作品の最後に「古伝説とシルレルの詩から」という記述があることを考えると、これはフリードリヒ・フォン・シラーに関連があることが分かる。シラーの著したものを集めた「新編シラー詩抄」というものの中にある詩の内容としては、「デイモンという男が、第三者たちのたくらみでいたずらに処刑を王に言い渡され、友人のピアシスを保証人として身辺整理をする。デイモンは第三者たちに、お前は裏切られると言われるも、日が暮れかけたころにピアシスは現れる。王は第三の男として仲間にしてほしいと言うも、拒否される」というような内容である(以下参考)。

最後に、「テーマ」。上記のことから考えると以下のようになる。つまり、信じるという道徳的美に関する危険とその回避の象徴である王、そしてその危険を顧みず前進するメロス、同様に危険を顧みず待ち続けるセリヌンティウスの心の在り方について示しているのではないだろうか。同時に、信じるという道徳的美において、追い求めるか、追われるか、つまりこの作品において待たせるか待つかという選択について思慮することができるのではないか。そのように考えることができる。

今、こんな風に「ライン」、「ベース」、「テーマ」について、順に考えてきた。これであらかた分かってもらえただろうか……。一応念のため、再度言葉で定義しておく。

・「ライン」
物語の流れ、あらすじ、作品世界。ライン=俗にいうプロット。
・「ベース」
作品世界の前提、作品の前提、作者がどういう設定を施したか。
・「テーマ」
作者の意図、考察の根底、作者が何をしたかったか。


さて、じゃあこの読み方というのがどう「書くにあたって」関わってくるのかという話であるが、順番が入れ替わるということだけ頭に入れておいてくれたらいい。

つまり、作品を読む際は「ライン」「ベース」「テーマ」の順に触れていくが、書く場合は「テーマ」「ベース」「ライン」の順に考えていけばよいということである。

まぁ、「ライン」「ベース」「テーマ」の話をした段階で、うすうすこんなことに気づいていた人は居るかもしれないが、あくまでプロット「論」として明確に示しておきたかった次第。
しかし、この考え方は結構基本になるし、この話を突き詰めれば「テーマがなければ作品はできないし、ベースをすっとばしてラインを書くこともできない」ことが分かる。例え、テーマやベースがどんなに粗雑、もしくは陳腐なものであってもだ。


3.実際のプロット作り

じゃあこんなこと書いて、また理想形で終わってないかお前? って思ったそこの貴方。これはさすがに理想形じゃ終わらない。
これは、前回の「3.天海春香物語の構成」における一・二・三を簡略化したものである。

いやどういうこと? ってなると思うので解説を。
次は自作ではあるが「なぁ春香、デートしないか」を例に考えてみよう(まだ読んだことがない人は、たかだか4500字程度(だったはず)の短編なので、是非読んでみてほしい。感想等は下記ページの感想ページからか、Twitterのお題箱にてくれると嬉しい)。

あの時はまだ天海春香Pとして一年目とかだったので、考えていたことは単純で、「テーマ」はXbox360版のドームエンド(通称箱マスTrueEnd)の天海春香の反応への答え、そして立場の逆転化。少々ネタバレになるが、箱マスTrueEndでは春香がドームライブ後に誘い出した先で、Pに対して自分の思いを打ち明けるも、Pから別々の道を行こうと言われ、別れる。この作品では、敢えて時空の設定を曖昧にしていつ答えたかを不明にした上で、春香のあの感情へ自分の言葉で返答したかった。とはいえ、はっきりと答えを返したわけではないし、そうするべきではないと思った。だから、きっとこの小説は当時の自分の春香への考え方そのものだ。なんて、今は思うが、書く発端となった感情はこれらである。

では次に考えた「ベース」。ベースは時空の曖昧化、そして箱マスTrueEndの伏線化、それから序盤にインパクトを持たせること。これは若干「テーマ」とも重なる。
時空の曖昧化としては、Pは13人いる事務所のPであるということ……つまり、アイマス2時空、もしくはアニマス時空、もしくはその中間のような、はっきりしない形をとった。ただ、少なくとも箱マス時空より後という形はしっかり示したかった。これは作品世界の前提。
箱マスTrueEndの伏線化という意味では、作中の春香の台詞「『……もし、いや、あるはずないんですけど、別の世界で、私がちゃんと言って、それを受け止めてもらえなくて、プロデューサーさんは去っちゃう、そんな夢を何度も見た気がするんです』」で仄めかしている。これも作品世界の前提である。
また、「テーマ」で「はっきりと答えを返したわけではないし、そうするべきではないと思った」と述べたが、結論部分がはっきりしないことを考えると、序盤でインパクトを持たせることが必要になると思い、「デート」という単語を入れることにした。これは作品の前提。つまり作り手の前提である。

そして出来上がったのが「ライン」である。
春香をデートに誘い出し、Pのお気に入りの場所である海で、Pの本音を聞く。そこでPは、ここでは全てに正直になることもできれば、分かっているが故に全てをはぐらかすこともできると告げる。春香はそれに対し、一つの決意を示す。
こうして、プロットが完成する。


4.要素の分解とプロット

実際に、読み方、そしてプロットの形成について、ここまで見てきた。ただ、プロット通りに書けるかと言われれば、それは否であるだろうと思う(むしろいつもプロット通りに書けていれば、書きながら悩むことも少ないし、ましてやこの前まで手掛けていた「『ゆめ』の続きの話をしよう」がプロットでの予想字数15000字を遥かに超えて24000字になるなんてことはあり得ない。そもそもプロットを作った上でシーン割をしなければいけないし)。

結局プロットはプロットとして置いておいて、その後の足し算と引き算が最終的なシーン割に影響すると、私は考えている。
プロットを組み、大まかな流れが出来上がった後、細かい台詞や引用の仕方等は書きながら考察し、伏線等に至っては先にある程度書いてから、伏線がおけそうな場所に戻って追記するというような足し算で作る場合が、私は最も多いが、そのようにプロットに沿って細かくシーン割を決めた後から、足し算や引き算で仕上げるのが、私の中では主流である。
とはいえ、そういう足し算は楽でも引き算は難しい。プロットを作るとストーリーに必須の要素がはっきりと見えてしまうし、それ故に「この要素を引くと分からなくなるんじゃないか?」という発想が頭をよぎるからである。
しかしどちらにせよ、必要な能力……その中で最も重要なのは要素を分解する力だと私は思う。プロットにした時点で、起承転結や序破急のどの部分にどの内容が当たるのかを割り振り、そしてその中でも細かく要素を分解する必要がある。何故なら、細かく要素を分解しなければ必要な要素を引きすぎる恐れもあるし、不必要な要素を足しすぎる恐れもあるからだ。

そして、このプロットは割と後付けで考えることが多いのも事実としてある。

いや、ここまで語っといて「おいおいそりゃねえぜ」ってなるかもしれない。多分私だったらなる。だけど、実際にそうなのだから取り繕いようがない。
なんとなくで書き始める時、テーマやベースはなんとなくぼんやりと頭にある状態からスタートする。こんなことしたい、こういうこと表現したい、こういう面白さを出したいなど、色々ありながら、でもまだ言語化していない。そういう時に限って、導入だけは上手く書けたりする。まだ根幹に触れるような部分じゃないから。だけどどんどん奥へ進むにつれて、どこまで進んできたか、今が進捗で何パーセントなのか、物語の根幹を目指して書いていなかったから分からなくなる。そういう時に地図を広げる。その地図がプロットだ。今来た道を書きこんでみて、それから先の目的地を探す。どういう落としどころにするのかを考えて、テーマやベースを言語化し、書きこんでいく。そうしていく中で納得のいくラインができたら、あとは曲がり角でどっちに曲がるかなどの細かい部分……つまりシーン割を決め、それに沿って書き始める。シーンを追加するべく寄り道したり、伏線を書き足すべく一度戻ったりしながら、目的地である物語の終焉まで足を進める。

こんなことを言ってしまうと本末転倒のような気はするが、こうして理詰めで書く小説も大変面白いが、勢いに任せて覚醒して書く小説も、熱がこもっているが故の荒さが味として表れていて面白い。
ただ、だからといって「テーマ」「ベース」「ライン」の三要素について、忘れている訳じゃない。このような考え方について、「あえて考えてすることではない」程使い慣れているからこそ、熱が上手くこもって面白くなる。考え方があやふやな小説は、熱がどこか上手く入り切っていないし、少し逃げてしまっているが故に、作者の意図とは違うようにとられることも多いと私は思う。それに、小説含む全ての創作において、最も重要なのは「こう伝えよう」と思って書くことではなく「こうすれば伝わるだろう」と思って書くことであると、私はいつも思っているし、何度も口にする。その為、我流であれど一本の筋が通った理論を根底にもった上で創作をすることが、あとから読み手目線で考える上で重要になったりする。


5.最後に

さて、以上をもって「Creator's Wall」の第二回とさせていただく。
プロット論については我流であるが故、恐らくこれからも書き続けるうちにどこかで変わっていったりすることもあるかもしれない。そうなったらまた書く。こうして自分の考えを言葉にすることは、自らの生活の中で「書こうかな」と思う気持ちのハードルを下げることにもつながる。いや、本当に書けねえなって時はあるのよ、実際。そういう時にもちょっとは書けるように、今のうちからこうしてハードルを下げておきたいから書く、っていう理由は、少しだけどある。

それと、今回はここまでで6100字程度らしい。まだ抑えている方か。
とにかく、これでプロット作りに困ることはない。私が。しばらく書くことから離れ、日常に忙しくしていても、これを読み、自分の作品を読み返せば、きっとまた書けるようになる。今は「『ゆめ』の続きの話をしよう」を書いた余波で言語化がスムーズだから書けるが、きっとそういう時が来る。だから、今ここでこうして言語化しておくのは、きっと大事になるはずだ。

そして、今書けないなと困っている人へ、この言語化したものが、いつかどこかで役に立つことを願っている。

では。

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