愛の織物、後深草院二条
呉竹の一夜に春のたつ霞、今朝しもまち出て顔に花を折り、匂ひをあらそひてなみゐたれば
このきわめて美しい一文で始まる「とはずがたり」、1940年、宮内庁書陵部で唯一の写本が偶然見つかった。時代は両統迭立した鎌倉末期、書き手は北朝持明院統の後深草院に直々に仕えた後深草院二条。家柄よし、容貌よし、さらに歌才画才に長けた女性であった。しかしここには、数奇な運命に翻弄され、高貴な身分ゆえ零落していくなかにあって、それでも一途強かに生きる二条の赤裸々な独白が綴られている。「とはずがたり」とは、聞かれなくとも思わず語ってしまうこと、その語りはきわめて人間的な自然の行為に思える。
じつに魅力的な女性だったのだろう、二条は院から最大の寵愛を受け、そのほか身分高き公家や高僧らと契りを交わす。自ら願った愛、謝絶するも受け入れざるを得なかった愛、惑わされ、奔走し、隠匿し、そしてまた契りを交わす。ドロドロに錯綜した愛欲がこれでもかというくらい刻まれている。それでも二条は、女性からの嫉視と苛虐にあい、院に見捨てられ、やがて出家してからも後深草院への思慕を忘れることはなかった。
卒去した院の葬送に間に合わず、空に消えゆく煤煙をひとり眺める二条は、出棺の車を泣きながら裸足で追いかける。この件、二条のはっきりとした愛のカタチが見えた。愛は一方通行で身勝手な欲望の対象でしかなく、損得利害でとらえがちな現代人をして、二条のこの姿はグッと胸に突き刺さる。
出家後の二条の足跡もまた、目を瞠るものがある。『華厳経』60巻、『大品般若経』27巻、『大集経』60巻、『涅槃経』36巻、『法華経』8巻の写経という途方もない作業をやり遂げ、全国各地を結縁のためさまざまに訪れている。もちろん徒歩で、である。動乱の中世をこうしてたくましく生きた二条、読み終わるや私はいっぺんに好きになった。あるいは、たくましさは美しさではないかと。
問われもしないのにひたすら回想の自分語りをした二条だが、その跋文の最後は、こう締めくくって筆を擱いている。四十九歳のときである。
身のありさまを一人思ひゐたるも飽かずおぼえ侍るうえ、その思ひをむなしくなさじばかりに、か様のいたづら事をつづけ置き侍こそ。後の形見とまでは、おぼえ侍ぬ。
わが身の生きてきたありさまを一人で思い続けていても張り合いがない。そんな思いは、人から見ればバカげたこと。でも、その思いをカタチにしたかった。形見としてもっていようとは思わない。ただただわたしは書きたかった。
記録として残し、同時代や後代の人たちの目に触れることはほとんど意識していなかったに違いない。でも孤独な二条は、胸のうちを人知れず語らずにはいられなかった。生き様や愛のカタチをただ書くためだけに書いた。しかしここには、過去を回想し書き送ることで自己を見つめようとする鋭い内省の姿がある。存在の確かさやあやにくさ、悲しみや喜び、それらを通じて人生の意義をとらえようとする。個から出発し、やがて個を乗り越え、人間存在探求への普遍の旅ともいえる格調高きこの日記が書かれてからおよそ700年のときを経た現在、この「とはずがたり」は、二条の思惑に反してこうしてわたしたちの手に託され、読み継がれる。
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