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敗者の文学、悲愁の美--建礼門院の姿


美とはなにも強さや優雅さにだけあらわれるものではない。歴史の外に追いやられ、後ろ向きに消えていくその儚い姿にもあらわれる。私はかねてからそうした悲愁の美ともいうべきものに大変な興味をもっていた。

それを代表するひとつの文学作品に「建礼門院右京大夫集(けんれいもんいんうきょうのだいぶ)」がある。かつて栄華と優艶をきわめた平家最後の皇后、平徳子(とくし)に仕えた右京大夫が後年綴った日記である。

月を愛でる人が多い中にあって初めて星を発見した「星合の歌人」といわれた。それだけに本作でもとりわけ七夕の歌が多い。しかしこの回想録は、歴史の闇に葬り去られてしまった貴族の残像を名残惜しく綴る。憧れだった世紀の美男子維盛のこと、恋人だった資盛へのやむにやまれぬ想い、そしてその死の悲しみが読み手の身を切るように迫ってくる。その言葉はいずれも痛惜に支配されている。

有名な「大原もうで」という章段がある(高校の古文で読んだ人もいるだろう)。平家の生き残りとして大原に隠棲した建礼門院平徳子を訪ねる場面だ。かつて大夫は徳子の女房として仕えていたが、平家が滅び(もちろん恋人の資盛も失っている)、出家した徳子を訪ねたくも行くに行けなかった。徳子は壇ノ浦で滅亡した平家の生き残りであり、夫である高倉天皇に若くして先立たれ、目の前で母と幼い子供(安徳天皇)が入水し、兄弟はみな殺されている。

そこで大夫は「ふかき心をしるべにて」赴く。強く慕っている気持ちだけを頼りにしたという。かつて華美の頂点にいた姿とは程遠く、その侘しい山道を歩く間、涙があふれ見るに堪えなくなってしまう。よって、これ以降は音に訴える詞書が続く。風に吹かれる枝葉の音、筧に落ちる水の音、鹿の鳴き声、そして虫の音。聞き慣れたものだが、でもいずれもこれまでにないほどに悲しく響く。視覚から音への零落のこの転換は見事としかいいようがない。読み手をその寂寥のなかにいつのまにか誘う。

この悲しみに涙がこぼれっぱなしで、言葉が続けられないと嘆くが、ここで歌をうたう。

今や夢昔や夢とまよはれて いかに思へどうつつとぞなき

この寂しい今が夢なのか、栄華を誇った昔が夢なのか、わからなくなり、どんなに考えてみてもこれが現実とは思われない。と、精一杯の言葉である。

女院はなんといってもかつての皇后である。このみすぼらしさは相当なショックだったに違いない。

でも大夫は最後にこう歌って閉じている。

山ふかくとどめおきつるわが心 やがてすむべきしるべとをなれ

慕いの「深い気持ち」を導きの案内としてやってきた女院の住む庵だったが、そこは「山深く」寂れたところだった。そこに自分の心を置いていき、そのまま自分が出家して住む道標となっておくれという。女院がどんなに変わり果てた姿になっても、尊崇と恭順の気持ちは変わらず、私の道標だというわけである。

有名な「祇園精舎の鐘の声」で始まる平家物語、灌頂の巻最終章は女院死去とあり、「寂光院の鐘の声」で閉じられる。この大原もうでから十数年後、女院は人知れず静かに世を去った。右京大夫が出家することはついになかったという。

敗者の文学といえば確かにそうだが、しかしここには歴史に翻弄され、その幾重もの層に消えてしまった人間の、とりわけ表舞台で活躍する男性の背後にあった女性の去り行く後ろ姿が、まさに後光のごとく儚い光に映し出されている。

この後ろ姿を照らした消えかかる光のなかに、私は悲愁なる美を見ずにはいられない。


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