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"断絶平家"---わたしの「平家物語」

八坂系百二十句本"断絶平家"版「平家物語」。

虚実交錯し、また編年体と紀伝体とが縦に横にと編み込まれている。すべては平家没落の一点へ収束する長い文栲だが、それまでに様々な伏線が仕掛けられている。

平家への筆致はじつに冷酷で抑制がきいており、ほとんど同情の余地がない。つかの間の栄華や高潮があったにせよ、それは下降を強調するがためのたたき台に過ぎない。すべてはこの滅亡を描くためだった。とりわけ壇ノ浦に沈んだ幼帝安徳天皇と、のち斬首された副将丸の幼き死は悲痛を超え、言葉を奪わしめるものがある。

全編を通してそこには無数の死が描かれているが、それぞれの結びは「あはれなり」となっている。

この「あはれ」は、「いじらしさ、たのしさ」を表した紫式部の「もののあはれ」とは極をなす。ひとえに「悲しさ」である。栄枯盛衰の果てにあるこの「あはれ」でもって作者は何を言おうとしていたのか。

色めきに色めいた数多の灯りが緩々と消え、またときに一瞬で消え、最後の残灯だった嫡子六代が斬首され、無言のまま世は暗闇と化す。

結びの一文、「それよりしてぞ、平家の子孫は絶えにけり。」

震える感動さめやらぬまま、思わず冒頭に立ち返る。

諸行無常、盛者必衰。ただ春の夢のごとし、ひとえに風の前の塵に同じ。

そこには生きとし生けるものの非情なる「あはれ」が、当然のごとき訪れる死への弔いとして響いてくるようでならなかった。

本書は今も昔も世界に誇れる日本最高の大古典のひとつだが、しかしこれはその没落の軌跡を追うことで一門を断罪したものでは決してない。そうではなく、生ゆえの死が宿命づけられた人間ひとりひとりへの、つまり人類全体へのレクイエムだったのではあるまいか。

わずか23年というきわめて短い春だった平家にたいし、およそ700年以上も生き延びて現代に伝わる物語には、おそらく日本人の心身に宿っている、「あはれ」への哀憐と共感があるのだろうと思う。自分もまた、そこに身を寄り添えたひとりの読者だった。

海路敗走の途次、「ながらへはつべき身にあらず」、「心をすまし、横笛の音とり朗詠して(第七十四句)」、柳が浦にて入水した清経。横笛の妙手として知られたその悲しい調べから、諸行無常、奢者消尽の<響き>とともに、死への鎮魂の音波が波に乗って木霊する。

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