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「ベニスに死す」

とても苦手な夏、今年もまた盛夏酷暑が続いているが、この季節に思い出すのは夏のベニスを舞台にした映画「ベニスに死す」とマーラー5番である。監督のヴィスコンティはいわゆる同時代の映画と一線を画した文芸的/歴史的な作品を撮り続けた。そのテーマは聖と俗、理想と現実の相克にあり、朽ちてもなお理想を追い求める人間の無惨さがきわめて美しく描かれている。現代最後のルネッサンス人であった。

「ベニスに死す」は言わずと知れたトーマス・マン原作。ともあれヴェネツィアの海とこの美少年タッジオである。こんなきれいな横顔は人類史上みたことがないが、作中、名優ダーク・ボガード演じる老作曲家(これはマーラーだともいわれている)はこの少年に一目惚れしてしまう。老いた醜い自分の対極にいる美の象徴である。そしてここから、少年への愛が地獄の苦しみに変わっていく。マーラー5番の美しい旋律に乗った愛の苦悩である。

この愛から一度は逃げ出すも、再び引き返した作曲家は少年に会いたい一心に、コレラが蔓延する街に死を賭して出かけていく。病原を消すためにそこかしこの地面に撒かれる白い石灰、病人の衣服を焼く黒煙、死化粧をした老作曲家、そしてそのなかに一点輝くような金髪の美少年、これはまさに地獄絵とも見え、タッジオを追う老教授が噴水のところで高笑いをするシーンはひときわ胸を打つ。「バランスは力である」との芸術観をもっていた老作曲家だったが、しかし黒い白髪染めが一滴の汗となってにじり落ちる狂死のラストは、名作のなかでも最高の残酷さと愛の深さを刻み込む。劇場初公開時、エンドロールが終わっても拍手がなりやまなかったという。


「絶対的な美は存在する。美を見つめること、それすなわち死の凝視である」

---ルキノ・ヴィスコンティ(1906-1976)

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