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鴎外の豆まき

今日残っている年中行事の中でも節分の豆まきはどこかユーモラスで微笑ましい。豆まきの歴史は追儺ついなに遡って古く、平安時代の公家や武家、庶民にも親しまれていたという。「」とは疫を駆逐する意で、「論語」や「周礼しゅうらい」にあるように古く中国から伝わった邪疫悪魔駆除の行事だったらしい。

鴎外の作品に「追儺」という随筆ふうの短編がある。鴎外が知人に招かれて料亭新喜楽に出かけていき、相手の到着を待っていると、赤いちゃんちゃんこを着た老婆が入ってきて、やにわに豆をまいていく話だ。赤いちゃんちゃんこで粛然活発に振舞う老婆はおかしみがあって可愛らしいが、それがまさかの女将だと悟った鴎外は、ニーチェの「芸術の夕映」を思い出す。

人が老年になつてから、若かつた時の事を思つて、記念日の祝をするやうに、芸術の最も深く感ぜられるのは、死の魔力がそれを籠絡ろうらくしてしまつた時にある。南伊太利には一年に一度希臘ギリシャの祭をする民がある。我等の内にある最も善なるものは、古い時代の感覚の遺伝であるかも知れぬ。日は既に没した。我等の生活の天は、最早見えなくなつた日の余光に照らされてゐるといふのだ。芸術ばかりではない。宗教も道徳も何もかも同じ事である。

後世、節分と追儺と豆まきが結びついていったが、鴎外はおそらくここに、洋の東西を問わず、時代を超えて連綿と受け継いできた善の形式を発見し、老婆から当の鴎外を経て次代に伝える必要を感じたかのようである。死の魔力たる他ならぬ「鬼」を「鬼は外」と追い払うこのとき、内なる善「福は内」を最も深いところで捉えたのではなかっただろうか。

私はふと、子供の頃、節分になると家族で豆まきをしたことを思い出した。お面を被った鬼役となって皆から総攻撃を浴びたのも楽しく、笑いながら豆を食べたものだ。鴎外に習って、こうして若かったころを思い直すと、あるいはかつての残照のなかに最も善なるものがあったのかもしれないと、この疫病追儺の難のなか私はひとり、「福は内」といわんばかりにせっせと豆を頬張る。

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