オープンDの音色を追って 55 ~大野真澄の証言・前編~
(約5分で読めます)
『学生街の喫茶店』を中心とした各方面の証言。
トリは、歌った御本人・ボーカルこと大野真澄です。
wowowプラス歌謡ポップスチャンネル2018/06/04放送。
『永遠のロッカーたち』#11「GARO」より。
ボーカル(談)
もう、オーディションですから何十人ていう人たちがいたんですけども、彼らだけが何かこう、すごく小綺麗な格好してましたね。
「こういう人たちもオーディション受けるんだ」っていうのが最初の印象ですね。
ただ、名まえは知らなかったです。
マークはもちろん一緒に(『HAIR』に)出演しました。それがきっかけでトミーとも話すようになって、友だち関係にはなってましたよね。
『HAIR』っていうミュージカルが1970年の2月に突然カットアウトのように終わっちゃったんですね。で、彼らは結局、元のバンドをやるように戻ったんですよね。
トミーはその間(『HAIR』稽古中~公演中)どういう具合な活動してたか、あんまりよく知らないけど、多分、「ミルク」を松崎しげるとやってたと思うんですよね。
で、マークはその間、こちらの『HAIR』に出てましたから(バンドの方は)休んでいたんです。
『HAIR』は東横劇場での公演終了後、大阪公演が予定されていましたが、スタッフ、キャストに逮捕者が出たため、中止になりました。
ボーカル(談)
彼らから、誘われたんですよ。『一緒にやろう』って。 コーラスで、アコースティックもやる、エレキも弾く、ロック・コーラスですよね。完璧に最初から決まってましたよね。クロスビー、スティルス&ナッシュですよね。
あれとおんなじようなことをやりたい。
三人ともビートルズが好きだったしコーラスするのが好きだったんで、もう、ピッタリですよね。
ボーカル(談)
(内田)裕也さんから「レコード会社今度作るから、新しいレコード会社で、お前たちやろうよ」っていうんで連絡があったんです。
「デモテープある?」っていうから「ありますよ」って。
で、デモテープ持ってって、それで預けて。
聴いてもらったんです。
電話、連絡があって「テープ聴いたよ」と。「最高だった」と。「すごくいい」と。
ちょっと待ってください。連絡かかってきたのはミッキー・カーティスさんなんです。
「裕也さんはどうしたんですか?」って訊いたら、「いや、裕也はね。ちょっともう、やめたから」。
「えぇ~~っ」って。
そういう感じだったですよね。
マッシュルームレーベルの創設に内田裕也が関わっていたとは知りませんでした。
内田裕也といえば、私はミュージシャンとしては知らなくて。
自分が学生の頃「単館上映の映画がかっこいい」という時代の気分に乗っかって『コミック雑誌なんかいらない!』を梅田コマへ観に行きました。
『コミック雑誌なんかいらない!』は主演と脚本が内田裕也です。
映画館は大阪の梅田コマ・ゴールドだったかシルバーだったか。おそらくシルバーだったと思います。小さい方の館でした。
『コミック雑誌なんかいらない!』は殺伐とした内容だったので、保護者なしで観に行っても良かったのか。
そう思って調べると、公開当時の1986年には、レーティングは一般映画と成人映画の区別だけだったのですね。
現在のPG12やR15+等の枠ができたのは、日本では1998年だそうです。
そして、上映関連の記事で「内田裕也の脚本は横書き」だと知って衝撃を受けました。
それまで父親(テレビ局員)が持って帰って来る脚本や台本は、全部縦書きでしたから。
でも、横に書いてはいけないなんて決まりはどこにもないわけで。
ロックですよね。
ボーカル(談)
デビューしたとき……デビューする前から、すごいコーラスがうまいグループが出て来たっていうんでとにかく話題にはなってたんですよね。
当時、デビューした頃、あの当時、アコースティックギター持ってればみんなフォークって言われたんですよね。
フォークじゃないんだけどね、というのは思ってましたよね。フォークって言われるたんびに。
ま、そのうちにどうでも良くなるんですけどね。
もうフォークでもロックでも何でもいいやって。
『学生街の喫茶店』はライヴではやってないですからね。
ヒットのきざしが出て来たときにやっとステージでやるようになったんですよ。
「何だ? この歌」って思いましたね。
いまだに僕は別に歌うまいわけじゃないし、どうっつうことないんですけど、むずかしい歌だなと思ってたんで。
だからヒットするとも思ってなかったですね最初。
(つづく)
(文中敬称略)
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