オープンDの音色を追って 41 ~トミーが書いたクラプトンのこと・その2~
(約5分で読めます)
前回「AIがもっと一般的になればGAROのメンバーの声を使って好きな曲を歌わせることができるのだろう」と書きました。
ビートルズの新曲はプロ仕様のAIで作られたのであって、まだ素人にできることではないだろうと思っていたのです。
しかし、それは間違いでした。
12月12日、NHK『クローズアップ現代』は「世界を席巻!生成AI 共存のために必要なことは?」と題して、声の権利を守る必要性を取り上げていました。
「SNSにはAIに好きな声優の声を学習させ、勝手に歌わせる動画が氾濫。声は法的に保護されにくく、声優たちは対応に苦慮している。」とのことです。
SNSに氾濫しているのであれば、特にハイスペックなPCでなくても、ことによるとスマホでもできるということですよね?
どうやるんだろう。調べなくては。
それはさておき、トミーのクラプトンについての手記の続きです。
トミーが見た番組『スーパー・セッション』とは、これ?
バディ・ガイのギターはよく見えませんが、クラプトンのはファイヤーバードに見えます。
この手記を読んで、もしかしたらトミーとマークはクラプトンとジミヘンのようなものだったのかもしれない、と思いました。
髪型について「自分の方が先だ」と言い合ってみたり、相手のことを「素晴らしいギタリストだ」と言ってみたり。
マークは、自分が髪に巻いていたカーラーと同じものをトミーがマネして買ったと言っていました。
トミー亡き後、いかにその演奏が優れていたかをblogにたくさん書いてもいました。
クラプトン大好きなトミーに対して、自分はジミヘン派だというマーク。
年齢はマークの方が一つ上ですが、二人は良き(?)ライバル関係だったようです。
坂崎幸之助によれば、楽屋では「自分の方がソロ部分が少ない」とかでよく揉めていたらしいですが。
ボーカルはアイドルみたいな格好をするのを嫌がっていましたが、マークとトミーはグループサウンズ御用達のブティック・ベビードールで作った衣裳を着ていました。
同じ新宿御苑スタジオを練習に使っていたことで知り合ったマークとトミー。
ボーカルの松崎しげるを中心にバンドを組んではみたものの、マークもトミーもリードギターだったため、交互に脱退と復帰を繰り返していたというおかしな関係でした。
そのときのバンド「ホット・ミルク」は『ハッシャバイ』(原曲はアメリカのバンド、ミスティックス)でデビューしますが、レコードが出たときにはマークだけでなく松崎しげるもいなくなっており、リードボーカルをつとめたのはトミー。
しかもトミーもレコード発売時には脱退していて、ジャケット写真にはいません。
いないメンバーの歌でデビュー。
イレギュラーにもほどがあります。
レコーディングから発売までに間が空いたとみえて、レコード発売の1971年2月には、すでにGAROが結成されていたのでした。
ですから『ハッシャバイ』はGARO以前のトミーの貴重な歌声です。
ちなみに、GARO以前のマークとボーカルの歌声はミュージカル『HAIR』のサウンドトラック盤に収録されています。
松崎しげるをめぐって出会った二人のリードギタリスト。
セツ・モードセミナーでイラストの勉強をしていたら、先輩・ペーター佐藤が描いた劇団のポスターが縁で舞台に出ることになった大野真澄青年。
なぜそんな三人が組むことになったのか。
一つ一つ調べていくと、偶然に見える必然が絡まり合っています。
本当にGAROは不思議なグループです。
(つづく)
(文中敬称略)
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