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オープンDの音色を追って 75 ~GAROとザ・タイガース~

(約6分で読めます)
 
 残暑が厳しいですね。
 あまりの暑さに、用事の途中で休憩しに寄った公民館の図書室。
 そこでこんな本を見つけました。

『ザ・タイガース 世界はボクらを待っていた』磯前順一 

 著者は宗教・歴史研究の文学博士。
 タイガースが活躍したGS(グループサウンズ)の時代も歴史のうちだということですね。
 タイガースといえば、そのマネージャー・中井國二はGAROの名づけ親。
 デビュー前のGAROの面倒をみていて、フラワー・トラベリン・バンドのコンサートの休憩時間にロビーでGAROゲリラライヴを決行させた人です。
 それに、タイガースは、マーク(堀内護)が特に仲良くしていた加橋かつみのいたグループでもあります。

 そういえば、川添象郎しょうろうが亡くなりましたね。
 加橋かつみ、マーク、ボーカル(大野真澄)といえばロックミュージカル『HAIR』の出演者。
『HAIR』のプロデュースをしていたのが川添象郎です。劇中歌の日本語詞を手掛け、GAROが所属していたマッシュルームレーベルの創設にも関わっていました。
『HAIR』の歌詞カードを確認したところ、クレジットは川添象多郎となっていました。

『HAIR』サウンドトラックCDブックレット マークとボーカルはどこに?

 タイガースを調べれば、GAROに関する情報も何かあるかもしれません。
 というわけで、読んでみました。
 すると、タイガースとGAROの間には、多くの共通点があることがわかったのです。
 以下、それを書き出します。
【T】がタイガースに起きたこと、【G】をGAROに起きたこととします。

【T】京都の学生バンドだったファニーズは、大阪のジャズ喫茶「ナンバ一番」でビートルズやローリング・ストーンズの曲を演奏し人気を博していた。それをスカウトしたのが内田裕也(当時内田がボーカルとして参加していたブルージーンズのマネージャーが中井國二)。
【G】レコードデビュー前、CSN(&Y)のコピー等で演奏活動をしていたGAROに「新しいレコードレーベルに参加しないか? ついてはデモテープを送れ」と言ってきたのが内田裕也。

【T】ファニーズは上京してザ・タイガースとなり、内田裕也とタイガースとしてジャズ喫茶に出演する。しかし、タイガースをGSとして売り出したい渡辺プロの思惑で、内田裕也は海外へ。
【G】「デモテープ聴いたよ。すごく良かった」と連絡して来たのはミッキー・カーティス。ボーカルが「裕也さんはどうしたんですか?」と訊くと「裕也はもう辞めたから」と言われた。

【T】レコードデビューに際して、すぎやまこういち作曲『僕のマリー』をあてがわれる。メンバーは「なんでこんな歌謡曲をやらなくちゃいけないのか」と落胆。
【G】オリジナル曲が作れるにもかかわらず、すぎやまこういち作曲『学生街の喫茶店』など、職業作家の曲を歌わされる。マーク曰く「偉い先生の曲なんだけど、歌いたくはなかった」。

【T】『ザ・タイガース・チャリティー・ショー』で加橋かつみがビージーズの『ホリデイ』『ニューヨーク炭鉱の悲劇』を歌う。
【G】トミー(日高富明)と松崎しげるが初めてマークの家に遊びに来た時歌ったのが『ニューヨーク炭鉱の悲劇』。ボーカルは地元名古屋でタイガースの公演を見て加橋かつみの『ホリディ』を聴いた。

【T】雑誌「明星」1967年12月号に「夢のデート ザ・タイガースとデートした九人が語る…やっぱり素顔のタイガースはステキ」なる企画掲載。四谷の合宿所をファンが訪問。
【G】その企画に応募して当選したのがボーカル。応募は約2万通あり、男性は約200人。そのうち6人(4人という説あり)が当選し、その中に当時17歳のボーカルが入っていた。


【T】
シングル盤で初めて加橋かつみがソロをとった『花の首飾り』(すぎやまこういち作曲)。当初B面だったが、ヒットにともないA面に。タイガース最大のヒット曲となる。
【G】初めてボーカルがソロをとった『学生街の喫茶店』(すぎやまこういち作曲)。当初B面だったが、ヒットにともないA面に。GARO最大のヒット曲となる。

花の首飾り / 学生街の喫茶店

【T】ミュージカル『HAIR』にはおおいに興味があった。オフブロードウエイで観ようとするが切符が一枚しかとれず、沢田研二が代表して観に行った。瞳みのるも無理やり交渉して立ち見で入った。
【G】その日本版のオーディションで三人は出会った。マークとボーカルはオーディションに合格し、『HAIR』に出演した。

【T】加橋かつみは洋楽で流行ったシタールを意識して、アルバム曲に琵琶の音を入れようとし、琵琶を習っていた。
【G】マークは『姫鏡台』でシタールを弾いた。シタールはジョージ・ハリスンの曲をコピーして覚えた。

【T】【G】自分たちの音楽をやるつもりだったのに、アイドル的な売り方をされた。

 以上のことだけでも偶然とは思えない一致ぶりです。
 加えて、初期タイガースの曲は主に作詞・橋本淳/作曲・すぎやまこういち でしたが、後期には、将来GAROの曲を多く手掛けることになる作詞・山上路夫/作曲・村井邦彦のコンビが入ってきます。
 村井邦彦はテンプターズの『エメラルドの伝説』をヒットさせたので、渡辺プロとしては「ライバルで当てた人を自分たちの陣地に引き込もう」と声をかけたらしいです。

 マークはトーク番組で、すぎやまこういちの曲がGAROに提供されたのは「タイガースの流れなんですよね。中井(國二)さんの。GSがなくなったんで、そのイメージを多分(GAROに)求めたんですよね」と言っています。
 結果的に、周囲はタイガースに無理強いしたのと同じことをGAROにもしているわけで。
 そのせいで本当はもっと長続きすべきだった両者の解散を早めたように、私には見えています。
 売り上げを優先して若い彼らを振り回した結果、金の卵を産むにわとりを締めたようなものです。
 大人の事情が大切なら、その大人の知恵で、加橋かつみやトミーが脱退せずにすむよう考えてあげれば良かったのに、と思いました。

(つづく)
(本文敬称略)

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