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現代社会で変化するオンラインとオフラインの形 / 服飾史から考える店舗と販売の関係

2020年から始まったコロナ禍の中、人と人が非接触で生活することを余儀なくされ、店舗は休業をするという、かつてない事が現実となってしまった。百貨店や商業施設にとって、死活問題の大きな課題である。今まで「店舗にお客様が来店して、販売員が接客する」この形式に何の疑問を持たずに我々は脈々と続けてきたわけだが、このコロナ禍でファッション販売を継続するためには強制的にオンラインを活用する事以外に選択肢はなかった。そして、販売スタッフはリアル店舗で対面接客をするのと同様に、オンライン上で販売をするという「デジタル接客」を始めるブランドが多数だった。Instagramやライブコマースの中で接客を行うことを含めて、2021年の現在まで顧客との関係は、デジタル接点で繋ぐことが重視されている。

この記事を書くにあたり、欧米や日本の「店舗と販売」「接客」とはどういう歴史的背景で発展してきたのだろうかと少し整理してみた。日本の場合、明らかに欧米型リテールを導入してきており、20世紀に大きく発展してきたことは理解している。そこで、かつて服飾史を大学院の研究で調べたことを思い出し、参考に読み直したのは、北山晴一氏の論文「ヨーロッパにおける百貨店の成立過程と現代との繋がり」である。これは、1991年の「おしゃれの社会史」を元に現代社会、特に百貨店について執筆されたものであり、私には大変興味深く感じた。

以下は私の所感だが、20世紀半ばまで、洋服を着るということは「お仕立て」であり、それは自分で作る、あるいは人気のデザイナーに依頼をする、最高級のものを望むとなれば「オートクチュール」を作ることだった。デザイナーが創るファッションはデザイン性や独自性があると人気になり、顧客はファンになる。そこには、デザイナーと顧客は1対1の関係であり、受注生産である。不良在庫は発生しない。店舗はアトリエであり、プライスも販売も個々に対応する。つまり、オートクュール型には店舗や販売、販売スタッフは必要がなかった

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(「Fashion in Japan 1945-2000 流行と社会」展示会場で筆者撮影)

しかし、時代が20世紀半ばになると、大量生産と既製服の時代になり、多くの欧米デザイナーも「プレタポルテ」既製服に参入し始めた。アパレル企業はトレンドを追いかけ、シーズン毎に数百のデザインで商品企画をして工場で大量生産をする。顧客は百貨店などの商業施設に行って、自由に比較検討をして購入ができる。同時に採寸や仮縫いなどのステップは必要なくなり、購入と同時に着て出かけられるという手軽さを得られた。お仕立て時代と何が変わったのか。そこには「店舗」という商品を消費者に見せる空間と、消費者に売るという「販売」という技術が必要になった。なぜならそれは「見込み」商品だからである。

デザイナーが創ったものを直接売っていた時代には、商品を陳列する空間は必要なかったが、既製服は「見込み」が基本である。どういう消費者をターゲットにするか、価格帯はどの程度なのか、全て「見込み」のため、売れるかもしれないし、売れないかもしれない。それは賭けでもあるが、店舗でどのように売れるように見せて、お客様にどのように接客をするのか、この違いによって売れ方も変わってくる。ここに前時代との違いがある。こうして、高度成長期からバブル期まで、日本の百貨店や商業施設はアパレル企業と一緒に飛躍的に伸びていった。

2021年現在、この「店舗」と「販売」が大きく変わらざるを得ない状況になった。これは数十年の大量生産の闇を隠し続けてきた結果でもあり、コロナ禍の中で明らかになってしまった事実でもある。つまり、「見込み」の違いにより、消費者がNoと言って売れなかったとしても、大量消費の時代はセールなどで解消できていた。しかし、衣服消費が成熟期を超えて落ち込んできたことにより、最悪な場合は大量焼却という道しかなくなってしまった。その実態が明らかになると、社会的にアパレル産業の環境破壊は声高に非難されるようになった。サスティナビリティが問われる背景の中、需要予測やデータ分析というサイエンスを取り入れつつも、クリエーションも持続するという難題を抱えることとなるという、これが現在のアパレル企業の抱える大きな課題である。

話しは変わるが、私は2021年9月6日まで国立新美術館で開催されている、「FASHION IN JAPAN 1945-2020」を見る機会を得たのだが、そこで目から鱗のような感動を覚えた。戦後の日本人デザイナーたちの作品を見たときに「美しい」と感じたことである。パーティや公の場に出たときに、これを着たらどういう風に思われるだろうか?など、自分に当てはめて考えるとワクワクする。また、素材の独自性がデザイナーやブランドを差別化することも改めて実感した。デザインも重要だが、デザイナーのオリジナルテキスタイルが同質化しないことが要だとも実感した。

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(「Fashion in Japan 1945-2000 流行と社会」展示会場で筆者撮影)

今、私は洋服を買うことにときめく事があるだろうか。ECや古着では文房具のような値段の洋服が溢れていて、少し慣れた消費者なら安価なベーシックな商品を自分でうまくコーディネートができ、それなりにうまく自己表現ができる。しかし、それは世間的に恥ずかしくないレベルの話しであり、ファッション性の高さが逆に必要ない時代となってしまった。

私は個人的な考えでは、今は現在進行形で、既製服の大量生産の時代は終焉して、それ以前のオートクュール時代に良い意味で逆行していると感じている。作った商品を直接ECで消費者に届けるD2Cの販売が最近の話題では大きい。デザイナーが直接顧客に届けるというのは、オートクチュール時代と同じ原理であり、また改めてEC販売が大きくなってきて問題になっているのは、JIS規定のサイズに合わない、イレギュラーサイズの人たちの問題が出てきている。こういうタイプの人たちは、今までファッションを楽しむことができなかった。そこにニーズがあると考えたのが、ZOZOのマルチサイズ事業である。


また採寸を店舗での3D計測機で行い、カスタムオーダーをECで販売しているFABRIC TOKYOの事例でも、店舗とオンラインが融合した形で、D2Cで好調な事例だと思う。売らない店の丸井だけでなく、最近オープンした渋谷西武の メディア型OMO店舗 choosebase shibuyaでもリアルとオンラインが融合した新しい販売方法を見ることができた。

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オンライン上で作り手のブランドコンセプトとワールドに共感した人達に向けてEC販売をするのがD2Cの醍醐味であり、ファンに浸透していない中で、単にブランドを立ち上げてインターネット販売をすることは少し意味が違う。インフルエンサーが創るブランドもそうだが、フォロワー、ファンが「素敵」「買いたい」「着たい」という気持ちをもってもらい、そこに応るように企画・共創をしていくことで、ファッションの面白さ、ワクワク感は届くと思っている。おそらく、ファッションの楽しみが激減している日本では、ファンコミュニティに向けて少量生産であっても、デザイナーやブランド自らが発信していく形が定着していくと考えている。そして、店舗の役割はメディア化し、販売スタッフはプレス化していくのではないだろうか。

誰でも、ファッションは好きなのだ。でも、もう「みんな一緒」はイヤだと考えるのは明白で、リアル店舗でもオンラインであっても、そういう購買行動が今後のキーポイントになっていくのではないだろうか。創り手はオフラインとオンラインと融合した、新しい形でファンに喜びを届けることが、今後の購買体験の楽しみなのだと思っている。


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