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読書記録:「わかりあえないことから」 (コミュニケーション能力とは何か)平田オリザ

ちょうどよい画像が見つかったので、載せてみました。金子みすゞさんの有名な詩ですね。「みんなちがって、みんないい」それを平田オリザさんは、非常に分かりやすく、「みんなちがって、たいへんだ」と置き換えています。なぜ大変なのか? それは、価値観の違う人たちが共に生き、様々な課題を共に解決しなければならない時代だからです。そこでは、違いを前提とした対話が求められます。対話の目的は何か、共に施策を決め、共に実行することです。そこに至るまでのプロセスに、相当の労力、時間がかかることをしっかりと自覚しなければなりません。この本の要点はそこだと思っていますが、他に私が学んだことをつらつらとメモしておきます。

平田オリザさんは、創作劇を教育に取り組んでいます。
劇のよいところ
・すべての人が何らかを役割を担える
(例えば、自分はその場にいない、という役も一つの役割)
・他者を演じる:自分を出発点とし、無理に自己を変えず、演じる役柄との共通点を見つけていく = 世間との折り合いをつける術を学ぶ

「人間らしい動き」は、無駄な動きが的確に入っているとき
これは普段意識したことがありませんでした。
「よく覚える」教育のためには、体験教育が重要
短期的な暗記科目など、いまの時代に本当に必要なのか、全く疑問ですね。

日本語の特質。強調するときは、言葉を繰り返す。
英語などのヨーロッパの言語:言葉を強く発音
こういったことはあまり教えられていないですね。

「会話」=価値観や生活習慣なども近しい親しいもの同士のおしゃべり
「対話」=あまり親しくない人同士の価値観や情報の交換。あるいは親しい人同士でも、価値観が異なるときに起こるその摺り合わせなど。
対話の構造をつくるには、他者を呼び込むこと。
日本は対話の文化がなく、「察し合う文化」これは、世界から見たら少数派である。(良い悪いではない)

「冗長率」=意味伝達とは関係のない無駄な言葉がどれだけ含まれているか
話が上手な人は、これを時と場合で使い分けている。
「マイクロスリップ」=無駄な動き、コップをつかむときに一呼吸置くなど。この無駄が自然に入ると、良い演技とみられるようになる

コミュニケーションは人格教育ではない。
コンテクスト(言葉が使われる背景)を理解することが需要。
弱者のコンテクストを理解しよう。
協調性から社交性へ。
価値観(インプット)がばらばらな個人を集めて、何か行動(アウトプット)しなけばならないからこそ、「みんな違って、大変だ」

つらつらと書いてきたましたが、自分の職場でも、本当に「対話」の少なさを実感しています。「コミュニケーションデザイン」という観点から、自分の職場で何が実践できるかを今回の自分の宿題、としようと思います。

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